第9話 怪しげな青年

ミアッサを離れて、アマノトケリの安宿に一泊した。

ミアッサの快適な宿に二泊もしたせいか、二段ベッドに体を横たえてもなかなか寝付くことは出来なかった。

アマノトケリは二つの川に挟まれた沖積平野に位置しており、街の中心にはその地理的条件を生かして小さな平城が建てられていた。それは円錐型の屋根を持つ側塔を四つ有しており、塔は石積みの城壁でつながれている。城壁の中には居館が隠れており、瓦葺きの屋根を覗かせていた。

城はもう使われていない。クヌート家の当主であるバルラスは商人や漁民の力が強いこの地を好まず、城を北方のオクチャプリに移した。

というわけで城はほぼもぬけの殻だが、旅人の為に一般開放されており、内部を見学することが出来る(当然、金は取られる。思った以上に高い)。俺達は一泊した翌朝、城を訪ねてみることにした。

見物客は多く、また多種多様である。神官や、行商人、また北方の聖職者もいる。

城門をくぐるとまず馬車一台ほどしかない幅の道が何度も曲がりくねり続いていくことになる。それが終わったかと思うと、今度は正方形の広場に出て、広場からまた細い道を通り抜けると居城へと続く門が姿を現す。

居館はだだっ広い広場の奥にあったが、石造りの倉庫をそのまま大きくしたような出で立ちでありなんとも味気なく見えた。

居館に入ることは出来なかったが、四つある塔のうち一つに入ることが出来た。塔の内側にある螺旋階段を昇っていくと、階を上がるごとに見物客用の展示品が用意されており、それらを間近で見られる。大抵は塔の中で使われていた拷問器具であったり食物貯蔵用の樽といった感じの貧相なものであり、金目のものはほぼ置かれていない。ただ、各階ごとに兵士が常駐していて盗みを働かないようこちらを監視していた。

屋上に着くと、風が地上よりも早く感じられた。ヴェローナは髪を手で押さえながらまた海を見ている。

俺は北方に目をやる。市街地は案外小さく、広い平野には畑が整然と並べられていた。これまで海岸線を辿ってきたベルキス街道は、畑の中を縫ってダリヤ川の川沿いを伝い、山脈の中に消えていく。海岸線が急峻だからかもしれない。他に道が無いか宿屋の主人に聞いておくべきだったと後悔した。


市場で八百屋の親父に話を聞いた。

「エスファラーイェンに行きたいのだが、海岸沿いの道はないか」

「海岸沿い?いや、ない。ベルキス街道だけだ。もしくは船を使えばいい」

「船か……。エスファラーイェンまで歩いてどれくらいだ」

八百屋の親父は目を丸くする。

「歩いてか。いや、それは無理だ。歩いてだととてもじゃないが時間と体力がもたない。あそこは。やめておいたほうがいい。駅場を使いなさい。クヌート家認可の業者だから法外な金額もとられまい」

親父は丁寧にも駅の場所を教えてくれた。

「金はどのくらいだ」

「最近の相場はわからん。俺は何年も乗っていない」

「そうか」

親父に礼を言い教えてもらった場所まで少し歩く。駅は町はずれにあるようだった。

「わたしも、その、カラカトまでは駅馬車で来ました」

ヴェローナが顔を出して言う。

「エスファラーイェンからアマノトケリまでどのくらいだったか」

「いえ、その、そこは良く知りません……」

自分の足で歩けるならば、と思ったがどのくらいの山なのか俺にもよくわからなかった。今回はひとまず、駅馬車を使うのが無難かもしれない。

「あんたも帰れるな」

「え?」

「エスファラーイェンが故郷だろ」

「ええ、そうでしたね。その、なんだかあっという間のような気がして」

「ああ」

駅に着く。駅は土塀に囲まれた敷地内にあって、大きな門がその口を開けている。

門をくぐると正面に広場があり、その奥に二階建ての駅舎がある。駅舎は一階部分が車庫になっていて、幌馬車が整列して収納されていた。

中年の男が俺達に気づいて声を掛けてくる。

「御用は?」

「エスファラーイェンに行きたい」

「承知しました。次の時鐘が鳴れば出発の準備をしますので」

費用を聞くと、思ったよりも安い。変に歩いて疲れるよりも安上がりかもしれない。

行程としてはアククラ山地を走り、山地内のカブライアという村で一泊、そしてまた山中を抜けエスファラーイェンへと抜けることになる。

待っている間、駅の周辺をぶらつく。ただ旅人が楽しめるような場所は近くにない。住宅がただ並べられた街区が続くだけで、店という店もなかった。

暫く歩いて駅に戻ると、門の脇にある塀に男がもたれ掛かっている。彼は蓑笠で身を包み、右ひざを立て、顔を隠すように俯いている。

旅客だろうか。しかし、駅を利用するならばわざわざ外で待つ必要もない。ならば乞食だろうか。それにしてはここは場所が悪すぎる。

そんなことを思いながらも門を抜けようとすると、男が声を掛けてきた。

「待ってくれ、そこのご両人」

彼は顔を上げる。髭と伸びきった髪に隠されてはいるが、端正な顔立ちをしている。

顔は左右対称で、荒っぽい髭以外は染み一つない。

鼻は高く、そして長く、その下にある薄い唇を映えさせている。

切れ長の目は厚いまつ毛に覆われ、コバルトブルーの鮮やかさを保っていた。

彼はすっと立ち上がると、俺達に握手を求める。

「僕はレヴェントという。イラクサで巡礼をしている。今度はカブライアまで歩いて行きたいと思っていたのだが、宿の主人に反対を受けてね」

どうやら一緒に乗せてもらえないかという相談らしい。俺とヴェローナが挨拶すると、彼は特にヴェローナに対してうやうやしく挨拶をした。

「カブライアに着いたらきちんとそれまでの運賃は立て替える。だからそれまで馬車に乗せてもらえないだろうか」

「そうは言うが、あてはあるのか」

「ああ、カブライアには昔世話になった親族がいる。今回もそこに厄介になるつもりだったんだ」

なんとなく嘘くさい。だが彼の口ぶりや立ち振る舞いから、どうやら上流階級の出であることは分かる。何か訳ありの事情があって放浪しているのだろうか。

金額としては大したことない。ただ訳ありの人間と金の貸し借りをして厄介ごとに巻き込まれることも考えれる。

俺が迷っているとヴェローナが服の袖を引っ張って、門の反対側の支柱へ連れていく。

「イゼットさん。彼も乗せられませんか」

彼女はレヴェントを見ながら言う。

「いや、しかし」

「でも、困っています」

「そうか。なんだかにやついているようにみえるが」

「その、えと……」

彼女は俺を見る。

「イゼットは、私からお金を取ったりしてないです」

「まあ、そうだ」

「私の正体を知らなくて、カラカトで出会っただけなのに、こうして一緒に旅しています」

「ああ」

「だから、ですね。私と彼は同じ状況なんです。自分一人じゃどうしようもなくて、とにかく助けを求めてるんです」

俺は頭を掻く。彼女にそう言われれば、乗せない選択肢はないだろう。

もしここで俺が断ったとして、彼女がどんな表情をするか。

哀しみか、怒りか、どちらにしてもそんな表情を俺は見たくなかった。

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