第17話
中に入って少しほっとした。暖かい。
これならいつでも、幾らでも弾くことができそうだ。
「ニコちゃん緊張してないねー。入学式の方が顔硬かったよー?」
「……そうかな」
まあ、無理もない。
そこで放送が流れた。
「――高校、一年生は全員舞台袖に集まってください」
「笠島さん、招集かかったよ!」
「わ、分かった」
そんなに急かさなくても……。
「ニコちゃん、しっかり」
「ひ、ヒカリありがとう」
「あったりまえよ。それが親友ってゆう」
どんっ。
「うっ」
前から来た保護者の人にぶつかってしまった……というかぶつかられた。
地面に手をつく。
「ニコちゃん! 大丈夫? もう、そんなに狭い通路でもないのに」
「大丈夫……っ」
手首に違和感を感じる。
「えっ!? もしかして捻った……? もう、こんな時に……! とりあえず行こう。医務室も舞台袖の近くにあるはず……」
「……ごめん、ヒカリ」
「なーに謝ってんの。ニコは悪くない……あっ! し、しいなちゃぁぁぁん!」
「ど、どうしたのヒカリちゃん!? それにニコちゃんも……」
「ニコちゃんが手を少し捻ったかもしれないの。医務室行きたいんだけどー」
「み……み、三門せんせ、三門先生!」
「どうしたの、寺仲さん? そんなに焦って……」
「笠島さんが手を捻ってしまったみたいで湿布か何か!」
「あるよ、こんなことも見据えて。私の用意周到さもここまで来ると最早才能ねっ」
「そんなこと言ってる場合じゃありません。早くください」
「あ、はい。すんません」
皆が焦っている中で、自分だけが黙って右手を押さえている。
明らかに自分が騒ぎの中心にいるはずなのに、自分が一番、場違いなような気がした。
「笠島さん。湿布……どこが一番痛い?」
「こ、ここ」
「はい。これで……いい? え、えっとニコちゃん……」
椎奈が戸惑う、というより、控えめに、言った。
「……どうしたの」
「ニコちゃん。私もピアノやってたから分かる。私ね……前にも言ったと思うけど、事故に遭って、手、動かなくなって……弾けなくなっちゃった」
泣きそうな顔だった。私が考えていたより幼かった。
「……椎奈」
「だから、ニコちゃん。私はニコちゃんに弾くのを諦めて欲しくないんだ。だから、だから……」
「分かった。椎奈。……私も、正直言うと、自信がなかった。ちゃんと弾けると思ってなかった。でも……全部私に任せて欲しい。怪我なんて、まぁ、でも……大した事じゃない」
「……ありがとう、ニコちゃん。私の代わりには強すぎるけど、やり切って。私の指揮……見てね」
「分かってる」
分かってる。分かってる。
……言い聞かせろ。できる。絶対に。
「三組リハだよ、二人とも!」
「「……はい!」」
ついに本番。いつもよりは手の動きが鈍くなっている。
鋭いクラスメイトが、気づくくらいには。
……あ、どうしよう。
動きが止まりかける。小さい時を思い出す。
『ニコちゃん。ニコちゃんはピアノが上手だね』
『そうなの? でも、私前に、友だちの悠里ちゃんに、ニコちゃんは、【 】の子だからって、へたくそって言ってきた』
『……そうなの』
そのとき、私のお母さんはどんな顔、してたっけ。
指がぱちん、とはじけた。
頭の中に音が一気に戻って来て、耳が痛くなる。
止まっていなかった。
指は動いていた。無意識だった。
お母さん。
私は、今、弾けている?
タイミングは?
リズムは?
一度、椎奈の方に目を向けた。
泣きそうな顔だったが、笑顔でこちらを見ていた。
大丈夫だったのだろうか。
私の意識が少しとんだ、あの一瞬は。
その時に、久しぶりに楽しいと思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます