鬼と仮装
中且中
第1話
友人を介して知り合った女性は、自らを鬼だと言った。なにかの比喩ですか、と尋ねると、女性は眉をひそめて否定した。実際に自分は鬼だというのである。おかしな人だとは思ったが、べつに自分を鬼だと言う以外は、特に変わったところはないし、付き合ってみると普通にいい人なので、交流は続いている。
彼女は常に大きな帽子を被り、マスクをしていた。肌は少し赤みがかっていたが、それは血色がいいからなのだろう。彼女は快活な性格であった。だからこそ、常に夏でもマスクをつけ帽子をかぶるのが奇妙に思えた。
十月の中頃のことである。
偶然、街で彼女と会った。彼女はやけに嬉し気であった。どうしたのですか、と訊くと、彼女はまったく呆れた、といったふうに言った。
「だってもうすぐハロウィンでしょ」
そう言われて初めて、私はもうじきハロウィンであることに気がついた。
「ああ、そうですね」
「え、もしかして、今気づいたの」
「あんまり、そういうのには疎くて。でも、前にイベント事には興味ないって言ってませんでしたっけ」
「ハロウィンはべつなの」
「へえ。でも、なんで」
「だってみんな仮装するでしょ」
「ええ、まあ」
このあたりの駅前には、ハロウィンの頃に都市中から人が集まって、仮装をしたりして楽しむ。どこかが開催しているイベントというわけではなく、自然発生的に始まったものだ。人が人を呼んで、今ではひとつの恒例行事のようになっている。
「そうしたら、私は変装せずに外を歩ける」
「え」
私は首を捻った。逆ではないのか。
「帽子もマスクもたまには外して外を歩きたいし」
「好きでつけてるのだと思ってましたよ」
「そんなわけない。外せるなら外したいよ。でも、隠さないといけないから」
「なにをです」
当然ではないか、と言うように、彼女は言った。
「角と牙」
そう言ってじっと私を見る。
「言ってなかったっけ。私、鬼だって」
「え、あ、いや、まあ」
すこしばかり面食らってしまって反応に窮する。彼女は不満気に眉をひそめた。なんだか申し訳なくなる。
「……まあ、いいや。あ、そうだ。なら、一緒にハロウィンの日にここに来ようよ」
「はい」
さきほど感じた罪悪感を晴らすように、私は彼女の提案に頷きを返した。
それから、ハロウィンの日まで彼女と会うことはなかった。
ハロウィン当日である。彼女から連絡が来て、待ち合わせ場所に向かった。ひとごみに紛れて彼女はいた。こちらに手を振っている。ずいぶんと雰囲気が異なっていて、最初はわからなかった。彼女はマスクをしていなかったし、帽子もかぶっていなかった。
そして彼女の額には角があった。一本の鋭い角である。つくりものめいた感じはまったくない。
「あ、それ」
と言うと、彼女は笑んだ。ちらりと、口元に何かが見えた。
「どう?」
「よくできてますね」
「本物だよ」
角を触る。
「触る?」
おずおずと触ってみると、硬い。金属のようにひんやりとしている。根元は肉に埋まっている。
「あ、すごい、変な感じがする。あ、だめだ。くすぐったい」
突然、彼女は笑い出した。慌てて手を放す。だが、私は謝るより先に、開いた口の中に見えた鋭いナイフのような白いものを見て、ぎょっとした。それは牙のように見えた。犬歯だ。明らかに巨大であった。
ひとしきり笑い終えた彼女は、呆然としている私を見て、「どうしたの」と言った。
「牙が……」
「ああ、見えた」そう言って、口元をひっぱる。大きな牙が見える。
「どう?」
と訊かれて、咄嗟に私は、
「似合ってますよ」
と言った。実際、似合っていた。牙は驚くほど彼女と親和していた。
それを聞いて彼女は笑った。また牙が見えた。
私たちはハロウィンの街を歩き出した。多くの人が仮装をして、街は人であふれかえっている。音楽や、人々の騒めきが周囲を満たしている。仮装をしている者は、写真を撮られたり、一緒に撮ったりと忙しそうである。
彼女もまた、多く声をかけられていた。人々は彼女の姿を見て、驚嘆し、口々にその姿を褒めた。彼女はその度に嬉しそうであった。彼女は撮影にも快く応じ、自動的に私は、写真を撮る役割を担うことになった。彼女が、様々な人と一緒に楽しそうに写真を撮る姿を眺めていると、ふと、私は彼女はひょっとしたら本当に鬼なのではないかと思えてきた。帽子もマスクもつけていない彼女は本当に楽しそうに見える。あの角も牙も本物なのかもしれない。
あたりを見回すと、様々な人が仮装をしている。中にはクオリティの高い者もいる。もしかしたら、この中に、彼女のような存在が少なからずいるのではないか、と私は思った。普段は見せることのできない姿を自由に見せられる場所として、ハロウィンを楽しむ者は、案外たくさんいるのではないだろうか。
人が仮装を楽しんでいる裏で、人以外の者も仮装を解いて楽しんでいるのかと思うと、なんだか愉快だった。
私は笑って、なにがおかしいのか彼女も笑った。牙が見える。今日は、それを隠す必要もないのだろう。
鬼と仮装 中且中 @kw2sit6
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます