第7話 勿忘草の聲


 それからタンザナイトの子どもが、ベニトアイトの子どもが、フローライトの子どもが春をむかえました。コバルト・ブルーのアクアリウムはしだいに静かになり、気がつけば遊ぶのはアズライトとサファイアだけになっていました。そしていま――アズライトの目の前でサファイアがもがき苦しんでいました。

「アズライト、サファイアをこねてあげて」

「黒い土も見つけなくっちゃ」

 綺麗な尾っぽをゆらがせながら、ラピスラズリやラリマーたちが言います。みんな、知らない、それぞれに違う音でお水をなでます。みんな、アズライトよりうんと甘く、深い音です。アズライトは震える手をサファイアへのばしますが、ひっこませます。きっと触れれば痛むにちがいないのです。アズライトは大きなふたつ穴をぎゅっとつむって言います。

「……僕、黒い土を探してくるから……サファイアをおねがい」

「うん、いいよ」

 とフローライト。あっさりとしてどこか濃淡のない声です。いいえ。みんな気にしていないのです。むしろ、新たな春を喜んでいるのです。サファイアの叫び声に呼ばれたのでしょう。蛍クジラさんもまぶしい光を落としながら、アズライトのもとへやってきました。

「まあまあ!あとふたりなのですね。めでたい。なんとめでたいことでしょう!」

 アズライトだけは、喜ばしい気分にはなれません。きれいになったみんなを見るのは嬉しいのですが、やはり痛そうになげくみんなを見るのはいやなのです。アズライトは穴という穴から涙をぼろぼろこぼしながら、お花畑へ泳いでいきました。

「アズライト、だいじょうぶかい?」

 糸あめクラゲさんが言います。ふわふわと漂って、アズライトの大きなふたつ穴から落ちる涙をぬぐいます。

「アズライト、泣かないで」

 羽ごろも魚さんがいいます。小さな群れを作って、アズライトの胴に空いた穴をなでます。アズライトはこくこくとうなずいて、言葉をしぼりだします。

「ありがとう、みんな。早く土を見つけてあげなくちゃ」

「そうだね、アズライト。あのサファイアの子を早く助けてあげよう」

「うん、そうだね」

 アズライトはお花を探ります。その手は震えています。ほかの羽ごろも魚さんたちがやってきて、尋ねます。

「アズライトはおそろしくないの?」

「なにが?」

「痛い思いをすることさ。きっと、アズライトもすぐだよ」

「それは……おそろしくないと言えば嘘になるよ。みんなは……僕が苦しむの、見るのはやっぱりこわい?」

「そりゃあ、こわいさ。だから、僕たちはきっと、早く君を助けてあげるよ」

「ありがとう、みんな」

 アズライトは手を止めました。青い花々の中に、昏く、冷たい土をつけたスコルピオイデスがあったのでふ。アズライトは両の手でそのお花を持ち上げました。

「どうしていつも、このお花なんだろう」

 すると、糸あめクラゲさんがアズライトの手元に留まりました。ふわふわと糸のように伸ばした数本の手でアズライトの手を撫でます。

「知っているかい、アズライト」

 アズライトは小首をかしげます。

「なにを?」

「このお花の別の名さ」

「いったい何なの?」

「このお花はね――「ワスレナグサ」というんだよ。「わたしを忘れないで」という意味があるんだよ」

 アズライトの手元で、波打つお水でスコルピオイデスの青いお花が揺らぎました。五つの青い花びらはお星さまのようにひらいて、アズライトを惹きつけます。「わたしを忘れないで」。いったいなぜ、そのようなお花が黒い土を持つのでしょう。アズライトは何となく、その意味がわかるようでわからない、そんな気分になりました。

「早く、サファイアを楽にしてあげなくちゃ」

 すっくと立ち上がると、アズライトはすいすいと泳いでサファイアのもとへ向かいました。

 わたしを忘れないで――何かがそう、なんどもアズライトに囁きます。アズライトは胴に空いた穴がきゅん、と切なくなるのを感じました。

 サファイアは春をむかえたみんなの手で、小さなペール・ブルーの球になっていました。しばらくは小きざみに震えていましたが、それもすぐに止みました。シアン・ブルーの宝石たちはみんな、目元の大きな宝石を輝かせ、新たなシアン・ブルーのたんじょうを待ちのぞんでいます。

 アズライトは小さくなったサファイアをなでると、黒い土を混ぜてこねました。きっと次に目をさましたときには、彼らと同じように幸せそうにしているにちがいない。そのことが嬉しく、喜ばしいはずだ――とアズライトはひとこねひとこね、ていねいに混ぜていきました。まばゆく光かがやきはじめたサファイアの子どもを見つめ、アズライトは小さく言葉をこぼしました。

「そっか……みんな、、「忘れな草」なんだね」

 目の前には花開いたサファイア。たおやかなふたつのお乳に、なめらかな尾っぽ。先ほどまでの苦しみも、これまでの楽しい気もちもなくなった、自分とまったくちがうシアン・ブルー。気が付くと、アズライトは逃げるように森の方へ泳いでいました。

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