第10話

 ねぇ、何か笠島さん、元気なくない?

 ホームルーム中にそんな声が聞こえた。

 誰だろう。それを疑問に思ったならば、直接私に言えばいいものを。

 一日の終わりでそんなこと話すのか。

 気分悪い。早くホームルーム、終われ。図書館へ行きたい。そうでなくとも、とにかく落ち着きたい。

 そうだよ、元気ないよ、今。嫌なことを思い出したのだから当たり前だろう。

 正直、今にも吐きそうだ。

 嗚呼、きっと酷い顔をしているのだろう。

 だから話しかけないでくれ。放っておいてくれ。


 お願いだから。


 そうして帰りの挨拶が終わって、かなりの早足になりながら図書館に向かっていた、その時。


「笠島さん」

「……何?」


 なんとか苛立つ気持ちを押し殺して、聞き返した。

 其奴らは男子と女子の二人組で、普段、私と関わりがなさそうなタイプ。其れ即ち、学級委員タイプ。


 ……誰?本当に誰?


 「あ、私、椎奈。寺仲椎奈てらなかしいな。でこっちが、喜多山嶺きたやまれい

 「あー……」


 どうやらクラスメートである。

 確か学級委員とか何かだった……と思う。

 私の人の名前の記憶はヒカリと直人と家族止まりだ。まったくもって当てにならない。


 「今度、合唱コンクールの伴奏と指揮、決めるんだけどさ。そこで、どっちか笠島さんに頼みたい」


 …………は?


 「何で私が?私なんかよりもっと上手く"できる"人が、沢山居るでしょう」


 確かに、習い事としてピアノを習ってはいるが。

 誰にも言っていなかったはずだが……ヒカリが伝えたのか?

 いや、今そんなことは関係ない。


 「いいや。貴方がいい」


 譲らなそうだ。面倒だ。

 やりたくない。絶対にやりたくない。


 「このレイが一緒にやるし」と寺仲さん。ずいっと彼の肩を突き出した。


 「……え?俺何もやるとも何も言ってないし」


 彼の反応は、演技でもなさそうに見える。


 「知らない。レイはピアノ習ってるしできるでしょ」

 偏見がすぎる気がする。

 「……私はやらな」

 「お願いっ!やって!」

 「…………やりたくな」

 「お願いっっ!」

 「………………」


 嫌だ。私にそこまでのプレッシャーを背負える気概は無い。

 そして、段々苛立ちが増してくる。折角した栓がまた開きかけて、それを心の奥底にひしゃぐだけで、今の私は精一杯だ。


 「私はやらない。別の人に頼んでください。やらないから」


 精神も時間も無駄に浪費している。この場合、さっさといなくなるが吉だろう。


 図書館へ向かおうと思っていた気持ちも無理やり忘れて、家に向かって一気に走り出す。


 この後、きっとさんひょーが話しかけてくるだろう。

 それでも、構わない。無視してでも、気まずくなっても、別にいいから、

 とにかく、早く帰りたい。


 「どうしたニコ。今にも死にそうな顔してるぞ」


 さんひょーの声が明瞭に想像できた。


 「おーい。聞いてんのか?」


 どうやら、本当にさんひょーの声だったらしい。


 「……あぁ」

 「おいマジで今にも死にそうだな。どした?」


 と、こちらを覗き込んできた。

 標識が覗き込むとは滑稽な表現だが、実際の話だ。


 「……今朝の、その他の警告」

 「ぁー……あれな。彼奴あいつがきっかけか?」

 「そうだね、今にも頭がパンクしそう」


 思わず本音が口をついて出る。疲れているようだ。


 「まぁ……そう言うことで、ちょっと早く帰らせろ」

 「あぁ。ゆっくり休みな」


 家に帰って、ただいまも言わず、引き戸を開ける。

 畳に正座して、見上げた。


 其処そこには、仏壇があった。

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