第21話

 私は、笠島ニコ。

 高校一年生。ピアノが好き。

 珍しくも、道路標識が喋ることができると知っている。

 歴史が好き。運動は嫌い。できれば一生、座ったままがいい。

 でも、私の誕生日を私は知らない時があった。


 私の母は、館下たてしたナミと言って、暁音さんの配偶者である、成田衛と不倫をして、私が生まれた。

 でも、お母さんは不倫であることを知らなかった。父は、私の母を捨てた。

 私は小学校の低学年くらいまで、お母さんと二人で過ごした。

 お母さんはピアノが得意で、芸術大学を卒業していたらしい。本当か、分からないけれど。

 私に教えてくれた。


 『二人で』過ごしたのがそれくらいだったのには、理由がある。

 母は、暁音さんにこのことをバラして、慰謝料とか何とかをーー小さな子どもの頃だったから覚えていないのだーーもらって、しばらく暁音さん達と住むことになった。


 繰り返し思う。よく分からなかった。

 その暁音さんの子どもが、木莉斗と、奶実だった。

 二人とも、私と違ってかわいかった。暁音さんととても似ている。

 私をお姉ちゃんと呼んでくれた。私の髪を、長くて綺麗な髪だと言ってくれたから、私は伸ばした。

 それは少し、呪いのように私を縛っていた気もする。


 またしばらくして、私の母は死んだ。交通事故だった。

 私は身寄りがなくなった。

 家を出て行こうとして、暁音さんに止められた時のことはよく覚えている。


 暁音さん達は、私を受け入れてくれた上、引っ越しまでしてくれた。

 私の母が死んだ場所が、家から近かったから、そうしてくれたのだと思う。


 中学校に入るまでは、木莉斗こりと奶実ないみと、とても楽しく過ごさせてもらった。

 あの頃はとても楽しかった。


 でも、結果から言うと、今、私は暁音さんと二人だ。

 木莉斗と奶実は、私と一緒に歩いていた時に、目の前で死んでしまった。

 人通りも、車通りも多かった。


 車が突っ込んできた時に咄嗟に庇ったのに、二人は死んでしまって、私が残った。

 ひんやりとした感覚が首を撫でた。


 はっとして周りに叫んで助けを求めても、誰も遠巻きに眺めるだけで、救急車を呼んでくれた様子もなかった。


 咄嗟に、そっか、私がやらないといけないんだ、と思った。早く呼ばなかったから、怒られちゃうな、と思った。

 私を怒ってくれる人は少なかったのに。


 何で助けてくれないのかなぁ、みんな。暁音さんには連絡したけど、何で見て見ぬ振りするのかなぁ。

 もういいよ、自分で呼ぶよ。

 1、1、9を押して、私が出した声が、思ったよりも冷静だったのが怖かった。自分で聞いていて、感情がこもっていなかった気がして。


 私たちの周りの人は少しずつ集まってきて、私の指先は熱くなっていくのに、二人は冷たくなってきた。


 そういえば突っ込んできた車はどこ行ったのかな。まあいいや。とりあえず二人を助けて欲しい。


 後から知ったけれど、集団心理ーーつまり、人が多ければ多いほど、誰かがやるだろうと何もせず、結局何も、誰もしないというものだそうだ。


 やがて救急車が来て、私は二人と救急車に乗った。

 その後に暁音さんが来た。いや、暁音さんが到着する前に二人は……。


 だから、私はずっと、ずっと思っている。

 私が死んだらよかったかもしれないって。


 その後、私は入学する予定だった中学校に最初から行くことができず、そう、不登校だった。

 単純にいうなら、私は食べ物を食べられなくなってしまった。

 食欲が消えてしまった、と言った方が分かりやすいだろうか。とにかく受け付けない。


 少しずつ飲んだり、食べたりしても、そのうち吐いてしまう。

 辛いとは思わなかった。おそらく、思う余裕がなかった。そのせいか、あの二年間ほどの記憶は薄かった。

 倒れて入院したのは覚えている。


 やっと、本来は中学三年生の終わりぎわという時期に回復して、高校から行けるようになったのだった。


 それで、今ーー皮肉にも、私が死にかけている。

 あ、そういえばあの標識そのひょーが言っていた"酷いことに巻き込まれる"ってこれかぁ。

 ほぼ忘れていた。

 意識を失う直前に言った、暁音さんの言葉を思い出した。


 ふっと、音が聞こえてきた。目は開かなかった。

 誰かの走る音、一定の電子音ーーきっと病院にいるのだろう。

 誰かが鼻をすすっている。見えないのに、その人が泣いているのが感じ取れた。

 「うぅ〜〜……」

 これは……ヒカリ?


 あー、やばいな。そういえばヒカリの約束も破って怪我して暁音さんに心配かけて、結局さんひょーの……父さんの話も聞けなかった。


 え……あれっ。目が開く。眩しい光に、また目を閉じたくなる。

 それでも無理矢理目を開けて、がばっと起き上がった。

 「うひゃぁぁっ、わぁぁっ!? ニコちゃぁぁ!?」

 ヒカリが横にいた。とりあえず挨拶をする。

「おはよう」

「午後7時だよ」

 あ、そっか。じゃあ夜だな。寝るか。

「おやすみ」

「寝るな寝るな寝るな寝るな!! 顔!! み! せ! て!!!」

 むぎゅっとほっぺを掴まれて、伸ばされる。

「痛い……」

 気合いで起きなきゃよかった。

「痛覚確認! 髪の毛! お目目! 全部ばっちりね!! 元のかわいいニコちゃん! おかえり〜〜っ!!」

「うるさい……」

「五感も大丈夫そうね!! 安心したわーー」


 何の騒ぎかと、大人たちが集まってきた。暁音さんと、前にお世話になった医師の東郷さんがいる。


「ニコちゃん……! 良かった……」

 泣いている暁音さんを見ると、戸惑ってしまう。

「う……うん。というか今……いつ?」


 ヒカリがニヤッとして、そして言った。

「……ふふ。驚くなかれ……一月下旬だよ!」


「………………」

 よかった……思ったより経ってなかった……。こういうのって大体、物語とかだと二、三ヶ月とかだから。

「ってことはもう、3学期始まってる……?」

「そうそう。ニコちゃん、良かったねぇ。修学旅行が二月で」

 そういえばそんなのもあったなぁ……どこ行くんだっけ?

「やっぱり冬休みの宿題、終わらせといて良かった……」

 まあ、まさかこんなことになると思ってやってはいなかったけど。後が楽だから、早めにやるに越したことはない。


「何で終わってるの……? ニコちゃん……やる日3日くらいしかなかったよね…………ねぇ? 分厚いのあったよね!?」

 あはは、と暁音さんが笑う。


「暁音さん。ありがとう」

 暁音さんがはっと、私を見る。"お義母さん"ではなく、暁音さん。それがやっぱり、自然だった。


「子どもを助けるのは、親の役目だもん」

 いつもの口調で、私の母は微笑んだ。

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