第2話 喧騒と静寂
カラカトには休憩も含めてもそう時間をかけずに着くことが出来た。
パグラム川を渡り、河川堤防の上から市街を見下ろすと、焼杉の黒い外壁で統一された家屋が一面に広がる様が見て取れる。市道を挟んで左右には広葉樹林に囲まれた山が有り、海面から突き出た小島のように円錐型の山容を突き出していた。
山の中にはバディーニの別宮であるセビトリアがある。元々はカラカトの市民が信仰する別の神が祀られていたが、バディーニの神人に制圧されてしまった。カラカトの市民も自分たちが昔信仰していた神々についてもうすでに忘れてしまっている。
堤防を降り市道を歩いていくと、これまで通ってきた街道に比べ、人通りの多さが感じられる。人の種類についても巡礼者や商人だけでなく、カラカトの市民であろう少年少女やその母親、たくましい体つきの漁民たちがまさに縦横無尽に行き交っていた。また道の両脇には商店が軒を連ねていて、客寄せをしている。これは村では見れない光景で、彼らの珍妙な話術を聞いているのも何とも面白い。
喧騒を後目にセビトリアへ続く階段に足を踏み入れると、とたんに騒がしい声が遠くなり、静寂に包まれていく。二百段ほどの階段にはかなりの勾配がついており、老人等は上がってこれないように思える。しばらくして階段を昇りきると、高さ数十メートルはあろうかという立派な門が姿をあらわす。門の両柱には意匠が施されていて、右方に山の守り神であるカモシカが、左方には海の守り神であるシャチが互いの視線を向けていた。
セビトリアに形だけの祈りを捧げ、辺りを散策する。
神苑に入ると大勢のバディーニ神人が武術の訓練を開始していた。
周囲には人だかりが出来ていて神人の一挙手一投足に感嘆の声をもらす。確かに彼らの動きには無駄がなく、そして美しい。
しばらくそれを眺めているとけたたましい小太鼓の音と共に物売りがやってくる。見ると煎餅や干し芋、葡萄ジュースなんかが供されていた。神人の方も規制はしないようで彼らの甲高い声に集中を削がれることなく訓練を続けている。
やがて訓練が終わると人垣も崩れ、物売りも去っていく。
神苑には俺一人が取り残された。
門をくぐって、もと来た市道に戻る。丁字路を右方に行けば先ほどの商店街であり、左方にいけば港へと向かうことが出来る。前方に行けば飲食店がのぼりや看板を掲げて客を手招きしている。
俺は前方に向かうことにした。食事がしたかったわけではない。携行食として持ち歩いていた干飯と果物はまだ一食分残っていたし、腹も減っていなかった。目的地は飲食店街ではなく、道の突き当りから左右に延びる安宿街である。もちろんさきほどの巡礼者から託された手紙もそうだが、寝床しか用意されいないようなぼろくさい宿に泊まってみたいと言う気持ちがあった。俺は父に連れられてカラカトで宿泊することもあったが、大抵漁業連合近くにあるそれなりの規模を持つ宿しか泊ったことが無かったのだ。
俺は突き当りを左方に進み、宿屋周辺の人々を観察した。市道周辺に比べ、小汚い人たちはいるものの、浮浪者というほどでもなく、中には豪勢な服を着た男女などもいた。
宿はどれも似たり寄ったりの木造建築で、どこがよいのか判別がつきにくい。商人たちには行きつけの場所があるのか、吸い込まれるように扉を叩いていく。
いやらしいのはただの安宿に混じって風俗店が点在していることだった。
大抵の風俗店は美しいドレスに身を包んだ女たちが店の前で客引きをしているので直ぐにわかる。
『灯篭』はそんな客引きがいない、比較的落ち着いた場所に居を構えていた。
中に入ってみると天井から大小さまざまな瓢箪が吊り下げられた細長い廊下が続いており、廊下の奥から少し肥えた男が俺を手招きしていた。
風俗店に入ってやしないかと不安がよぎったが、男は広間のテーブルに俺を座らせて宿泊日数と食事について聞いてきた。
「飯も出るのか」
「ああ、ただ、朝食だけだ。この辺りは飲食店が多いから夕食は誰も食べてくれなくてね」
朝食付きでも素泊まりとほぼ変わらない金額だったため、朝食つきでサインをする。夕食でおすすめの場所を聞くと、飲食店街の店ではなく、宿屋街のはずれにある店を勧められた。飲食街の店は旅人用に少し料金設定を高めにしているらしく、カラカト市民はあまり寄り付かないらしい。
サインを終えると各設備の案内を受ける。まず、洗面台と便所に案内された。どちらも広場の西方にある部屋に押し込められていて、部屋の前には暖簾が掛けられていた。主人曰く、暖簾を降ろしておくと、使用中。暖簾を巻いておくと空きということらしい。宿泊場所は広間北側にあり、二段ベッドが左右に並び、またなぜか瓢箪がいくつも天井からぶら下がっていた。
部屋の奥にある二段ベッドの下段が俺の寝床だった。主人は荷物を降ろすように促し、向かいのベッドを指さした。
「客はあんた以外、あそこだけ。今寝ているようだから起こさないようにな」
「わかった。ああ、それと」
俺が手紙を差し出すと、主人は驚いた表情で便箋を開け、まじまじと手紙の文面を眺めていった。俺がベッドにバックパックを降ろそうとすると、主人が腕を両目にあて、泣き始めていた。
とても理由は聞けなかった。
ひとしきり泣いた後、主人は無礼を詫びて部屋から出ていく。
俺はベッドの上で横になる。向かいのベッドには木綿のカーテンが掛けられていて、向かいの人間の姿は見えなかった。
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