第15話 花売りの少女

トゥオレは昼間に来るべきところではないと思った。

所謂居酒屋が多く、閉まっている店が多かったからだ。

ならばと、俺は昨日デニスから聞いた喫茶店に入った。ハリーデとデニスが初めて出会った喫茶店である。

店内はやけに埃っぽかった。革で包まれた椅子は褪せていて、座るとひんやりと固い感触がある。カウンターは使われていないらしく、本がずらりと並べられていた。

店主らしき老人が水とおしぼりを運んできた。店内は彼と同じくらいの男と、中年の夫婦がいるのみだった。珈琲を二つ頼み、待つ。薄汚れた窓ガラスの向こうにじゃれあう兄弟の姿が見えた。

「ここはどういうお店なんですか?」

「デニスがハリーデと出会った場所なんだ。彼女はここでウェイトレスとして働いていたらしい」

「わぁ、素敵です!どちらが告白されたのですか?」

「デニスの方だと聞いた。まあ、従業員のほうから声を掛けることはないだろうから」

「いいですね。そこで声を掛けなければ、そもそもこの店に入らなければ、恋は始まらなかったのですから」

コーヒーが来た。湯気が揺れている。

「私達があの宿で会ったのも、運命だと思うんです」

俺はコーヒーから目を離し、ヴェローナを見た。

彼女は慌てて両手を振る。

「その、えと、そういう意味ではないんです!ただ、その……」

彼女は一息入れてコーヒーを含む。

「その、あの時イゼットさんがあのベッドにいなかったら、わたしはカラカトで死んでしまっていたのかもしれません。カブライアの温泉だったり、ミアッサの白い岸壁だったり、あのウミガメの産卵も見ることが出来なかったんです」

彼女は手を膝に置いた。

「だから、イゼットさんは運命の人なんです」


アメナスの市場は場内市場と場外市場に分かれていた。場内市場は仲卸業者と卸売業者の取引場所であり、一般客は入ることができない。対して場外市場は一般客が買い物や飲食をすることが出来る。言ってしまえば商店街のようなものだ。

場外市場はアメナスの東部に延びる大きい通りをメインストリートとして、川と内陸へと枝分かれしていた。

店の形態は様々で鮮魚をそのまま並べている店もあれば、切り身にして提供している店もある。飲食だけが出来る屋台もあり、海鮮丼や刺身などの生食から、炭火で焼いたイカ、タコ、またアジの開き等が食べられる。

川魚も売られている。フナ、アユ、鮭等が主だ。海産物はイラクサ各地の物が入ってきているが、川産物はバルカシュ川のものがほとんどだった。

屋台を冷やかしていると特に目につくのが牡蠣だった。他の海産物に比べれば圧倒的に安い。屋台では大抵、生で出された。牡蠣の上にレモンを絞ると、ウイスキーのロックを牡蠣にかけ、そのまま吸い込む。試しにとやってみたが、どうも苦手だった。思わず吐きそうになる。口の中に広がる感触を消そうと牡蠣の殻にウイスキーを入れてもらい、また飲み込む。ヴェローナは魚類が苦手だったので魚の匂いを嗅いだだけでも閉口していたが、牡蠣に悶絶する俺を見てより一層顔をしかめた。

何処かに魚類以外のものが売ってはいないかと(魚市場に来たというのに)探していると、市場の外れにサンドイッチを売る店があったのでそこに入った。

小さな店で、カウンターがあるのみだった。メニューは魚類のフライをサンドしたものばかりだが、一つだけチキンサンドがあったのでそれを注文する。

「これじゃ、魚市場に来た意味が無いですね」

ヴェローナが申し訳なさそうに呟く。

食事が終わり、なんとなく古城にいくのが億劫になってきた。

地図をみるとここから東方にいけばジャーネットという青果市場に行きつくとのことだった。ジャーネットからまた環状線を通り東方に進めばテッサリトに行きつく。今日はこの地区をみてから一度宿に帰った方がよいかもしれない。

そう思ってアメナスからジャーネットに向かった。

ジャーネットもアメナスと同様に場内市場と場外市場に分かれているのだが、場外市場は通りの一角のみだった。俺達はオレンジや葡萄や梅などの果物、キャベツやセロリなどの野菜が整然と並べられた店先を丹念に冷やかして回った。店員は椅子に腰かけてぼぅっとしており、こちらに見向きもしない。終いには店員同士で会話を始める始末だった。

俺はなんだか寂しい気持ちになり、路地を抜けて立ち去ろうとした。

「イゼットさん」

ヴェローナが俺の服を引っ張る。先ほど入っていた店の脇で、少女がバケットに入れた花の一本をこちらに差し出していた。白いフリージアだった。純白の美しさと対照的に、少女の服と体は薄汚れ、ただその青い色をした瞳だけが澄んで見えた。

「二本くれ」

そう言うと彼女はもう一本をバケットからつまんで差し出す。銅貨を渡すと彼女はそれを右手で握りしめ、ポケットに入れる。

「ありがとう」

彼女はいつまでここで花を売り続けるのだろう。十年後か、二十年後か。いずれにしても、俺は彼女に花を買ってやることしかできない。

白いフリージアを眺めながら、ただただ虚しさだけが心の中に広がっていった。

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