第18話 古城にて

翌朝、カーテンを開けるとヴェローナが俺のベッドに座り、じっとしていた。

「その、すみません。えと、イゼットさんを待っていたら寝てしまって」

「別にいい。昨日はどうだった」

「楽しかったです、その」

「屋台はどんなものが売られてるんだ?雑貨とかか」

「お菓子とか、雑貨も売られていました。その、今日もあるらしいので一緒に行きませんか?」

俺は頷き、ヴェローナの横に座る。一昨日の夜と同じように地図を開く。

「昨日はここで祭りがあったんです」

ジャーネット地区とタルカン地区の間にある大きな広場に、ヴェローナは人差し指を差した。紙が軽くへこむ。

「流鏑馬があったんです。小さな子供たちが大きな馬に乗って……今日もあるのかな」

どちらにしろ、祭りは夕方からだ。二人してどこに行きたいかと話し合った。ブラークの漁港はどうか、イグリの温泉街はどうか。ただ思いを巡らせているだけのこの時間がなんともむずがゆく、そして楽しかった。


古城は河口近くの中洲に建っていた。方形屋根のひときわ高い塔が、築山の上に建っている。周囲は木製の柵で囲まれており、内部をうかがうことは出来ない。中洲まではアメナスから石造のアーチ橋が架けられている。街灯も装飾もない殺風景な橋だが、船の運航の為か中央が大きく盛り上がっており、急勾配を作り出していた。

「馬の背って言うんですよ」

ヴェローナは『馬の背』に立ち、手すりにもたれながら言う。河口の方を見ると、ちょうど巨大な帆船がブラーク港から出港したところだった。恐らく、あれがラヴィランに向かうのだ。

橋を渡りきると、城を囲う柵に沿って道が続く。道はこの都市では珍しく未舗装で両脇には青々しく煌めく新緑の草木が繁茂している。

中洲の北側に出ると城の見物客がちらほらと集まっていて、兵士が受付を行う門に吸い込まれていた。当たり前だが、正門は北側なのだ。先ほどのアーチ橋はイビ氏がここを屈服させたのちに架けたのだろう。

正門から中に入ると、外堀を渡す橋が架けられており、その先はまた木製の柵で囲まれていた。橋を渡り、小さな門をくぐると立て看板が見え、そこには仰々しい字体でこう書かれていた。

『外堀には当初河川の水が引き込まれ、水堀であった。川魚が多数生息していたが、やがて汚染が進み、堀の底からは泡が吹き始めた。六代目当主であったツァジンは誤ってこの死の沼に転落し、その短い生涯を終えた』

彼が溺死したのか、それとも汚染された水にのかは定かではない。


アマノトケリの城と同じく、柵の内側は大きな広場になっていた。

柵に沿って居館や、家畜小屋、馬小屋、使用人の家屋、倉庫などが並べられているが、どれも生がなく、作り物のような感覚を覚える。観光用の看板を読むと、それが当時の建物を再現したものだと理解できた。

中に入れないものかと見渡すが、どの建物も扉が閉まっている。もしかすると、中は空っぽなのかもしれない。

城は広場の奥、芝生で覆われた山の上にそびえていた。城まで一直線に続く木製の階段を昇ると、その巨大な城を間近で見ることが出来る。

隙間なく積み上げられた石垣の上に建つそれは二階建てになっていて、長い軒に平行に並べられた無数の垂木と厚みを持った瓦が重厚感を生み出していた。装飾は無いながらも、建材に刻まれた城の老いが、静謐な趣を醸し出している。

城の入り口は裏手にあり、石造りの階段を昇っていくことが出来た。

内部は空っぽだった。アマノトケリの資料館が大盤振る舞いだったのかもしれない。

光がわずかに入る室内は、ちらほらと人がいるというのに静かで、そして寂しい。

ただ、それで良かった。軋む廊下を歩き、細い階段を昇り、二階の廻り縁に出る頃には、三百年前の空気にすっかり酔ってしまっていた。

もぬけの殻になった古城は、不思議な安らぎがあったのだ。それは懐古的なものなのか、薄暗い室内のせいなのか。

廻り縁から外を眺めると、バルカシュ川が創り出した細長い平野とエスファラーイェンの立体的な街並みが見える。トゥオレやセブア地区は平屋建てが多いので低い。タルカンやテッサリト地区に来るとそこから一段高くなる。バヨー地区という貴族が主に住む地区は少し高い台地になっており、台地の端にはイビ氏の居城であるゼラルダ城が街を見下ろすように建てられていた。

ゼラルダ城はこの城とは比較にならない大きさだった。幾つもの塔が高さを競うようにそびえ、あちこちに彫刻が意匠されている。

その優雅で壮大な城を眺めていると、この古城の心地よさの一端が見えたような気がした。

ここはもう終わった場所なのだ。時が進むこともなければ、止まることもない。

それがどうしようもなく、心地よいのだろう。

「イゼットさん」

ヴェローナが廻り縁の反対側から呼んでいる。行ってみるとゴナーバード山の麓に雑然と街が広がっていた。

「エスファラーイェンはあっちだけじゃないですよ」

ふふっと、彼女は笑う。

「でも、昔は違う街だったんだろ」

「そうです。実は、今もそうなんです。川の北ではまだ、自分達をエスファラーイェン人と認めない方も沢山いるそうですから」

面白いなと思う。イラクサが北部と南部に分かれるように、この街は北部と南部に分かれているのだ。

地図を取り出してもう一度自分の居場所を確認する。古城の建つ中洲はバルカシュ川を遮るように描かれている。北部にとってこの城は南部への監視塔のようなものだったのだろう。北部は、貴族たちの住むシャウエン、温泉が有名なイグリ、宿屋と駅があるリューイラと分かれている。

北東で湯気が幾つか立ち上っていた。風に揺らぐ白い湯を見ていると、また、好奇心が湧いてくる。

カブライアの温泉に入ってから、もう一度あの感覚を体験したくて仕方が無かったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る