第3話 春の発生


 蛍クジラさんが照らす青のアクアリウムはそれからずっとあたたかでおだやかでした。みんななかよしで、大きなもありません。――けれども、季節はうつろうものです。降り積もった雪がいつかは溶けるように、汗をにじませる暑さがいつかはこごえる寒さになるように。それはいつもと変わらない、おだやかな日のこと、蛍クジラさんは森の向こうへ行っていて、ほんの少しだけ薄暗いときでした――。




 

 子どもたちは羽ごろも魚さんたちと追いかけっこをしていました。鬼はアズライトの子どもと三疋の羽ごろも魚さんです。みんな、きゃらきゃら高い音を立てて、上へ下へ右へ左へと泳ぎ回って、鬼の手からすいすいと逃げていきます。宝石の子どもたちはすっかり泳ぐのが上手になって、外して、相手をびっくりさせたりすることはあっても、ちょっとしたことでは腕や足やお顔を外さなくなりました。中には小さな宝石から器用にひとつ指を抜き取って、指だけは糸あめクラゲさんたちと泳いで遊んだりする子もいるくらいです。をはずしても、でお話できるわけですから、ふべんはありません。アズライトの子どもも同様で、右手の人差し指は蛍クジラさんとお散歩をし、左手の親指は糸あめクラゲさんのかくれん坊に混ざり、そしてそれ以外は羽ごろも魚さんと追いかけっこをしているのです。

 アズライトの子どもはサファイアの子どもの左足を捕まえました。

 

「つかまえた!」

「ああん!つかまっちゃった!アズライトは泳ぐのがいちばん上手なんだもの、かなわないよ」

 

 サファイアの子どもの左足は残念そうにさけびます。サファイアの子どもの胴は外を糸あめクラゲさんのかくれん坊でいないので、これで負けです。アズライトの子どもはお顔の下に空いた穴をにんまりと歪めて、きゃ、きゃらと音を立てます。

「えへへ。よし、他のみんなもつかまえるぞ!」

 アズライトは大きく手足でお水をかき、まるで走るようにすいすいと進んでいきます。タンザナイトのお顔、ラリマーの胴、フローライトの右手、とつぎつぎとつかまえていきます。もちろん、羽ごろも魚さんたちの尾っぽや背びれにも触って、「つかまえた!」と声を張ります。宝石の子どもたちはみんな同じお顔で、腕も足も胴も同じかたちをしていますが、宝石以外でも少しずつちがいがあるのです。中でも、アズライトはいちばん活発なで、よく動き回り、よくおしゃべりをします。

 

「あれえ?ラピスラズリがいないね」

 

 糸あめクラゲさんとかくれん坊をしていたフローライトのお顔が言います。アズライトは羽ごろも魚さんを追いかけているのを止め、見つかってしまったじぶんの左手の親指のもとへ泳ぎます。かくれん坊はあとラピスラズリの子どもが見つかればおしまいのようです。

「ラピスラズリ、追いかけっこには来てないよ」

 とタンザナイトの胴。他の宝石の子どもたちも、羽ごろも魚さんたちも、糸あめクラゲさんたちも同じようで、ラピスラズリの姿を見かけていません。ラピスラズリは頭がよくて、かくれん坊が大の得意です。アズライトは小首を傾いぐと、

「終わったこと、教えていないの?」

 と尋ねます。みんな、かぶりを左右に振って「ううん、何度も呼びかけたよ」と答えます。アズライトは「ふむ」とつぶやくと、右手の人差し指でお散歩をしている蛍クジラさんへ話しかけます。

「蛍クジラさん、ラピスラズリを見なかった?」

「いいえ、可愛いアズライトの子ども。わたしはあなた以外、宝石の子どもを誰ひとり見かけていないですよ」

 澄んだ声で蛍クジラさんが応えると、いよいよアズライトは困ってしまいます。蛍クジラさんはいちばん、のです。蛍クジラさんが見つけられないラピスラズリを、アズライトが見つけられるはずもありません。アズライトは人差し指も胴の宝石にくっつけると、はじめてため息をこぼしました。

 

「しかたない。呼びかけながら、みんなで探そう」

 

 コバルト・ブルーもペール・ブルーもお顔を見合わせて、うなずきあいます。みんな急いで森の中やお花畑の下、小川沿いなんかへ向かって大きな声で叫びます。

「ラピスラズリ、戻っておいで」

「かくれん坊は終わったよ」

「ラピスラズリ、みんな集まっているよ」

 けれども、お返事がありません。アズライトはあちらこちらへすいすいと泳いで、声をかけます。

 するとやにわに、タンザナイトの子どもが叫び声が響きわたりました。ラピスラズリを探しまわっていた子どもたちはみんな手や足を止め、振り返ります。アズライトはいちばんに駆けつけました。

「どうしたの、タンザナイト」

「アズライト、どうしよう」

 アズライトと同じその声は上ずっています。胴をぶるぶると震わせて、なにやら怖がっているようです。アズライトは小首を傾いで、タンザナイトの胴の穴の向こうを覗き込みました。――そこには、ラピスラズリの宝石と、ペール・ブルーがありました。

 

「ラピスラズリ!?」

 

 アズライトのすっとんきょうな声も響き渡ります。その声に応えるようにペール・ブルーが大きく波打つと、そのペール・ブルーの液体から、アズライトと同じ声がなりました。

「アズライト……?」

「ラピスラズリ、だよね?どうしたのそれ……」

 またペール・ブルーが脈動します。それはきっと、元はお顔や手や足や胴だったものでしょう。ラピスラズリの宝石を包むようにどろどろになったペール・ブルーは息づくように何度も跳ねたり伸びたりしています。大きなあのふたつ穴もありません。アズライトはそろそろとそのペール・ブルーへ触れてみると、ひんやりとして固さがありました。そのうえ、触れた指にからみついてなかなか離れてくれません。アズライトはあわてて指からペール・ブルーを外そうとすると、大きくそのペール・ブルーが跳ねました。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い――!」

 

 その音はアズライトの子どものお顔に空いた穴を突き刺すように響きます。胴の上にぽっかり空いた穴もびりびりとして、思わずアズライトは手を引いてしまいます。すると、ラピスラズリのペール・ブルーはさらに大きく波打ちました。

「ぎゃあああ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

 ようやく駆けつけた他の子どもや羽ごろも魚さんたち、糸あめクラゲさんたちは留まって茫然としました。かれらの目の前で、ラピスラズリのペール・ブルーが小さく細かくなって散り散りになりました。

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