第22話

 ニコちゃんは、意識が戻ったとはいえすぐに退院はできず、二週間ほどは様子を見て、リハビリに励むとのことだった。

「そういえば、暁音さん。どうして外に出てきたの?」

 私・笠島暁音は、ニコちゃんのお見舞いに来ていて、その時にふと聞かれて、少し戸惑った。

「うーん……えっとね」

 その時のことを思い出しながら、ニコちゃんに話し始めた。


 あの時、私はヒカリちゃんを迎えに行くニコちゃんを見送って、久しぶりに仏壇の前に正座した。

 ……ニコちゃんは、毎夜毎夜、こうしているのよね。

 実の子どもの仏壇だというのに、少し冷たいだろうか。でも、私は昔からこうだった。

 仲のいい友だちでも、誰でも、親でも、たとえ自分でも、怪我したり、傷ついたりしても、涙はあまり出ないんだよね。


 座布団に座って、穏やかな気持ちになって…………今日のご飯のことを考えていた、矢先に。

 何か、聞こえる、と思った。


 初めは幻聴かと思ったけど、少しずつはっきりしてくる。子どもの声だった。


『おねぇちゃんが、おねえちゃんがぁ!』

『お母さん、助けて。ニコ姉ちゃんが……』


 私は、その呼び方でニコちゃんを呼ぶのは、二人しか知らなかった。

 そう、木莉斗と奶実。


 私はとても動揺して、その声に導かれるように慌てて外に飛び出したのだった。

 でも、外を出ても二人の声はまだ続いていた。

 『おねぇちゃんは、お父さんのところ』。

 そうやって二人が何度もいうから、もっと戸惑ったけれど……ニコちゃんの言葉で確信した。


 この道路標識が、父だと。

 正直、そのニコちゃんの言葉だけだったら、私は無視していたけれど…………。

 『お父さんのところ』というのは、そういうことなのかもしれないと思って、私は無機物に言葉を投げかけた。というか、投げつけた。


 「何でよーーふざけないで! 死んだってことでしょ……」


 こんなふうに投げやりになったのは、実家を出た時くらいだった。


 木莉斗と奶実が死んでしまった時、ニコちゃんは酷く憔悴してしまっていて、つらそうだった。

 見ていられなかったので、私は実家に報告だけして、お葬式はニコちゃんと二人であげた。

 ニコちゃんはーー以来、何も口に入れなかったし、何も言わなくなってしまった。

 遂に倒れて、診断されたのは、拒食症。

 心労が原因でしょう、とその担当の医者に言われた。

 そっか、と、それでも私はあっけなく、あっさり受け入れた。

 それは、ニコちゃんが本当の子どもではないからではなく、本当の、血が繋がっている子どもでも、そういう反応だったと思う。


 私は、皆が思っているより冷たい人間なのでしょう。


「……ふぅん。そういうことだったんだ。……木莉斗と奶実が」

「うん。まだおねーちゃんって言ってたよ」

 あはは、と苦笑するニコちゃん。こういう時のニコちゃんの表情が、私は好きだ。


「そうだ、暁音さん聞いてよ。私、もう普通に歩けるようになった」

 ふいにベッドから起き上がって、ひょいっと立って見せた。


「え、ほんとだ! すごい!!」

 何だかニコちゃんは、しばらく意識を失っているうちに、少し子どもっぽくなった。

 ……いい意味でね?

 物腰が柔らかくなったというか、つきものが落ちたような、すっきりした顔になった。

 昔よりすごく可愛くなった……。モテちゃうね。私の子どもだもん、間違いない。


「暁音さん、何ニコニコしてるの? いいことあった?」

「ふふ。ニコちゃんだけに……」

「……」

 黙っちゃった。からかいすぎた?


「そうだ、ニコちゃん。昔のアルバム出てきたの。家帰ったら見よ」

「……う、うん」

 ……って、あれ?


 泣いてる……?

「……泣いてないし。水だから。鼻水だから……」

 私の言わんとすることを悟ったのか、顔を背けようとするニコちゃん。

「じゃあ、尚更拭いたほうがいいよ。はい、ティッシュ」

「ありがと……」

 鼻をかんで、おそらく眉間を押さえて涙を止めようとしている。

 強がらなくて、いいのに。


「今度お花買ってくるよ。何がいい?」

 私が聞くと、泣き笑いの彼女は答えた。

「スイートピーがいいかな」


 やがて一週間後、信じられない速度で退院して、私とニコちゃんは家に帰って、アルバムを見た。

 小さい頃の私を見て笑う。

小さい頃の木莉斗と奶実を見て微笑む。

 幸せそうな彼らを見て、目を伏せる。

 その時のニコちゃんは純粋にきれいだった。

 翌日から学校に行った。相変わらず、早い時間に出て行った。

 強くなったな、とふと思った。

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