過去の記憶は今

 タクシーは何事もなかったように走り続け、マスコットはおとなしく車の振動と同期をとりながら揺れている。


 あの子は、とても悲しそうだった。おじいちゃんに悲しんで欲しくない。ただそれだけを伝えて欲しかったのだろうか。


 俺が悶々と考え込んでいたら、斗真が怪訝な顔でこっちを見ていた。


碧海あくあ? 難しい顔してどうした?」

「あ…斗真」


「ちょっと待て。お、お前がそんな顔をするってことは、ここに何かいるんだな? もしや円香ちゃんが幽霊となって俺を迎えに来たとか?」

「そんなバカなこと、あるわけないだろ?」


 斗真は本気で怯えたように、俺から距離を取る。おいおい、円香ちゃんに会いたいんじゃなかったのかよ。もう呆れるしかない。


「お客さん、何かありましたか?」


 運転手さんが気を聞かせて声をかけてきてくれた。いい人だ。


「あ、いえ…何も。すみません」

「それならいいのですがね。時々いらっしゃるんですよ」

「?」

「な、何が?」


 隣の斗真は顔面蒼白になり、今度は運転席から距離を取るように、俺にぴったりくっついて来た。まじでウザイ。


「怖がらせてしまいましたか? すみません。いやぁ、この先の小坪を抜けたところにある『あきのま小学校』が廃校になってから、いろいろとね」


 運転手さんはなんとなく歯切れが悪い。

 それに『あきのま小』って言ったら俺の母校だ。そういえば、さっきの子も『あきのま小』の校章バッチをつけてたな。


「廃校になったんですか」

「2年前にね。隣の学区と統合されたんですよ」


「建物は、まだあるのですか?」


 確か、新校舎とは別に体育館の渡り廊下の先にボロボロの旧校舎があったはずだ。当時も既に倉庫化されていて、子どもたちの肝試しに使われていた場所。


 俺の子どもの頃から、旧校舎には女の子の幽霊が出るって噂されていた。ピアノのコンクール前に事故に遭って亡くなったとか、病気だったとかいじめを苦にしてとか、いろいろ言われていたけど真実はもっと悲しいものだった。


 爺ちゃんがいなければ、今ごろ俺も旧校舎の幽霊になっていたかもしれない。


 あぁ~もう、この話は思い出したくないんだ! 俺はぎゅっと目をつぶり深呼吸する。


「まだそのまま残っていますよ。市の方で予算がないのでしょう。だからね、古い木造の校舎もそのまま残っていて、心霊現象を撮るんだっていう若い人たちが結構訪れるんです」


「そこ、本当に出るんですか?」


 斗真が運転手さんに恐る恐る質問をする。手を組み合わせ、まるで祈るような格好だ。


 何年俺といるんだ? 想いの塊はこの世の中にウヨウヨいるんだ。学校なんて生命力の塊のような場所ならなおさら。それと同じくらいマイナスエネルギーは集まりやすい。


 気を抜くと、あの時のようにぐぉんと体ごと後ろのシートに吸い込まれそうになる。俺は慌てて目の前のアシストグリップを握りしめた。



「この辺りは、昔からこの手の話が多かったんですよ。タクシー仲間の間でも良く聞くのですがね、乗せた記憶の無い客がミラー越しに見える…とか」

「ひえぇぇぇぇっ!?」


 斗真は飛び上がり、俺に体当たりしてきた。


「いてっ。驚きすぎだ」

「だって」

「あはははは。そんな話もありますが、そういうのは大抵深夜の独りドライブの時と、決まってますよ」


 あははは、と運転手さんの苦笑いの声が車内に響く。斗真の反応がよっぽど面白かったのだろう。


「あぁ~もう、ちゃんと座ってくれ、斗真!」

「でもぉ」


「いやいや。すみませんねぇ~。この車で私は見たことはありませんから、ご心配なく」


 運転手さんは前を向きながらそう語る。顔の表情が鏡越しにも見えないから、リップサービスなのか真実なのか、本当のところはわからない。


「お客さんも、撮影かなにかで?」

「いえ、俺たちは」

「そうですか。それは良かった。亡くなった方を面白半分で茶化すものじゃないですからね」


 運転手さんは俺たちが冷やかしのためにここに来た訳じゃないとわかって、少しほっとしたように見えた。


 俺も同感だ。幽霊だって傷つくし悲しむし、怒るんだ。


「あ、運転手さん」

「はい」

「行き先を変更します。あきのま小学校まで」

「「えっ?」」


 斗真が驚いた顔でこっちを見ている。お願いだ行かないで、と首を降っている。


碧海あくあくん、もう暗いですよ? こんな時間にわざわざどうして?」


 運転手さんも困り顔だ。そうだよな、さっきまで俺は心霊現象に興味ないと言っていたんだから。


碧海あくあ、あぁ~俺寒い。熱があるかも? 早くお前んちに行かないと吐くぞ」

「やめてくれ」


 斗真が小学校へ立ち寄ることを必死に拒絶している。


「どうされますか? もうすぐ着きますよ」


 運転手さんの声が、先ほどと明らかに違って事務的に聞こえた。


 俺はというと、ずーっとさっきの子の事が気になっていた。あの校章は確かに『あきのま小学校』の物だった。

 それに学くんの言葉を伝えるには、もっと知らなければならないことがある。その答えはきっと『あきのま小学校』にあるはずだ。


「学校に行ってください」




「……承知いたしました」


 運転手さんは一瞬顔を曇らせたようだったが、ハンドルを右にきる。


 マスコットが揺れてペコリとお辞儀をしながら、ぐるぐると回り続けていた。

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