第8話 閉塞する春
「泣かないで、アズライト」
「僕たちがいるよ、アズライト」
羽ごろも魚さんたちなアズライトをなぐさめます。アズライトに空いた穴からはとりとめなく冷たい雨が降りそそぎます。しくしく、しくしくと押し流される雨は春を前にしたさいごの冷たい雨。アズライトは細い二本の足を抱えて、コバルト・ブルーのお水の中を漂いました。
「ありがとう、みんな。ぼくも――他のみんなみたいに、ぜんぶ忘れちゃうのかなぁ」
「だいじょうぶだよ、アズライト」
「僕たちが覚えているよ、アズライト」
ふわふわと一緒に漂う糸あめクラゲさんが答えます。蛍クジラさんが近くにいないためでしょう。世界がひどく薄暗いものだな、とアズライトは感じました。遠くからはくすくす、くすくす、というシアン・ブルーのものたちの笑い声。あのきゃらきゃらとした楽しげな声ではないし、みんなちがう知らない音です。
きっとアズライトもすぐに、彼らのようになるに違いありませんし、そうなってしまえばこの怖ろしいという気持ちもなくなることでしょう。それでも、アズライトは胴の穴がすくんでしかたがありません。アズライトは自分の体をつよく、つよく抱きしめました。
「みんなはこわくなかったのかなあ……」
その言葉には、誰も応えません。アズライトもわかっています。こわがっているのはアズライトだけなのです。みんな春が来ることを、きれいになることを待ちのぞんであこがれて、おそれるだなんてことはなかったのです。アズライトだけが仲間はずれなのです。アズライトだけが、涙なんてものを流しているのです。
ふと、アズライトの視界が明るくまぶしくなりました。お顔を上げると、きゅーいきゅーいという、聞きなれた歌声。蛍クジラさんです。
「ここにいたのですね、アズライトの子ども」
「蛍クジラさん。どうしてぼくのところに?」
すると蛍クジラさんの光はいっそう輝きを増しました。
「あなたが最後のこ「子ども」だからです。他の子どもたちはみんな、「核」でした。のこるはあなただけ」
「……そういえば、核って……?」
アズライトの問いに、蛍クジラさんは応えません。蛍クジラさんは嬉しそうにきゅーいきゅーいと歌って、コバルト・ブルーを悠々とまわります。どこかはしゃいでいるようでもあります。アズライトは蛍クジラさんの立てた波に流されぬよう、木の枝に捕まります。またしてもうっかり腕とお顔を外してしまいますが、すかさず羽ごろも魚さんたちが支えました。その優しさが、アズライトの胴の穴をじんとさせます。
「ありがとう、みんな」
「いいんだよ、アズライト。君たちと仲良くなれたのは、君のおかげなのだから」
「そうだっけ?」
羽ごろも魚さんたちが外れた腕とお顔をくっつけてくれるのを見て、アズライトは少しだけ、大きなふたつ穴を緩ませます。こんなお顔をしたのはひさしぶりかもしれません。
――その瞬間でした。
どろり、とくっつけたばかりの自分の右腕が音を立てたのです。指先からは、焼かれるような、裂かれるような鋭い痛みが走り抜けます。アズライトは息を呑みました。じくじくとした痛みがお顔や胴の穴から伝い、アズライトは知らないうちに、声を上げていました。
「きゃあああああ!」
そばにいた羽ごろも魚さんや糸あめクラゲさんたちが必死に声をかけているのですが、アズライトには届きません。アズライトの声に気がついていないのか、シアン・ブルーは誰ひとり訪れる様子がありません。しびれを切らした羽ごろも魚さんが叫びます。
「僕たちで探そう!」
「でも、僕たちには手がないよ」
と一疋の糸あめクラゲさん。そのとなりにいた別の糸あめクラゲさんはその糸あめクラゲさんを何本もある腕のうちの一本でたたきます。
「僕たちで呼んでくればいいじゃないか!」
「あ、そっか……!」
「僕たちが呼んでくるから、その間に黒い土を、忘れな草を探してよ、羽ごろも魚さん」
「もちろん!」
コバルト・ブルーの魚さんやクラゲさんたちはあわただしくも動きます。蛍クジラさんは「ああ、めでたい、めでたい」とつぶやくばかりです。
アズライトはもがきました。ペール・ブルーの内側から熱くなり、破裂し、それが全体へと伝わるのです。胴と手足やお顔をつなぐ宝石がゆるくなってゆらくたびに、その痛みは増し、アズライトはひたすらに叫ぶしかありません。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――!」
きっと最後の子どものでしょう。悲痛なその声は森を響き渡り、羽ごろも魚さんたちをすくませます。しだいにペール・ブルーは形をなくして、散り散りになっていくとぱくり、と羽ごろも魚さんは優しくつかまえます。そのたびにまた、アズライトの中に痛みが走り、苦しみ、羽ごろも魚さんも哀しみます。
やにわにごぼり、と水泡の立つ音がアズライトの頭の中に響きました。そしてそれと同時にふつり、とすべての音がとぎれました。
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