第10話 馬車に揺られて

幌馬車には俺達以外に小さな赤ん坊を連れた三人家族を乗せて出発した。他は兵士が助手席とワゴンに乗り込んでいた。

ワゴンに乗り込んだ兵士は無口な男で鞘に入った剣を杖のように股の間に立て、じっと目を瞑っている。兵士がいるためか変な緊張感が最初はあったものの、街道が川と合流し、バルラスの居城を通り過ぎる頃には三人家族とも会話が弾むようになっていた。

父親はデニス、母親はハリーデ、そして赤ん坊はパシャという男の子。エスファラーイェンで衣服の職人を営んでいるらしいが、母親の里帰りでアイラナまで行っていたのだと言う。

「この時期に里帰りなんて珍しいですね」

俺が言うと旦那が付け足した。

「結婚式があったんですよ。こいつのはとこが」

「はとこじゃないわ。いとこの子供よ」

「じゃあ、何にあたるんだ?はとこは?」

「それはいとこのいとこでしょ。……お兄さんたちは?」

俺とヴェローナに交互に手が差し出された。レヴェントは旅の一行と認識されていない様だった。

「カラカトから巡礼の旅に出ています」

「どこまで?」

「ラヴィランまで」

「そう、あなたは?」

ハリーデが手をレヴェントに差し出した。

レヴェントは腕を組み、金色の髪に顔を隠していた。

「バディーニで三年山岳修行をやって、地元のカブライアの社に戻る途中です。薄汚れた出で立ちで申し訳ありません」

彼の声は見た目の割に渋く、ギターの六弦のような響きがあった。そしてその響きがよどみなく流れていくのを聞いていると、不思議となるほどそうかと納得してしまいそうな感覚があった。

ヴェローナは小さなパシャと関わりたがった。デニスが彼女の太ももにパシャを乗せると、ヴェローナは彼の手の平に中指で文字を書く。

「これで、この子は幸せに暮らせますよ。これからも、ずっと」

彼女はパシャの両手をゆらゆらと、手を振る様に揺らす。パシャは小さな口を開けてされるがままに、楽しそうでも悲しそうでもなく、ただその陶器のように透き通った顔できょろきょろとあたりを見渡していた。

「山が近くなりましたね」

レヴェントが言う。

険しい山々が、川に迫っていた。


山を進む馬車の動きは、恐らく歩くよりも遅いものだった。蹄が地面を跳ねる音が子守り歌のようにゆったりと、一定の間隔で流れていく。パシャは車輪の振動に揺れながらその小さな瞼を閉じていた。

急に森が開けた。薄黒い雲が空に蓋をしているせいか、それほど開放感はない。

ワゴンの全面に行き顔を出してみると、砂漠の中に出来たオアシスのように、田畑を広げた盆地が映し出されていた。川は盆地を二つに分け、中洲に野鳥を集めながらまた山々の中へと消えていく。

川の名はテルメスと言い、ダリヤ川とは反対方向に延びている。テルメス川は山々を抜け、バルカシュ川に合流し海へ流れ出す。エスファラーイェンはバルカシュ川の河口にあった。

「ここで一泊します」

中年の男が言う。ここがカブライアということだ。

馬車が橋を渡り、民家が立ち並ぶ、この村のメインストリートのような通りに入る。

途端に、俺は宿をどうするか考えていないことに気づいた。デニスに聞くと、民宿がこの通りに六軒ほど立ち並んでいるとのことだった。ベルキス街道の中継地点ということもあって宿を求めるものも多いのだろう。

「何かの縁ですし、同じ宿に泊まりませんか?」

メインストリートを少し行った先の駅でワゴンから降りると、デニスが言った。

確かにここまで来て違う宿に泊まることもないだろう。

勿論同意した。

「あなたは、ここで?」

ヴェローナが馬車からそろりと降りながら、一人馬車に残るレヴェントに言う。

「そうですが、あなたたちには借りがありますので」

そうだった。ここまでの運賃をこちらが代わりに払っていたのだ。

デニス達をいったん見送った後、レヴェントの招きに従って勾配のある道を昇っていく。彼は幾分軽い足取りで迷いなく道を選んでいる。

カブライアはシャグモに似ていた。茅葺屋根の住居が建ち並び、山の麓にはとりわけ大きな富農の屋敷が姿を見せている。少し感傷に浸っていたが気づく。

まだシャグモを出発して一週間しかたっていないのだ。

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