第16話

 合唱コンクールの当日。

 学校近くのホールはさらに向こうにあるため、私はいつもより少し早く家を出た。


「よう。今日は早いな。何かあるのか?」

「前にも話したでしょう。合唱コンクールなんだよ」

 久々の登場なような気がするかもしれないが、毎朝こんな風に話しかけられるので、もう何も疑問を抱かなくなってきた。


「ああ。そんなこと言ってたなぁ……もう、こんな歳になってくると物覚えも悪くてのぉ」

「そんな喋り方してないって」

「はは。そうだ、ニコ? 合唱コンクールが終わって落ち着いたら伝えないといけないことがあるんだよ。予定空いてるか?」


 字面だけ見ると彼氏みたいだ。

「まあ、空いてる。基本的に。私、帰宅部だし……」

「そうか。それなら丁度いい。来週の水曜とか行けるか?」

「余裕。冬休み入るから遊びに行くかもしれないけど、空けとく」

 ヒカリと。

「はは。何だか俺たち大分仲良くなっちまったなぁ」

 "なっちまった"?

 まるで仲良くなって後悔したみたいな声だった。

 感情とか、やっぱりあるのか、こいつら。

「……お前は本当鋭いなぁ。そんなんだからさぁ……」

「だから、何。さっきからずっとはぐらかして」

「いや。この話もその時にしよう。早く行かないと遅れるぜ、伴奏者」

「……あっそう。まあ、行ってくる」

「行ってら」

 ずっと思っていたが、私はこのさんひょーと同じ雰囲気の人を知っている気がする。

 誰だろう。親戚?いや、私の今の"家族"はおかあさんだけ。


「考えるのは今じゃない。今はピアノ。合唱に、合わせる伴奏……」

「ニコさん」

「っ!」

 考え事をしているうちに学校の近くまで来ていたみたいで、直人とばったり出会った。

「……直人」

「やっぱり緊張してる? いや、こんなこと聞くと素人質問みたいでちょっと」

「いや、いいよ。……まあ、そうだね。緊張はするけど一番怖いのはーー」

 私は言いながら手を差し出して見せる。

「手が震えることかな。寒いから、凍えそう」

「そっか……カイロとかは?」

「あるけど……この通り自転車だからそんなに持ってるわけにも行かない」

「今ならまだ余裕で間に合うよ。自転車押して歩こうよ。転んだら大変だし……ニコさんはうちのクラスの希望だからね」

 言い過ぎでは……。

「あっいや……そんな深い意味は」

「……? うん」


 まあ直人の言うことも尤もなので結局押して歩くことにした。


「ニコさん。言いにくいなら答えなくていいんだけど、その……その手」

「手……? それがどうかした?」

「すごく、華奢っていうか」

 どくん、と心臓が大きく脈打った。

「ご、ごめんなさい」

 思わず謝ってしまった。何故か分からない。咄嗟だった。

 自分の顔が青ざめているのがわかる。

「ニコさんは謝らなくていいよ。本当にごめん、ニコさん。こんな時に動揺させて……でも、何か……その、悩みがあったら、何でも話してほしいっていうか……その……」

「な、直人。いいよ……別に……」

正直、驚いた。そこまで見られていたとは思わなかったからだ。


 でも、言われた時思ったのは、誰かにそう言って欲しかったという安堵だった。

 おかあさんは、私のことを気にして、あまり触れないでいてくれているから。勿論、それで助かっているところもあるが。


「……ありが、とう。私……伴奏頑張るよ」

 いきなり脈絡のないことを言ってもっと戸惑わせたかと思ったが、直人は意外な事に、にっこり笑ってくれた。

 はぁ、と息を吐き出した。そうだ。少し疲れたくらいが私にとっては丁度いい。

「ニコちゃん! 直人〜!」

 ヒカリが私たちの名前を呼ぶ。


「……ん? んん? んんんんんーー??」

 私たちを見て、近づいてきて、ニヤニヤとして、私は何となくだがヒカリの言わんとすることが分かってしまった。

「別に待ち合わせして来たわけじゃない。勘違いするな」

「うへへへ〜〜……ニコちゃんと直人お似合い〜……」


 半ば本気で背中を叩いた。

「きゃうっ! やめてっ!」

「ならばそっちから先に止めるんだな」

「ニコちゃんそんなに握力ないから怖くなきもん……あでっ」

「中。入るぞ」

「ひゃい……」

 ひんやりした顔と声で言うとヒカリは縮こまって黙った。

 直人はずっと黙っていたが、何を考えていたのだろう。

 ちゃんと顔を見ていなかった。

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