第17話 夢の墓場

風俗街の外れにある、サザークという小さな酒場に入った。酒場は風俗街のそれと違い、エスファラーイェン風の漆喰に囲まれた建物の中にあった。

デニスの工房と同じく、二階に直接上がることが出来る階段が屋外にあり、それを昇って酒場に入ることが出来る。一階部分は住居か、倉庫として利用されているのだろう。

この酒場を選んだのは、なんとなくという理由ではない。

カラカトで旅商人と飲んだ時、エスファラーイェンで飲むとしたら。という話になり、この酒場が話題に上がったのである。

「美人が多い」

二人は声を揃えた。

「風俗街まで行って酒場に入るなんてと思うだろうが、それくらいで十分と最近は思えるんだ。昔はそれこそ毎週のように風俗に通っていたが」

「ようは、女が接待するということか?」

俺が聞くと、二人は首を振る。

「あくまで接客だ」

何の違いかよくわからなかったが、頷いた。

店のドアを開くと、薄暗い店内の中に長いカウンターがあり、中年の男三人が並んで座っていた。カウンター越しには若い男女がそれぞれ二人いて、元気に接客をしている。

髪の長い男が手を上げ、人差し指で一を作る。俺が一で返すと彼は元気な声で俺をカウンターの奥に案内してくれた。

いざ席に座っても、何を注文をすればいいのか分からない。メニュー表に書かれた文字列をみても、何がどういうものなのか検討がつかないのだ。

「どうします?」

若い女が俺の前に立ち、声を掛けてきた。

「初めてなんだ。正直、よくわからない」

女はそれを聞くと、礼を言って

「では、今どんなものが飲みたいですか。すっきりしたものが飲みたいとか、乳飲料系のものが飲みたいとか」

と聞いてくる。

俺が乳飲料系と答えると、彼女は他にも酒は得意な方かだとか、甘いものは好きかなど質問をして、その答えに沿うような酒を作ってくれた。

マドラーで軽くかき混ぜられて差し出された酒は、少し黄みがかった色をしている。口につけると、甘ったるい味が舌に絡みこんだ。恐らく牛の乳だと思うが、濃い質感が酒のきつさを中和している。酒に弱い俺にとってはありがたい酒だった(酒場に来て、酒に弱いとはなんとも矛盾した話だが)。

「これは混酒、みたいなもの?」

「そうです。どうでしたか?」

「旨い」

ふふっと、彼女は笑う。確かに美人だった。海藻のようにしっとりとまとまった長い髪を肩に掛けている。目は垂れていて、その瞳は青い。目元の泣きほくろと、薄くも艶やかな唇に品のよい色気を感じた。

「モイウンティウムから?」

「カラカトから」

「まあ。とてもそうは思えないけど」

村を発ってから、何度もあった会話だった。まず、俺の背が周りよりも一回り高いこと。肌が白いこと。そして何より訛りがないこと。いつもそのことを指摘される。

「せめて北部人かと思った。でも、カラカトかぁ。どうしてこの街に?」

「旅をしている。ラヴィランまで行く予定だ」

「じゃあ、巡礼?」

「ちょっと違う」

「ふぅん」

暫く、彼女の話になった。マイサと言う名の彼女は、この街に住む多くの者がそうであるように外から来た人間だった。ディスキットという、小さな町だ。

彼女には役者になる夢があった。エスファラーイェンに来たのもそのためだった。ただ生活は苦しく、副業として始めた夜の仕事がいつしか本業になったのだという。

「そういう人間は多いんじゃないかな。ここは、夢の墓場なの。皆田舎で夢を育んで、そしてここで殺していく」

「夢の墓場」

「そう、夢の墓場」

客が入ってくる。男と、女が二人。女は風俗街と同じように露出の高い服装をしている。彼らは俺の左隣に、男を挟むような形で座った。

「お疲れ様」

と俺の接客をしていた女が声を掛けた。男は軽く手を上げる。その細い腕を見て、俺はそいつが誰かわかってしまった。

彼が俺に気づいた。

「どうしたの?」

「いや、昨日のお客さんなんだ」

先日の幌馬車で出会ったハイルーラという青年が、華美な服の裾をぬぐいながら俺に握手を求めてきた。

「ここからじゃ届かないか」

彼は隣の女と席を交代する。改めて彼と握手をすると、残された二人の女が退屈そうに酒を頼んでいた。

「旦那、連れの方は?」

「風俗街を一緒には歩けない」

「ああ、そうですね」

彼はひどく顔を赤らめていた。水を飲むようにと勧めるのだが、一向に飲もうとしない。

「いいですよね。あなたは」

「どうして?」

「イゼットさんは旅人でしょ。仕事してないじゃない。僕は今日休んだらまた仕事だ」

「まあ、そうだな」

「うるさい上官ばかりなんです。何言われるんだろうって思いながら毎日過ごして。朝なんて来なければいいのに」

「それは、俺も思ったことがあるよ」

「へえ、どうして」

「俺も一応、農地の経営をやってはいたから。親父の見様見真似ではあったけど」

「いいなぁ。僕も田舎で農業でいいんですよ」

彼は結局、自分の話しかしなかった。大抵は上官の愚痴と、仕事の話だった。

俺が連れ立って来た女二人のことを聞くと、当然のように三人でと答えた。

「貧民街の子たちなんです。いつもよく絡んでる」

彼がなぁと言って声を掛けると、彼女たちは酒を片手に手を上げる。

「旦那は風俗に行ったことは」

「ない」

「今度、連れて行ってあげますよ」

「それは遠慮しとく」

「何故です」

「いや、まあいいんだよ俺には」

ハイルーラは不満げに酒を注ぐと、ちびちびと口を潤す。

「俺には、酒と女しかないんですよ」

「それで十分じゃないのか」

「いや、俺が言いたいのはですね。俺にはこの夜しかないってことです。昼の俺は死んでいて、夜になってやっと老人のように這いずりまわる」

彼は杯を軽く置き、それをぼうっと見つめる。目はうつろで、口元は震えている。

「ただ、それを満足できなくなったとき、俺はどうなるんでしょうね」


ハイルーラの頼む強い酒のせいで、酔いがいつしか痛みに変わってきた。もう潮時かもしれない。そう伝えても、彼が一向に俺を返そうとしないので、マイサにこっそりと勘定を払い、お手洗いをすると言って外に出た。

もう街灯は消えていた。

人通りも少なく、人魂のようにふらふらと酒飲みたちのランタンが揺れているのみだった。

遅れてマイサが外に出てくる。彼女は俺がランタンを持っているかと心配だったようだ。俺が掲げて見せると、わざわざ階段を降りて挨拶をしてくれる。

また来よう、と思った。確かに居酒屋に比べれば高くつくが、こういうのも悪くない。何より美人がいる。

ランタンがふらふらと揺れる。何故か、この夜が自分のものだと思えてくる。

宿に着き、眠気とともにカーテンを引いた。すると、ベッドは既に取られていた。

ヴェローナだった。布団もかけずに横を向いて蹲っている。

ベッドを間違えたのだろうか。それとも……ずっとここで待っていたのだろうか。

俺は掛布団を彼女に被せ、しばし迷った後、彼女のベッドに体を横たえた。

人の家の、甘い匂いがした。



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