第18話

 「ニコちゃん! すごいよ! いつもと同じだったどころか前より完璧! やっぱ大好き!」


 休憩時間に入ったや否や、ヒカリが私に飛びついてきた。


 「ぐえっ……ひ、ヒカリ」


 頬が陥没したかと思った。


 「なに? ニコちゃん」

 「……本当に、私大丈夫だった?」


 そう言った途端、じわっとヒカリの目に涙が潤んで、さっきよりもずっと強く私を抱きしめた。


 「ニコちゃん、本当に本当にすごかったよ。お世辞じゃないもん。私、ピアノのことなんもわかんないけど、ニコちゃんの優しいピアノが大好き!」


 そんなこと言われると、こっちまで泣きそうになるじゃないか。


 「……ありが」


 最後まで言えなかった事には理由がある。


 「ニコちゃん、本当ありがとね!! 本当、本当……ニコちゃんがピアノ、引き受けてくれて本当に良かった!」

 「大袈裟だよ……こちらこそ、誘ってくれて嬉しかった」

 「この後高ニ高三が終わった後は、最優秀伴奏者とか指揮者賞だとかもあるんだよね、ドキドキするなぁ。私はともかく、ニコちゃんは取れそうだよねぇ」


 息継ぎゼロ。相当興奮してるみたいだ。


 「……って、そんなのあるの?」


 必死で人生初の伴奏について行こうとしていたからか、全く存じなかった。

 私がついて行っていると言うより、引っ張られてる感じはしたが……。


 「え! 知らなかった? そうだよ、でも……高校全体で一人だから、高一でとった人は聞いた事ないかもね」


  うーん、と首を傾けて、ヒカリが答えた。同時に頭の中の記憶を探ってみたが、そんなことを聞いた覚えは全くなかった。


 「そうなんだ……本当に初耳だ」


 ちょんちょん、と私の肩を誰かが控えめにつついた。後ろを振り返ると直人がいた。


 「ニコさんお疲れ様」

 「直人」


 周りをおどおどと気にして近づいて来た、直人を見るとなんだかホッとした…………。

 気のせいか。


 「……なんというか、皆。私を引っ張り出してくれてありがとう」

 「んもー、そう言う改まったことはこの後の打ち上げで言ってよね!」


 椎奈が頬擦りしながら叫んだ。


 「文化祭ではなかったのに合唱コンクールではあるの意味分かんなくて好き!」


 ヒカリが調子に乗るまでがテンプレート。


 『はは。何だか俺たち大分仲良くなっちまったなぁ』


 今朝のさんひょーの言葉に、今、妙に共感している自分がいた。


 「というか……弖城さんもうまかったよね」

 「むぅ。確かに弖城さんは上手かったけど、クラスの歌声がついて行ってなかった。特に男声パートが最低。やる気あるのかしら? 弖城さんが可哀想よ」


 音楽のこととなると早口になるのは彼女の個性と言っていいだろう。

 ただそうやった話している時も顔のニヤケが止まっていない。


 「……今気づいたけど、喜多山君は?」


 どういう思い出し方をしたのか、ヒカリがふと尋ねる。たしかに、ここ最近一緒にいるところを見ていない……文化祭の時は見かけた記憶があるけれど。

 そしてその疑問に椎奈は、あくまで軽い調子で答えてみせた。


 「あーーあいつね。数日前に別れた」


 「「「え?」」」


 「そう。別れた。私から振った!」


 そう言って、あはははーと椎名は大笑いした。


 「え? ちょ、椎奈ちゃん! 無理してない……みたいだね。それならいいんだけど……」


 ヒカリが驚いて励まそうとしたのか大声をあげたが、あまりの笑いっぷりに気圧されていた。

 こんなヒカリは珍しい。

 ……椎奈は本当に無理していないようだけども。


 「いやぁ、これが笑える話なのよ。話そうと思ってたら面白すぎて逆に……っははは」

 「え……思い出し笑いするほど?」


 その椎名の爆笑っぷりは、無口を貫いていた直人が思わず口を挟んでしまうほどだった。

 メガネをかけ直したり、長い前髪を耳にかけたり、裾をいじったり、明らかに挙動不審。

 ……って何を見ているの、私は。


 「えっとねー?」

 椎奈が言うには、こういうことだそうだ。


 ……先に言っておくが、真偽は定かでないので、話半分に聞いて欲しい。

 鵜呑みにして誰かに話すと良くないからね。


 『真面目に私から別れ話を持ちかけたら嶺がブリッジして壁倒立をした(in体育館)』


 ……だそう。

 有識者の方がいたらその人に問いたい。

 彼はどんな行動原理で日々過ごしているのか、と。


 「あはははははっ! 喜多山君やば……死ぬ……笑い死ぬ……」

 「ヒカリ、落ち着いて」

 「逆になんでそんなニコちゃんは落ち着いてるの……あー面白い……あははははっ」


 宥めても収まらず、もっと大笑いしだした。

 もうだめだ。これはしばらく静かにならない。

 皆に分からないようにため息をついてから、私は三人に大きめの声で呼びかける。


 「ほら。休憩時間15分くらいなんだから、もうそろそろ終わるんじゃない? 自分の席に戻ろう」

 「あー、本当だ! よし、じゃあ座ろっと。さすがピアノ担当〜〜」

 いや椎奈、ピアノよりも指揮者がそのような立ち位置にいるべきではないのだろうか?

 椎奈はまた、ふふ、と笑い、付け足すようにこう言った。


 「ニコちゃん、改めてお疲れ様ーー……結果発表を楽しみに」


 お疲れ様、と言われて、初めて肩の力が抜けた気がした。なるほど確かに、指揮者には最適かもしれない。


 ともかく緊張から解放された私は、少しの間眠る事にした。

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