第15話 合理的じゃない判断

「————町長さん」

 そこにいたのは、あの小太りおじさん。

 町長の商人。ツーデンだった。


「この鉱山は落盤の可能性があるから、立ち入らないようにとお伝えしていましたよね。カリーナさん」


「なにが、何が、落盤の危険だ!」

 カリーナの隣のヤコブが吠えた。


「そんな危険は全くない! 根も葉もない噂を流し、この町の魔導石事業を廃れさせた張本人はお前だろうが!!」


 対するツーデンはヤコブを鼻で笑い、言い返す。


「人聞きがわるい。私はあくまで町のためにやったこと。戦争が終わって需要が薄れている魔導石の需要にだらだら頼っていてもこの町は衰退する一方です。それなら、古い方法に固執せず、新たな革新的なやり方を導入することが筋ではありませんか?」


「———その新たな、革新的なやり方というやつが、麻薬の密輸なんですね」


 カリーナの一言で、ツーデンは目を見開く。


「ほほう」


「鉱山がなくなれば、当然鉱夫や魔導石に関連する職に就く人の仕事がなくなる。

 そこに借金を貸し付けて暴利でむしり取る。借金で首が回らなくなった人々に借金返済の仕事と言い、麻薬を密輸させた。お金は儲かるし、鉱山は廃山とすれば、誰も近寄らない。ここは王国と帝国の国境付近にある。それゆえに、どちら側にも輸出ができると」


 カリーナがそう言うと、ツーデンはゆっくり拍手をする。


「そこまで突き止めていたとは。お見事ですね。ですが、惜しいですね。更にその先の大願を目指した第一歩に過ぎないのです」


「先…………?」


「はい。帝国と王国。この二国は、百年もいがみ合ってきました。二年前、英雄シエン・スカーレットの活躍で、帝国と王国は停戦協定を結び、休戦という形で戦争は終結しましたがね。まぁ、それを踏まえて敵国に近いところから麻薬が流れてきたら、どう思いますか?」


「…………敵国が、麻薬を密輸して、国力を下げようとしていると」


「おっしゃる通り。帝国と王国は、今度こそ敵国を下そうと戦争を再開するでしょう。どちらかが屈服するまで戦いは続く。そこで、これですよ」

 ツーデンはそばにあった木箱の中から、銃を取り出す。

「我が商会の財力と、この町の魔導石職人たちによって作らせた技術の結晶、名付けて、『魔導銃』!」


 魔導銃。新たなこの兵器に対して、サォが言っていたことが、カリーナの脳裏によぎる。

 これが量産されたら、戦争の在り方は大きく変わる。

 星座神話の魔法を扱い、一騎当千の力を持つレガシリアですらも、数の暴力で負ける可能性がある武器。


「利用条件は等級紋を持っていること。しかし、肝心の神器は八十八個しかこの帝国にはない。対する痣持ちは国民の十人に一人といわれるほど多くいます。平民の中にも痣持ちがいるので、この銃も問題なく使えるでしょう。これは革命ですよ! これを、戦う気満々の両国に売りつければ大儲け! というわけですな」


 大層な計画をバラシたツーデンは誇らしげに、あごひげをいじる。


「さて、カリーナさん。ここで一つ、素晴らしい提案をしましょう」


 ツーデンはカリーナに手を差し伸べ、こう言った。


「我々の仲間になりませんか?」


「…………仲間になって、この事実を黙認しろ、ということですか?」


「左様です。あなたのことはいろいろ調べさせてもらいました」


 ツーデンはスーツの胸ポケットから、一枚の紙きれを取り出す。


「貴女はかの四大貴族のうちの一つ、今は滅亡して久しいリンドヴァル家の末裔。帝国軍に在籍していた期間もあるそうですが、二年前に退役。そして現在は鍛えた腕一本でウミガラス商会で用心棒をしている。神器欲しさにウミガラス商会に入りましたね?」


 ツーデンは語り続ける。


「帝国軍に入っていたのも、神器を得るため。そして今はウミガラス商会が帝国政府が公認している自治組織のため、昇進すれば神器が手に入るという可能性があること。そして、貴方がその昇進任務をかけてこの町に来たことも、そして、アナタの任務の期限が昨日までであることも、私は知っているんですよ」


「…………」


「つまるところ、あなたはどん詰まりです。ただし、私は貴方ほどの人材を捨ておくのは非常に惜しいと考えてます。神器がほしいのでしょう? 神器を持つ貴族も、今は借金に苦しみ、秘密裏に神器を売り飛ばす始末。これから莫大な金を手に入れる私の仲間になれるなら、すぐにだって、神器を用意しますぞ」


 神器が、手に入る。

 提示された条件に、カリーナは目を見開いた。


 この商人が言っていることは、すべて事実だ。


 私は、強くなるために神器を求めた。

 強くなければ、何も守れない。


 私が弱いから、リンドヴァル家を守れなかった。

 私が弱いから、グレンは私を庇って死んでしまった。

 私が弱いから、分家の人間に、何もかも奪われた。


 いつだって、割を食うのは弱い人間だ。

 だから、私は愚直に剣を振るい続けた。

 それでは足りず、神器を欲した。


 だが、現実は甘くなかった。

 神器は既得権益が囲い込んでいる。

 帝国軍内では、リンドヴァル家に触れることはタブー化されているらしく、私はリンドヴァル家の女というだけで冷遇され続けた。


 そんな私を拾ってくれたのが、ウミガラス商会の商会長だった。

 しかし、そんな商会長ですら、私に愛想をつかした。


 おそらく、神器を得る方法で最も確実なのは、この男の元につくことだ。

 すでにウミガラス商会はクビになった。

 私に守るものなんて、もう、ない。


「賢く生きましょうよ。帝国軍も、ウミガラス商会も。貴女を評価してくれましたか? どちらも神器の貸与には至らなかったことが、それを証明しています。私は確約しているのです。ここでどう振る舞うのが合理的か。これから先はご自身でご決断ください」


 ふっひっひ、とツーデンは笑う。


「良ければ、これにサインを。我々の元で働く契約書です」

 ポケットから、契約書を取り出し、カリーナに渡す。


 くしゃくしゃになった契約書をカリーナは受取る。

 ヤコブや鉱夫の男たちは固唾を飲んで様子を見ている。


 しばしの沈黙の後、カリーナが口を開いた。


「————本当に、神器をくれるんですね?」


「ええ、もちろんですとも! では、ここを出てひとまず私の屋敷で詳しいお話を」


 ツーデンがそう言っている間に、カリーナは持っていた契約書をびりびりに破いた。

「な、なにを!?」

「これが私の答えです。貴方の話には乗りません」


 それを聞いたツーデンはわなわなと震える。


「…………合理的じゃない! 合理的じゃあないッ! もうすでに、ウミガラス商会をクビになっているオマエが! こいつらを助ける理由なんてないだろうがッ!!!」


 額に青筋を浮かべ、唾を散らしながらツーデンはわめく。


「理由ならあるわ」


「なっ!?」


「私が神器を求めるのは、私の大切なものを奪われることがないようにしたいからなの。その力を求める過程で、だれかを犠牲にしてしまったなら、過去の私に顔向けできないので」


「…………お高くまとまりやがって」


「勝手に言ってなさい。自分の思い通りにいかず、癇癪起こす程度の人間に何言われても響きませんからね。それに私はヤコブさんと娘さんを会わせることを、約束をしたんで。麻薬密輸の元締めの貴方を、今ここで叩き潰せば万事解決じゃないですか」


 カリーナは腰の刀を抜き放つ。


「大人しく降参なさい。人を踏みつけ、利用して搾取するそんな奴に、手加減はしない主義なの」


 刀をまっすぐに構え、突きの構えをとる。

 対するツーデンは、怒りからか荒く息をしていたが、刀を構えたカリーナを見て態度を一変。

 大きな体を揺らして笑った。


「フ、ヒ、ヒッヒ……やめておいた方がよいですよ」


 その余裕が出てくる理由はわからない。

 わかる必要もない。

 この男を倒せば、すべて解決だ。


 カリーナは、地面を蹴ってツーデンへ迫る。

 そして鈍く光る刀をツーデンめがけて一気に振り下ろした。


 思い切り振った刀はツーデンの肩を強かに打ち据え、確かな手ごたえが伝わる。


 しかし、ツーデンの体を切り裂くことはなかった。

 ツーデンは眉一つ動かしていない。まるでこちらの攻撃が聞いていないような顔を

している。


「————だから、やめておいた方がいいと言ったでしょう!」


 何が起きている?


 目の前で起こった予想外の出来事に混乱していると、カリーナの持つ刀、神無月の刃から煙が立ち上る。


 何か、奇妙だ。

 とっさに判断し、後ろに下がるカリーナの視界に入った神無月の刃は、異常な状態になっていた。

 刃がぼろぼろに腐蝕し、錆びきっていた。

 秋の夜月のように輝く刀は見る影もない。

 まるで、数十年も野ざらしで放っておいたような状態になっていた。


「汗がひどいものですからねえ。私の汗は、酸の汗。猛毒の汗です」


 ハッと、視線を自らの刀から上げ、ツーデンの方を見やると、そこにいたのは小太りのおじさんではない。


 見上げるほどに大きくなった体躯。

 ぬめぬめと黒光りする鱗。

 口はほほの横まで裂けており、その下から長い牙と、先端が二つに割れた青色の下がのぞき見える。


 まるで神話に出てくる大蛇のような怪物に、ツーデンは姿形を変えていた。


 そして、あらわになった腹には、植物の根のような痣が広がっている。

 見覚えのある痣に、カリーナは反射的に呟いてしまう。


「等級紋…………?」


 それは、自分の背中一面に広がっているものや、妹の顔に出ていたものと、非常に良く似ている。

 神器を扱う資格を示す痣、等級紋だった。


「言いましたよね。合理的でないと」


 目の前にいる大蛇は、おどけた声でこちらに話しかけてくる。

 サォの血を固形にする魔法以外は見たことがないカリーナですらも、今目の前で起こっている現象がなにか想像に難くなかった。


「変身する魔法……まさか、貴方は」


「ご名答。わたくしは海蛇座の神器の使い手、レガシリアなんですよ」


 刀を失ったカリーナに対し、大蛇は周囲をぐるりと囲みながら語りかける。


「いやはや、どれだけ修行を積もうと、魔法の前には無力ですな。しかし、貴女のような剣の達人であり麗しい方を捨ておくのは、やはり合理的ではない。考え直しませんか? こちらの条件を飲めば、命だけは助けて差し上げます」


 大蛇になった顔から、割れた舌がちろちろと覗く。


「今日見たことを口外しないこと。こちらの仲間になること。仲間になれば先ほどの条件も提供します。貴方は私に勝てない。それなのに、私は譲歩しています。これ以上ない破格の条件ですよ」


 ツーデンはその蛇のようになった舌でカリーナの頬を舐めようとしてくる。


 カリーナはその舌を左腕で握り、力いっぱい引っぱる。

 そしてツーデンの顔を引き寄せ、右手で大蛇の瞳をぶん殴った。


「ぎゃぁああああっ!!」


 ツーデンは痛みで体をよじった。


「だから何度も言っているでしょう! 貴方の仲間になる気なんて、さらさらないと!」


「理解できない! このッ! このッ! こちらが大人の対応をしていればつけあがりやがって!」


 怒るツーデンはのたうちまわりながら、体を大きく振り回す。


 大きいうえに、予想以上に速い。

 大蛇の振り回される尻尾を躱すことができず、カリーナは後ろに吹き飛ばされ、背中から岩肌に激突。

 全身を震わす衝撃に咳込んだ。


「許さん! 絶対に許さんぞ!」


 ツーデンはそのまま、近くにあった支柱に体当たりをする。

 体当たりの旅に、ずん、ずんと鉱山内が大きく揺れる。

 そしてついに、支柱はへし折れた。


「まずい! 落盤が起きるぞ!」

 ヤコブが叫ぶと同時に、鉱山自体が立て続けに揺れだした。


 よろけながら立とうとしたカリーナは転倒する。

 強く打ちつけられたせいで、浅い呼吸を繰り返すことしかできない。


「ブッ潰れて死んでしまえッ!」


 高笑いをし、ツーデンはその大きな体躯に見合わない素早い動きで入口のほうへ引き上げていく。


 カリーナは立ち上がることすらままならない。

 ぼやける視界の中、カリーナの眼前に岩石が落ちてきた。


 ついに落盤が始まった。


「奥の通路に逃げこめ! そっちはまだ大丈夫なはずだ!!」

 周りの鉱夫たちに指示を飛ばすヤコブの声だけが聞こえる。


「カリーナさんも! 早くこちらへ!」


 ヤコブのいる方へ行かねば。

 そう思うが、カリーナの体は言うことを聞かない。

 

 そんなカリーナの視界が突然暗くなった。


 見上げると、大きな岩石が落ちてきているのが分かった。

 これは、避けられそうにない。


 死ぬ。


 岩盤が徐々に迫ってくる中、過去の出来事が浮かんでは消えていく。


 十年前。

 額まで迫った斧を止めてくれたグレンは、もういない。


 あれから、一人で戦って来た。

 強くなった。

 なのに、こんなあっけない最後なのか。


 自分の十年は、何だったのだろうか。


 永遠にも感じられるような一瞬の中、自問自答するも答えは出ない。


 もはやこれまでか。

 動くこともままならないカリーナは、ギュッと目をつぶり、体を小さく丸めた。


 次の瞬間、カリーナは落ちてきた岩に押しつぶされて、今度こそ人生は幕引き。


 ただひたすらに剣を振るい続けた女の話は、ここでお終いとなる。


 はずだった。


 来るはずの衝撃はいつまでたっても来ない。


 目を開けたら、死後の世界でも待っているのだろうか。

 それとも痛みを感じる前に即死したか。


 しかし、頬に当たる砂がいまだここは現実であることをカリーナに告げてくる。


 何が、起きているんだろう。


 わからず、おそるおそる目を開けたカリーナの視界に入ったのは、自分の目の前に立つ何者かの姿。


 そいつは、両腕を上に伸ばした姿勢のまま、じっとしている。

 ずたぼろのぼろきれを身に纏う、包帯ぐるぐる巻きのみすぼらしい男。


「ミイラ、君……?」


 サォが、岩盤を持ち上げていた。

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