第3話 カーテンの向こう
しばらく寝てしまった。
あたりは暗くなっていたが、賑わいは増しているように思える。ベッドから降り、窓を開けてみると、幾つものランタンが街路を飛び回っていた。
俺はバックパックを背負い、外に出る。
このあたりは街灯が無いのだが、それを感じさせない人通りと光が賑わいを感じさせた。宿屋街でこうなのだからと、飲食店街にも足を延ばしてみると、街灯の淡いオレンジ色の光に照らされた町並みは昼間よりも一層色味を増しており、方々から流れてくる叙情的な音楽によって穏やかな空間を作り出していた。
飲食店は大抵客席が街路を侵食している。食にありつくためには残された細い道を進みながら左右に目を向け、空いている席がないかどうか確認するしかない。
提供されているのは海産物がほとんどで、ハモ・タイ・カツオ・マグロなどが刺身や、煮物、焼き物などで提供される。この辺りは特にカツオの刺身が絶品とのことで旅人たちは芋酒を片手にその味を噛みしめていた。
俺は飲食店街を半分ほど過ぎたところで引き返すことにした。確かに魅力的ではあるものの、人でごった返していて座れる席が無かったし、食べ歩こうにも道が細いため、どうにも具合が悪いと思ったからだ。
宿の主人から聞いていた店に着く。
店は杉の平板で囲まれているが、ところどころ隙間があり、オレンジ色の光が漏れている。屋根は右に傾いていて、今にも崩れてしまいそうだった。
中に入ると席はカウンターのみで、5人分の席が用意されていた。先客が二人ほどいて、俺を一瞥する。俺は会釈し、一番端の席についた。
主人は無口な男だった。そして客二人もそうだった。魚を焼く音、野菜を切る音等が鳴り、静寂の中に響いていた。
主人が注文を聞いてきたので何がいいかと質問すると、意外にも川魚の名前が返ってきた。イワナ・ヤマメ・アユ等がパグラム川から良く獲れるらしく、特にアユが美味らしい。俺はアユの塩焼きと芋酒を注文する。芋酒は杯にすぐ注がれ、少し口をつけてからアユの到着を待った。
「お前は旅商人か?」
少しして、先客のうちの一人が聞いてきた。
「そんなところだ」
「エスファラーイェンから?」
「そこへ向かう」
「なるほど」
そこからしばし沈黙があった。アユが出され、俺は腹からかぶりつく。塩味とやわらかくあっさりとした肉が口の中に広がる。
「セレン家が王宮から追放されたらしい」
先ほどの客とは別の客が口を開いた。
「エスファラーイェンより北方へ向かう時は、気を付けたほうがいい」
二人はイラクサ北部のエスファラーイェンから出発し、バディーニまで行くとのことで、俺は今回が初めての旅と伝えて、宿や、通行路、酒場について聞いていった。
芋酒が増えてくると、二人は少し機嫌が良くなり、口数も増していく。飲み過ぎてしまっていることには気が付いていたが、中々別れを切り出せずにいると、主人がぼそりと閉店する旨を伝えた。初日にしては痛い出費だった。
宿のベッドに潜り込んだ時には街路の光は消え失せ、どこからか聞こえる夜虫の鳴き声が聞こえるのみだった。
大抵の人は酒を飲むと眠気を感じるらしいが、俺は対照的に目が覚めてしまう。寝る態勢を何度か変えて目を瞑るが、眠気はやってきそうにない。
観念して仰向けになり、ただずっと空を見ながら明日のことについて考える。
まだこの街に留まるか、出発するかも未定だった。
「その、隣の方、起きてらっしゃいますか?」
急に女性の声がして俺は首を右に向ける。そういえば隣のベッドに客がいると主人に聞いていた。
「起きている。あんたは?」
カーテン越しに返事をする。
「私も起きています。その、中々眠れないものですから」
「酒の飲みすぎだとか?」
「えと、私、お酒を飲んだことはありません」
「では、なぜ」
「不安で……、実は私、家出をした身なのです」
不思議な感覚だった。名前も、姿も知らない人間が俺に語り掛けている。
「私は、家族を裏切ってしまいました」
彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。
俺は目を瞑ろうとして、そして目を開けて、カーテンに向かって寝返りをうった。
「俺も同じだ」
「……あなたも」
「俺も家出をした。あんたと同じだ」
だからどうというわけでもないだろう。そこから何か言葉が出てくればいいのだが、中々適当な言葉が見つからない。
「俺は、……何と言うのだろう。昔から仕事のできない男だったから。巡礼にでると言うと、ひどく歓迎された。親父にも弟にも疎まれていたんだ」
なんだか自分に話しているように思える。
「だから、なんていうんだろうな」
それ以上言葉が出てこない。すこし恥ずかしくなってきて反対側に寝返りを打つ。
「ありがとう」
彼女の声が聞こえた。
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