第23話 四大貴族 リヒトとケインとクレイバル
シエンが向かったのは、王城の中にある憲兵団の詰所。
今日ここに来た理由は、トレドの町であったツーデンの尋問のためだ。
皇帝暗殺事件に関わる何かを知っている。あるいは、何者かと関係を持っている可能性がある。
しかし、ツーデンはシエンから爪を剝がされようと、水責めをされようと頑なに情報を吐くことはなかった。
それは、ツーデンが帝国法を熟知していたからだろう。
帝国の法律では、法を犯した人間は帝国王都の裁判所にて厳正なる裁判を受け、罪状が確定される。
逆に言ってしまえば、裁判所で判決が下っていない人間は罪人ではない。
この疑わしきを罰せない法律のため、シエンがしていることは容疑者とはいえ、罪状が確定していない人間を尋問、拘束をしていることになる。
拷問に掛けることなどもってのほかだ。
それゆえに、シエン自身の潔白を証明するため、ひとまずは王都へ身柄を輸送し、尋問は裁判を待っている間にしてほしい。
これ以上はシエンの違法行為を、憲兵という法の名のもとに人々を守る人間として見逃すことはできかねる。
シエンの上官に当たる人物からはそう通達があった。
シエンはまがりなりにも一介の憲兵の身。
先ほどの容疑者の必要以上の拘束、拷問だけではなく、神器の許可なき利用、上官に知らせず単独での捜査と数々の憲兵団規則を違反しているため、下手すればシエンも法の下で裁かれかねない。
上官に黙認してもらいかろうじて首の皮一枚つながっているシエンは、しぶしぶツーデンの身柄を憲兵団へ引き渡したのだった。
そして今日、王都へ輸送されたツーデンが到着する日。
裁判は長続きするだろうが、関係ない。シエンは裁判以外の時間をツーデンに付きまとい、ここですべてを吐かせるつもりでいた。二年も追いかけ続けた事件の手掛かりがようやく手に入った。みすみす逃すつもりはない。
高鳴る鼓動を押さえつつ、シエンは憲兵団詰所の扉を開いた。
中にいたのは、随所にきらびやかな装飾が施された銀色の鎧を着ている男。
整った顔の優男だが、真一文字に結んだ口から表情が読み解けないのでどこか不愛想と感じてしまう。
ところどころはねている青みがかかった銀髪や寝不足でできたであろう目のまわりのくまがいっそう彼が不機嫌なように見えてしまう。
しかし、その疲労感は日頃の職位や自身の出自もいくらか関係があるのだろう。
彼こそシエンの現在の上官、そして、現憲兵団長を勤める男。
そして、四大貴族のうち一つ、ブルーローズ家出身の、唯一の男児。
ペルセウス座の神器を持つレガシリア。
通称『聖騎士』リヒト・ブルーローズだ。
「よォ。リヒト」
「お疲れ様、シエン」
気さくに挨拶をしたシエンに対し、リヒトは不愛想な顔を少し緩ませながら返事をする。
上官に対する言葉遣いではない。
しかし、出自から歳の近い同性の友人がいないリヒトにとって、彼のように地位にとらわれず対応してくれる人間は非常にありがたく、特に注意はしていなかった。
「俺と同い年なのに憲兵団長様は頑張るねえ。寝不足か?」
「そういう君こそ。酷いくまだぞ。鏡を見てくるといい。お互い様だよ」
「だな。さて、俺がここに来た理由はもう説明する必要はねェよな?」
「…………ああ。今回の容疑者の、話だな。シエン。落ち着いて聞いてくれ」
少しの間があり、リヒトは重々しく口を開いた。
「あの容疑者だが……帝国王都の護送中、何者かに暗殺された」
暗殺された。
その言葉を聞いた瞬間に、シエンは目の前が真っ赤になった。
「――――テメェがいながら何故そうなっている!」
シエンはリヒトが座る机に拳をたたきつけて吠えた。
「容疑者とはいえ要人警護だぞ……! 国の自治組織が、そんなのでどうする!」
「返す言葉もない……護送にレガシリアは派遣したんだ……でも」
「丸投げしたのかテメェッ!」
怒りが収まらないシエンは、リヒトの首根っこを掴んで無理やり立たせた。
「違う! その日は御三家の会合が急に入って…………」
「ガタガタうるせえッ! 他の二強にひっぱられて身動きがとれなくなるのは、まさに日和見ブルーローズの仕草だろうが! そういうのを一番嫌っていたのはテメェじゃねえのかよ!」
ぐ、リヒトは言葉に詰まる。
「…………すまない」
シエンはリヒトの首を握る手に、力がこもってしまう。
「テメェにわかるか……毎日悪夢にうなされて夜もロクに寝れやしねえ。血反吐吐きながら、泥臭くやりながら! 片っ端から調べ続け! どんな些細な情報でも、現地に行って確かめた! 気が付けば、二年だ! 日に日に新たな情報は目減りしていく! 進まない捜査に、焦るこの俺の気持ちがよおッッ! ようやく掴んだ、皇帝暗殺事件の真犯人へと繋がるシッポだぞ! 二年もかけて、ようやく見つけた犯人が!」
「シエン! 落ち着いてくれ!」
「落ち着いて茶でも飲むのかよ!」
「すまない、この件は僕に責任がある! 冷静に話を……」
シエンは思い出す。
リヒトの出身である、ブルーローズ家は政治の場において四大貴族のパワーバランスをとる中立派となることが多かった。
しかし、それゆえに目立つことはせず、ただただ動かないブルーローズ家は、人々にこう呼ばれた。
『日和見ブルーローズ』と。
リヒトはそんな中、貴族の身でありながらも神器を使える自分が、そんなことでよいのかと考え、軍属となった。
そう、熱く語っていた彼が、今や疲れ切った目をして、この場をなあなあで治めようとしている。
あの日の真剣な目を覚えているからこそ、シエンはリヒトの現状に苛立ちを抑えることができなかった。
「すまねェで済んだら、憲兵は要らねえだろうが!!」
拳を握って振りかざす。
「根性叩き直してやらァ! 歯ァ食いしばれ!」
言われた通り、リヒトは素直に顎に力をいれ、衝撃に備える。
「—――そこまで!」
シエンの拳がリヒトの顔面を打ち据える寸前。
雄々しい声が、憲兵詰所内に響いた。
「やめたまえ。救国の英雄ともあろうお方が、憲兵団長に暴力をふるうなんて」
つかつかと、声の主は歩いて詰所内に入ってきた。
腰まである長い金髪と赤い瞳を持った男。
鎧を着こんだリヒトとは違い、白を基調とした礼服を身に付け、耳元には赤色のタッセルの耳飾り。
髪はツヤがあり、丁重に手入れされていることがうかがえる。
長い襟足を左右で別にまとめ、リボンで結わえた髪がまるで三本の尻尾のように垂らしている。
こんな複雑すぎる結い方にどれだけ時間が掛かるかシエンには皆目見当がつかない。
華美すぎるこの男は、ケイン=フレデリック・ヴァーミリオン。
帝国近衛兵隊の兵士長を勤め、四大貴族—――リンドヴァル家が表舞台より姿を消した現在は御三家と呼ばれているが――ヴァーミリオン家、次の当主筆頭候補の男だ。
「仲良くしようじゃあないか」
シエンとリヒトの間に割って入ったケインは気さくな様子でリヒトと肩を組む。
一見柔和な印象を覚えるたれ目の顔だが、その目はまるで笑っていない。
目を合わせてくれないリヒトに「つれないねえ」と笑ってから、視線だけシエンに向けてくる。
背丈が一六八のシエンに対し、百九十もあるだろう長身から見下ろされた。
シエンは負けじと睨み返す。
「……クレイバル様もそう思われますでしょう?」
そんなシエンを鼻で笑って、ケインは詰所の入口に笑いかけた。
入口にいたのは、車椅子に座った白髪の老人。
髭を蓄え、顔に深く刻まれた皺が、老人の威厳をいっそう強くしていた。
帝国の宰相、クレイバル・マクファーデン。
四大貴族、最後の一家だ。
ブルーローズ家、ヴァーミリオン家、そしてマクファーデン家。
リンドヴァルを除いた四大貴族の血を引く者たちが集まったせいか、空気が一段と重くなり、ぴりぴりとした不快な緊張感が部屋中にめぐる。
中でも圧が強いのが、クレイバルだ。
それもそのはず、この男こそ、帝国で最も偉い人間だからだ。
皇帝が暗殺され、空になった玉座には、国が存続していくために他の誰かが座るもの。
皇子が玉座に着くことになったが、皇子は若く齢は十。結局はクレイバルの傀儡となるしかない。
「皇帝暗殺事件から二年が過ぎた。復興は難航し、衰えた国力は戻らない。国民は皆不安な日々を送っている。平和の象徴たる英雄、ならびに憲兵団長がいがみあっていては、民も不安であろう」
車いすに乗るほど身体が衰えているのに、声は強く、威厳を持って響き渡る。
「クレイバル様の仰る通り。まずはその拳を下ろしてはどうかな、英雄殿」
ケインの射抜くような視線に、シエンはしぶしぶと拳を下ろす。
「うむ。それでよし」
ケインは満足そうに笑う。目はまったく笑ってないが。
「さて、先ほど通りかかったときに小耳にはさんだのだが……皇帝暗殺事件の捜査、と聞こえた気がするな」
リヒトはぎくり、と身体をこわばらせた。
「この件に関して、私の記憶が正しければ管轄は近衛兵隊のはずだったが。私の聞き間違いかな?」
ケインが指揮、所属する近衛兵隊は少数精鋭のエリート集団だ。
宰相であるクレイバルの護衛を主な業務としているが、憲兵の手に負えなくなった凶悪事件を追う仕事もしている。
「どうやら暗殺事件の犯人に繋がる情報がとか聞いた気がするが。もしや…………皇帝暗殺事件に関して捜査をしているのか?」
ケインの言葉に、シエンは口を閉ざし、リヒトは目をそらす。
「……困るなァ。勝手なことをされては。近衛兵隊の面子も、ヴァーミリオン家の面子も丸つぶれだよ。我々とて、この二年なにもしていなかったわけではないのだぞ」
「面子、ねぇ」
いつものシエンなら、特に何も引っかからないだろう。
しかし、今日のシエンは冷静ではなかった。
「二年掛かって手掛かり一つ見つけられねェヤツの面子をこれ以上どう潰せと?」
シエンの言葉に、空気が凍る。
ケインは顔をひきつらせた。
リヒトの顔もひきつった。
「し、シエン!」
「…………ご指摘痛みいるよ、英雄殿」
余裕を見せつけるかのように、ケインはけだるそうに前髪をかき上げた。
普段は長い前髪で隠れている、顔の左半分を占める等級紋があらわになる。
「そういう貴君は、何か掴んだのかね?」
「掴んださ。テメェら無能共と違ってなぁ!」
「シエンッ!」
リヒトはシエンの肩を掴んで静止させようとするが、シエンはとまらない。
「トレドの町にいたケチな商人が、神器を持っていた! ヤツが神器を手に入れた経緯を辿れば確実に犯人に結び着く――」
「が、肝心の商人は暗殺されたんだったな」
その通りだよまったく、とシエンは舌打ちをする。
「なんだ。貴君も八方ふさがりで大差ないじゃないか」
その様子を見てケインはせせら笑った。
「さて、単刀直入に言おう。手を引け。それでも引かない場合は、故郷にいるご家族に何かあるやもしれんぞ」
「テメェッ……!」
シエンは忌々しく、歯を食いしばる。
「安心したまえ。貴君が大人しくしていれば、我々も特になにもしない。捜査は引き継ぐ。管轄外の業務に当たったことに、軍規違反の容疑で諸々追及するところだが……そちらの情報を得れたことで今回は黙認しよう」
「ケイン。次の会合の開始予定から五分も過ぎている。情報を得れたのならもう行くぞ」
「失礼しました。クレイバル様。この近衛兵隊団長ケイン本日午後も賢明に勤務にあたる所存であります」
笑いながら、ケインは敬礼した。
先ほどの剣呑さはどこへやら。外へ出るクレイバルを追いかけケインは退出していった。
すっかり静かになった詰所で大きく息を吐きながらリヒトは椅子に座り込んだ。
「…………ヒヤヒヤした。君らしくもない」
「面目ねえ」
「シエン。憲兵団副団長のポストは開けている。僕の権限ですぐに任命ができる。悪い話じゃないはずだ。副団長になれば、帝国領地内は自由に捜査ができるが……」
「でも、あの事件の管轄は近衛兵隊だろ?」
リヒトはぐ、と言葉に詰まる。
「やめとくよ。結局それじゃ今と変わらねえ。しかも、副団長になれば、ヤツらからの監視の目はいっそう厳しくなるだろう。皇帝暗殺事件の犯人を追うことは無理だ」
「……大人しくするつもりはないみたいだな」
リヒトは長い溜息をついた。
「シエン。追加の情報だ。ツーデン氏の遺体は、冷たかった。そして、警護に当たっていた憲兵たちの亡骸。死因は切り傷ではなく、凍傷だった。おそらく、魔法だろう」
「…………そうかい。ありがとう」
「しばらくは大人しくしておいた方がいい。僕も次は、庇いきれない」
「わかったよ。リヒト。要人護送の仕方は見直しとけ」
「善処する」
シエンはそれだけ言うと、そのまま詰所を出ていく。
リヒトから見た、部屋から出ていく英雄の背中はひどく小さく見えた。
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