第23話
久しぶりに学校へ出発する朝。
さんひょーと話すために、私は早く家を出た。
そういえば、自転車はやめたのだ。徒歩の方が、運動できるから。
「おはよう、父さん」
ここ最近、さんひょーは喋っていなかった。何度叩いても殴っても、うんともすんとも言わない。
やっぱり、今まで私がおかしかったのかもしれない。
でも……確かに話しかけてきたのだ。唐突にいなくなるのも、おかしい。
「……はぁ。何だこいつ、拗ねてんの? 子どもか」
「誰が子どもだって!? 伊達に30年生きてたわ!! …………あっ」
やっぱり無視してるだけだった。
すごく、ものすごくチョロい。
「というか、"生きてた"ってことはやっぱり30歳くらいで死んでるってこと? 速度表示も30キロだし……斜線じゃなくてバツマークってことは、停車も駐車もできないってことかな?」
私が問い詰めると、何だかばつが悪そうに誤魔化した。
「勉強したのか? 標識のこと……俺より詳しくなるなよ、威張れなくなるから」
はっきり死んだって答えてない。
「腹立つ」
私はそう言って蹴った。
「というか30歳で死んでるなら暁音さんに送ってるお金は誰が払ってたの? 毎月欠かさず15万円」
養育費、として払われていたのは、ずっと続いているのだ。
暁音さんと父さんは同い年。暁音さんは確か……今年で40才?
間に十年、あるわけだけど。
「具体的な金額を把握している……何者? いやまあ、単純にいうと、俺は再婚したの。ついでに名字も変わった。奥さんにも子どもいたから、死んで……ちょっと、なんていうか……」
もごもごし始めて音が正直耳障りなので無理矢理話題を変えた。
「へぇ? 奥さんの方に合わせたんだ? 一体誰?」
「ーーだよ」
その言葉に私は鞄を取り落としそうになった。
「……どした?」
「いや、何でもない。じゃあ、お金は再婚した奥さんが払ってるってこと? めっちゃ迷惑じゃん……」
どこまでクズなんだ、私の父親。
自分の将来が不安になってきた。
「そうなんだよね……申し訳ない。まあ、もし死んだ時用に遺書書いてたから大丈夫だったのかなって思う」
いやそうなんだよね、じゃなくないか?でもかなり用意周到だった。死ぬ準備万端じゃん。
「俺のお金から払ってって書いた覚えあるし」
まあ、それならいい……のか?……多分良くないけど。
「じゃあ、まあ話はこんくらいにして。放課後もあるし、ゆっくり話そう」
「……まあ、そうだな。でも俺がいられるのもお前の18歳の誕生日までだから、そこんとこよろしく」
「後二年と少しあるな……」
そういえば、私の誕生日は3月3日である。私に似合わず桃の節句の日。
……しかし、早急に学校に向かわなければならないようだ。
なぜなら、父さんが再婚した相手はおそらく弖城さんのーー。
学校について靴を履き替えてすぐ、弖城さんを見つけた。
「! 弖城さんーー」
「笠島さん……!? あっ……えっと」
「話したいことがあるの。どこか静かなところに」
早口で話しかけて、弖城さんは戸惑いながら頷く。
「それなら……その、朝なら音楽室、誰もいないから、行こう」
「ありがとう」
そのことを知っているということは、よく朝にはそこに居る、ということなのだろうか。
「……実は、私も話したいこと……謝らないといけないことがあるの」
音楽室について、話を切り出したのは、意外にも弖城さんだった。
「……? うん」
「……笠島さん、合唱コンクールでピアノ賞を取ったよね?」
あぁ、そうだった。ついこの前のことに思えるような、随分前のような。
「それで……その、私……じ、自慢じゃなくて、中学校の時から毎年、ピアノ賞はとってたの。中学の時に」
「うん」
「でも今年……私、取れなかったじゃない。笠島さんが……すごかったから。手を捻ってたのに」
「そう……だね?」
弖城さんの言いたいことが微妙に分からなくて、首を傾げる。
「そのことなの。私……」
弖城さんは泣きそうな顔で話し始めた。
どうやら、私が転んで手首を捻る原因となった、あのぶつかってきた保護者。
あの人は、弖城さんの母だという。どうやら弖城さんは、私のことをピアノがすごい人、私よりすごい人だと伝えていたようだ。
……そんな風に思われていたのか。
つまり、嫌がらせのつもりで弖城さんの母はわざと私にぶつかって怪我をさせたというのが事の顛末らしい。
しかし、私が怪我をしているのにも関わらず、弖城さんを押しのけて賞を取ってしまった。
それで激昂した弖城さんの母は……私を轢いたわけだ。それがこの前の"事故"だろう。
何という逆恨みなんだろうか。
「本当にごめんなさい……私の母が。私のせいです」
「いや、いいんだよ。弖城さんは悪くない。それより、その事で悪口言われてない? そんなことがあったら……」
「だ、大丈夫。最近は落ち着いてきたの。周りも……母も」
弖城さんは表情を緩めた。まつ毛が長くて綺麗だった。
最近はってことは言われてた、ってこと?嫌な気持ちだ。弖城さんを責めるような人がいたら、全力で否定しよう。
「……それで、笠島さんが話したいことっていうのは……?」
私は少し迷った。弖城さんをもっと困らせてしまうかもしれない。
「……うん。伝えようかどうか、迷ったんだけど……家庭の事情にかなり踏み込んだ話だけど」
「……?」
「弖城さん、弖城さんの父親は……義理の父親はこの人?」
私は写真を彼女に突き出した。
私の生みの親二人の写真は、ずっと学生証に入れていたのでできたことだ。
「……! 何で、それを……?」
「私の父さんなんだ」
弖城さんは息を呑む。
「……ってことは……ニコちゃん、お父さんが死んじゃったことも知ってる……?」
恐る恐る、弖城さんが聞く。
「うん。ちょっと前に知った……伝えないように言っていたんでしょう」
「そうだよ……私の義理のお父さんは確かにこの人。そっか……お父さんがお母さんに遺してたのはそのことだったんだ」
やはり、さんひょーが言っていた"遺書"のことも知っていたようだ。
「……嫌な気持ちになった?」
「いいや、むしろすっきりしたよ……ありがとう……笠島さん」
ふわっと微笑んでくれた。
「名字で呼ばなくてもいいよ。知らないうちに繋がりがあったんだから、何かの縁でしょ。仲良くしよう、裕海」
「……! ありがとう、ニコちゃん……!」
……すごく嬉しそう。こんなこともすぐ忘れる方が身のためだ。
私だって、ちゃんと怪我治ったし。
「でも……ニコちゃん。傷の跡残っちゃった」
「いいって。もう痛くないし」
裕海はまだ私の怪我を気にしているらしい。まぁ、顔にあるし、目立つから当然かな。
「よし、この話はお互いのためにならないから、やめよう。後、もしよければ、裕海が家にいるのが嫌になったら、私の家来ていいからね」
「……えへへ。ニコちゃん、いい人だね。ありがとう、本当に」
折角だからピアノ弾いて帰ろう、と裕海が独り言を言って、椅子に座る。
ドビュッシーの月の光だった。裕海らしくて素敵だった。
すごく聞き入ってしまった。
人が弾いているのを見ると、弾きたくなるよね、という話を誰かとした覚えがある。
まさにそれだった。
裕海は、毎日放課後にピアノを弾きに来ているらしい。
「私も弾きに行っていいかな」
と聞くと、
「もちろん、というか、私が許可出すのも変だけど、来ていいよ」
と言ってくれた。
私は教室に入った。
光と、直人と、椎奈と、何だか気まずそうな嶺が迎えて、クラスメイトのほとんどがわちゃわちゃと私の席に集まる。
昔は忌避していたその光景は、今となっては少し心地よかった。
病気も、怪我も、色々あった。
だからこそ、こんな風にここに居ることができて、幸せだと、心から感じた。
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