第31話 熱しやすく冷めやすい

朝食はシリアルとヨーグルト、レタスとトマトのサラダとベーコンエッグ。デザートにストロベリーとブルーベリーだった。席には昨日の面々が座っている。マリク父子は俺達と同じく明日の夜まで厄介になるそうだ。

朝食を終えて部屋に戻ろうとするとレティツィアに手を引かれる。どうやら屋敷の中を案内してくれるらしい。

まず通されたのは屋敷の奥にある倉庫だった。倉庫といっても食料や生活用品ではなく、骨董品が収められているとのことだ。

倉庫内は幾つもの高い棚で区切られ、骨董品はその品目ごとに分けられて収納されている。棚の高いところでは箱に収められている物品が多いが、俺の目線より少し下辺りでは皿や壺などがその美しい姿を晒している。倉庫といえども鑑賞も兼ねているらしい。

レティツィアに手招きされて倉庫の奥へ向かう。そこには古い武具が飾られていた。鎧や盾、刀。どれも新品のように綺麗で、血の匂いは感じない。

「男の人はこういうの好きでしょ」

レティツィアが後ろに手を組み、覗き込むようにして俺を見る。

「いや、俺はそんなに。イラクサは昔から争いが少ない土地だったし」

「でも、男の子は戦争に憧れるって聞くわ。マリクも今回の内乱にお熱だったし」

ハイルーラの死が脳裏に浮かぶ。戦争ということはああいった死体が山積みになることだ。それがいいものだとはとても思えない。

「しかし、こういったものは部屋に飾って眺めないのか」

「うーん。お父様は日焼けで傷むのを嫌うのよ。だから暗い倉庫に入れて、暇な時に眺めてる。絵画なんかも絶対に飾ってくれないの」

なるほど、だからあんなに部屋が簡素なのだ。

倉庫の骨董品を見終わった後、今度は図書室に向かう。それは客室と階段を挟んで隣の部屋だった。

重い扉を開けると、書籍で埋め尽くされた棚が壁面を覆う、静謐な部屋が現れる。窓は入って左手と奥の方にあるが小さく、日焼けに十分注意されているようだ。

部屋の中央にはソファと丸テーブル。家具は主人の趣味ではないのか簡素なものだ。そこから右手に視線を移すと、安楽椅子がゆらゆらと揺れているのが分かる。

ヴェローナだ。どうやら安楽椅子で本を読んでいたらしく、俺達が来て立ち上がったらしい。

「何を読んでいたんだ」

「ええと、歴史小説です。その、ご主人に案内して頂きまして」

「そうか、よかったな」

俺が本を覗き込もうとするとぱっと背に隠す。

「ああ、えと……」

沈黙が流れる。昨日の夜に話したことを意識しているのだろうか。

しばらく何も言えずにいると、俺を壁にしてレティツィアが覗き込んでくる。

「ねえ、二人はどういう関係なの?」

「友人だ」

「ふぅん。昔から?」

「いや、まあ最近だな」

ヴェローナがこくりと頷く。よく考えると、彼女とは出会って一カ月もたっていない。

レティツィアは俺達を交互に見やると、口を結び、そっと俺の右腕に彼女の左腕を絡ませた。温かい体温が伝わってくる。

「私が、恋人になりたいって言ったらどうする?」


昼食を終えて、昨日の小川で涼むことにした。足を流れに入れ、上着の袖をまくって顔に水を浴びる。初夏とはいえども最近は暑さも増してきているから、水の冷気がなんともありがたかった。

足湯のように足首まで川の水に浸らせながら、草むらに体を預ける。空は晴天で、もこもことした雲が太陽を隠さない程度に散らばっている。

俺は図書室のことを思い出す。

レティツィアはヴェローナと俺が狐につままれたように固まっているのをみて、何も言わずに出て行ってしまった。昼食の時も相変わらずで、俺の隣でただただパンケーキを口に放り込んでいく。結局屋敷の見学ツアーは再開されないままだった。

「恋人」

小さな声で呟く。俺はいままで恋愛の対象として誰かに好意を持ったこともなければ、好意を持たれることもなかった。それが今、昨日あったばかりの少女に好意をもたれてしまっている。

なんとも変な気持ちだった。嬉しいとか悲しいとかそんな感情ではなく、ただなんとなく俺はぼうっと空を眺めていたかった。

「ちょっといいか」

太陽が隠される。視界にはマリクの影がある。顎で了承すると、彼は俺の隣に座り、片膝をついた。

俺はマリクの方を見る。細身で小柄な彼は中々の美少年で、髪を伸ばせば女性とも判別がつかないように思える。彼は横目でちらりと俺の様子を確認し、言葉を紡ぐ。

「あいつ、レティツィアは熱しやすく冷めやすいんだ」

「熱しやすいのは痛いほど良く伝わったよ」

「そう、で、冷めやすい。あんたも他にいい男がくれば捨てられるさ」

俺は両手を頭の後ろに組む。

「これまでも何人もの男が捨てられてきたのか」

「ああ、いや、恋愛は初めてだよ。でも、物はすぐ飽きるぜ。本だって途中で飽きて放り出したものばっかりだ」

俺が物と同じであればそういうことだろう。俺は右ひじに頭を預け、マリクの方へ向く。

「あんたはどうなんだ?レティツィアが好きか」

「ああ、そうだ」

もっと恥じらうかと思っていたが明瞭な答えだった。

「近い将来告白する。イドリツァで、城の良く見える広場で。花火が上がっている最中に」

やけに詳細な想像に思わず頬が緩む。彼はそんな俺を見て顔を赤らめ、とにかくと前置きする。

「何の勘違いもするなってことだよ。明日が終われば全てきれいさっぱり。レティツィアはあんたのことなんて忘れる。わかった?」

俺は頷いた。


小川から屋敷に戻るとき、俺は今日にでも自分の気持ちをレティツィアに伝えようと思っていた。彼女は図書室の一件で俺に嫌悪感を抱いたようだったから、今伝えれば彼女の気持ちを穏便に、かつ明確に冷ますことができると考えたのだ。

だが屋敷に戻ると彼女は出会った時の元気な姿に戻っていて、午後の茶会や夕食でも俺の傍に寄り添って腕に抱きついたり、顔を寄せたりしてきた。

俺は結局、何も切り出せずに夜を迎える。

蝋燭を消して暫く横になっていたが目が冴えたままで、少し考えてベランダに出ることにした。

今日は眠れそうもない。こういう時は昔から無理やり眠ろうとせず、外に出て風にあたるのが常だ。眠気が更に無くなってしまいそうだが、俺の場合、これがどうしてか安眠への入り口となる。

外に出てみると、辺りには何もない事が分かる。ただ遠く山の稜線が星の明かりで影となって見えるのみだ。ともすれば昼間このベランダから外を覗けば、だだっ広い平野がなびいている景色が見えるのだろう。

そういえば、と思う。エスファラーイェンへ至る平原を馬車で歩いた時、俺はやけに感動していたが、段々とその感動は薄れ、それは『普通のもの』に変わっていった。スローイアの樹海も、モイウンティウムの丘陵地帯も。この平野だってそうかもしれない。

もし世界を回ることが出来た人がいて、その人には何が残るのだろうか。

何の感動も、感情の揺さぶりもなくただ生きる毎日……。

俺は首を振る。ベランダの柵に背中を預け、ふぅとため息をつく。

そしてもう一度体をひねって柵にもたれ掛かろうとしたとき、ヴェローナの部屋から光が漏れていることに気が付いた。

もう深夜だ。日記かなにかでもつけているのだろうか。それとも本でも読んでいるのか。

柵にもたれたまま蝋燭の明かりを見つめる。ゆらゆらと揺れる灯、暗がりの中で隔てられたカーテンの向こう。

俺はなんとなく彼女と話したくなった。


俺がノックをして声を掛けると、驚いた声で返事が返ってくる。

どたどたと足音が聞こえ、何かを片付ける音がしばらく続く。普段そんな感じはしないが、もしかしたら彼女を一人にすると汚部屋が出来上がるのかもしれない。 

ポケットに手を突っ込み、俯いたまま待っていると急にドアが開く。

「あのっ、お待たせしました」

ヴェローナは寝巻きを伴って出てきた。恐らくこの家のものを借りたのだろう。絹製の、すべすべとしたものだった。

「本でも読んでいたのか。明かりがついていたから」

「ああっ、えと、その、そうです。夢中になって読んでいたら遅くなってしまって……明かり、ご迷惑でしたか?」

「いや、別に。ベランダに出るまでは気が付かなかった」

しばらく沈黙が流れる。ずっと俯いている俺も俺だが、ヴェローナもどこかそわそわして目を合わそうとしない。

「その、私、すぐ寝ますから」

「本、読んでいたんじゃないのか」

「でも、ご迷惑ですから」

俺は頭を掻く。

「その、そういうわけじゃない」

「それじゃ、ええと」

「せっかくだから話をしたい。そう思ったんだ。こちらこそ迷惑なら帰るよ」

「話……」

「別に討論したいとかじゃない。とりとめのない話を……」

ヴェローナの瞳がこちらを見上げている。薄い茶色の目。彼女は何度か瞬きをして、少しほほ笑む。

「うん。……入ってください」

ヴェローナの部屋が開かれた。

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