第25話 永遠に続く森
時間になり、樹海案内所に向かう。
案内所の中にはラティーフとエッサの他に従業員らしき男が二人、それに老夫婦が一組いた。
ラティーフは参加者に地図を渡し、手際よく出発前の説明を済ませると、小さな旗を片手に外に出た。老夫婦、俺とヴェローナ、そしてエッサと続く。
商店街を抜け、大通りを左手に折れてしばらく行くとロルカ川という、ラヴィラン市街の三角州を作り出した河川が現れる。このロルカ川を上流に向かって進めば樹海の入り口へとたどり着くのだ。
ロルカ川は平坦な川で、緩やかな流れに沿って幾つもの小舟が行き来している。遠く対岸では子供たちが川遊びをしていた。
しばらく歩いたが、まだ樹海には届かない。あちこちで切り倒された木々が山積みにされ、がらんとした空間の中でわずかに伸びる若い木々がその存在を主張している。どうやら、樹海はかなりえぐられてしまっているらしい。
木々の死体を横目に歩いていくと、荒れ地の先に木々が無造作に、それでいて整然と並び立っているのが見える。道は木々の間を抜け、深い闇の中へと伸びている。
ラティーフは樹海の入り口に差し掛かった時、一団を止めて横に並ぶよう言った。
「樹海はここからです。皆さんお疲れでしょう。私も疲れました」
老夫婦が笑う。
「ですが、実は二十年前まではこんなに歩く必要もなかったのです。ここまで歩いてきた道は全て森に覆われていました」
参加者全員が感嘆の声を上げる。
「それこそ、樹海案内所からすぐに森へ入ることが出来ました。当時はハープサルも温泉こそ湧いていたものの、当時は街区の整備が進んでいなかったのです」
それからの話は昨日聞いた通りだ。フサイン司教の開発によりハープサルは温泉街へと変貌した。あちこちで木々が倒されているのをみるに、まだまだ市街は拡張していきそうだ。
ひとしきり説明を終えた後、ラティーフは俺達を森へと誘う。遊歩道と呼べるものではないが、均されて地面がむき出しになった道を、俺達は歩いた。
日の光が新緑を照らしている。木々は葉を張り巡らせているが、地面にはシダが鬱蒼と茂っており、その間を姿を見せぬ小動物が這いまわっている。
ロルカ川は次第に幅を狭めてきている。緩やかだった流れは少しづつ早くなり、水音が小さく響いている。
ヴェローナは老婦人に話しかけられ、二人で横並びになって歩いている。のけ者にされた老紳士は俺の横で歩幅を合わせるが、口を中々開かない。なんとなく、人見知りをしているのは伝わってくる。
「どこから来たのかね」
やっと口を開く。
「イラクサからです」
「イラクサ……、ああ、ではカスタロフカの人間か」
「そうです。ご主人は?」
「私は、クリムリーフ王国の出身だ。ほんの数日前、ハープサルの教区に新たに派遣されたんだよ」
彼は牧師で、若いときは大陸の南で布教に勤しんできた。ただ、結婚してからは故郷に戻り慎ましやかな生活を送っていたらしい。
「おかげで人生に弾みがついた。こんなに毎日が長く感じるのは久しぶりだ」
彼がこの樹海案内に参加したのは、この森に住む『神』に会うためだった。
もちろん、彼はムーラ教の神父であり、彼にとっての神とこの森の神は異なる。カスタロフカに伝わる神話も現実に起こったことではなく物語だと彼は言う。
「しかし、他の宗教や文化を軽んじてはいけない。敬意を表さなければならないのだ。彼らには彼らの考えがあるからね」
気づくと、森は深くなっていた。
散策道が川沿いを離れると、俺達の足音だけが森に響くようになってくる。倒れた大樹が腐ってぼろぼろになり、土に沈んでいるのが見える。ごろごろと地面に転がった岩は苔生し、地面を濃い緑で染めている。
岩の間を歩いていくと突然、地面にぽっかりと口を開けた洞窟が姿を現す。
ラティーフが皆を止めて、洞窟の前で説明を始める。
元々、この樹海のあるところは広い湾になっていた。六百年前のアクメッド・シェリフ山の噴火により溶岩流が流れ出し、湾はほぼ半分が埋め尽くされた。やがて溶岩が冷え固まるとそこに植物が生まれ、動物がやってくる。そして広い森林へとなっていったのだ。
洞窟の中に入ると、六百年前の痕跡があると言う。
俺達は少し傾斜のついた洞窟を下っていく。中は涼しく、初夏の日差しがきつくなってきた外とは違って心地が良い。
少しして、広い場所に出る。
ラティーフはエッサに指示して洞窟内に掛けてあるランタンをつけるように言う。エッサが素早い身のこなしでランタンに火をつけていくと、光沢を持った岩肌が姿を見せ始める。
「皆さん、足元を見てください。溶岩の流れ出した跡がわかると思います」
足元をみると、縄のような模様が右から左へと続いていることがわかる。まさに六百年前にこの地で、溶岩は確かにここを流れていた。
「イゼット」
ヴェローナが声を掛けてくる。
「ああ。溶岩の跡がまだ残っているんだな」
「いえ、その、こっち見てください」
顔を上げる。エッサのつけたランタンがオレンジ色の光を放ち、天井から垂れさがる無数の鍾乳石を映し出している。それはまだまだ小さく細長い。
「ざっと、あと二万年ほどは掛かるでしょうね」
エッサが言う。
鍾乳石の先に溜まったしずくがぽたりと落ちていく。
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