第11話 大熊が死んだ

集落を抜けて山の麓に来たところで、レヴェントが振り返る。

「ここから少し登るよ」

見ると石段が山を張っているのが見えた。これは骨が折れると確信する。

実際、山道は永遠ともいえるほど長かった。

馬車がカブライアに着いた時点で日は赤くなっていたから山はすぐ暗くなってしまった。ランタンの明かりに沿って進むが、開けた石段の道でなければすぐに迷ってしまうだろう。ただその石段も問題を抱えていた。

石段は一段一段の高さがばらばらで、普通に歩いていてもすぐに躓いてしまう。なので足元を見ながらゆっくりと歩いていくしかないのだ。

俺は山の人間だからまだましなものの、ヴェローナは山歩きに慣れていない。途中、休憩をすると息をきらしながらその場に座り込んでしまう。レヴェントは何度も休憩を用意してくれたが、少し焦っているようにも思える。

暫く歩いて針葉樹の森を抜ける。すると右方に低木の森が、そして左方には青々とした草に包まれた緩い斜面が見えた。

青い草原を登っていく。風が緩く流れている。雨雲が低空を鈍行し、手が届きそうに思える。

草原を進むとのっぺりとした岩がかさぶたのように広がっているのが見える。さらに進むと岩の下は空洞になっており、深い暗闇だけが続いていた。

レヴェントはおもむろに右手を口に当てると、指笛を一定のリズムで吹く。乾いた、甲高い響きがこだましていく。

暫くすると暗闇が動き始め、鎧に身を包んだ男達が現れた。

「殿下」

背の低い一人の男が歩み寄ってきた。黒い毛皮を身にまとい全身は革の鎧で覆われている。顎と口の髭が長く伸びていて、胸のあたりまで届くほどだった。

男はレヴェントと抱擁をかわし、そして握手をする。

「ご無事で」

「父上は?」

「今朝ほど……。そちらの二人は」

「私の恩人だ。褒美をやりたい」

「かしこまりました」

髭男がこちらにお辞儀をして、洞窟の中へと案内する。

先ほどまで暗かった洞窟の中にはいくつもの松明の火が灯されていた。

幾人もの男達が洞窟の両側にひざまずき、レヴェントを出迎える。手に包帯を巻いた者、切り傷がそこら中にこびりついている者、その誰もが彼を静かに祝福していた。

建物でいえば広間のような広い空間に出る。

華美な絨毯が敷かれており、絨毯の中央に木製の巨大な棺が置かれている。

棺の中には、恐ろしく太った男が詰められていた。男の右方には槍、左方には大刀、そして頭上には鏡が副葬品として納められている。男はこれまた髭を延ばしていて、装飾品の首飾りが髭の下に隠れている。頭は剥げており、死んで何時間も経つというのに光を帯びていた。

レヴェントは彼の前に膝まづく。

左手を首と、右脇と、両太もも、口に順番にあて、最後に手のひらを棺に向ける。

彼はしばらく沈黙し祈りを捧げていたが、不意に口を開いた。

「大熊は死んだ。父はもういない」

レヴェントの声が響いた。泣き出す者もいる。悲痛な空気が充満していた。

誰も何も言わない中、髭男がゆっくりと彼に歩み寄る。彼は長剣を鞘から抜き、胸の前で構える。

「後事はあなたに託されました」

レヴェントは髭男の方へ向き直り、ひざまづいて手を組む。髭男は彼の左肩にそっと長剣を乗せる。

「ミハイル殿下に代わり、臣下イルハンにより王位継承を行う。エーザー・セレンは神の気高い血を引き継いだ唯一の男であり、エマルムードの唯一の王である。臣民は王の唯一性を認めると共に信仰と、高潔性と、そして民への慈愛を求める」

レヴェントは目を瞑り、右手を胸に当てた。

「私は、信仰に忠実で、嘘偽りのないこと。そして臣民のために祈り、戦い、慈しみを持つことを誓う」


運賃の何十倍もの金貨が支払われる。はっきり言って非常にありがたかった。

レヴェントは俺を草原に突き出た岩場に連れていく。岩場から遠方を覗くと暗くよどんだ空の光がぼんやりと山々を映し出しているのが見える。

「帰りには松明を持った兵士を二人同伴させよう」

「お気遣いありがとうございます」

「敬語にならないでくれ。君は何歳だ?」

「二十二です」

「では私の方が年下だ。……君のように年の近い人間が周りにいなくてな。ざっくばらんに話すことに憧れがあるのだ」

そうはいってもと思ったが、王の頼みだ。

「君は巡礼に出ているとあの家族に話していたな」

「ええ……ああ、でも本当は巡礼はしていない。ただ放浪の旅をしているだけだ。あてもなく、無意味な旅を」

エーザーの髪が風になびく。コバルトブルーの目がきらめく。

「いいな。私もそんな旅をしてみたい。ただ、私にはエマルムードがある。父との約束がある」

彼はその瞳でアククラ山地のうねりを眺めていた。

「約束が果たされればどうするんだ」

「この島を一つにしたい。この島に、王は一人で十分だ」

俺は岩場を靴でこする。

「それを成し遂げても、殿下はいつか死んでしまう」

「君だってそうだろう」

確かにそうだ。レヴェントは笑うと、君の言いたいことはわかると呟く。

「何かを残したいのだろう。この世界に自分がいたという証を。私が死んだとき、君が私を偉大な王だったと言ってくれれば満足だ」

エーザーは踵を返す。風はやみ、彼の目が隠れた。

「ああ、そうだ。エマルムード……首都のイドリツァに来たときはこれを城の衛兵に見せてほしい。君たちにはまた会いたいんだ」

サファイアが埋め込まれたロケットペンダントだった。中を開けると、王直筆の招待状が挟まれている。

「彼女とはずっとか」

「彼女?ヴェローナのことか」

「ああ、そうだ」

「いや、エスファラーイェンで別れる予定だ」

彼は、ううむと唸る。そして口元がだらしなく緩んだ。

「それは残念。彼女はいい女だから……」

違和感のある沈黙が続く。王であっても、いや、王であるからこそ、そういった欲望は強いのかもしれない。

俺は少し迷った後、彼に手を差し出す。

「陛下、また会いましょう。レヴェント、ではなかったですね」

彼はふっと笑い、威厳のある顔つきに戻る。

「私はエマルムード王国第九代国王、エーザー・セレンだ。イドリツァで君の話を聞くのを楽しみにしている」

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