第5話

 それから、また三十分ほど自転車を走らせる。やがて幹線道路との交叉点に着く。ここを曲がる。幹線道路は山々の隙間に入り込んでいく。道に沿うように川が流れていて、川沿いには点々と集落と田畑が広がっていた。ただしその集落も田畑も放棄され人気は無い。

 山からは蝉の声が時雨のように降りかかってくる。歩道はこの夏の間に繁茂した雑草に覆われていた。しかたなしに車道を通る。車道も一部は亀裂が入り、背丈ほどのセイタカアワダチソウが群生していた。

 途中、昼食のために川原に降りた。手ごろな岩に腰かける。ちょうど小さな木が生えていて、陰になっている。太陽は南に高くのぼり、日射がじりじりと地面を焦がす。川面が金属のようにきらきらと揺れていた。コンビニで買った昼食を口の中に詰めこんでいく。空腹なのに、ものが喉を通らない。穴の中に見た神の姿が依然私に影響を与えていた。異形の神の姿が脳裡に焼き付いて消えない。

 犬を我が子と思いこんだ女は異形の神となって祠の中に閉じこもった。なぜ閉じこもったのだろう。由は祠から出れば神は長くは生きられぬのだと言った。神も死にたくないのだろうか。しかし、だとしてなぜ廃村現象が起こるのだろうか。神たちはなぜ次々に死んでいくのだろうか。由は嫌になったのだろうと言った。由は神から話を聞いたのだと言う。ならばその時、自死を選んだ理由も聞いたのだろうか。昼食を無理矢理、水筒のお茶で流し込んでから、先に食べ終えて川で水切りをしている由のもとへ歩いた。

 由が投げた石は水面を四回ほどバウンドして沈んだ。

「ねえ、由」と話しかける。由が振り向く。

「神様がなんで死のうとしたのかって理由は聞いたの?」

「……聞いてない。言わなかったしさ」

 沈黙する。気まずい。石を拾って投げると三度ほどバウンドした。

「たぶん、前にも話したけど。嫌になったっていうか、面倒になったんだと思うよ。神様は。たぶんほかの神様もそうで、神様は死なないから、嫌になったら死ぬんだよ。で、嫌になるタイミングみたいなのがあるんだと思う。なにかがあったんだよ。きっかけになるようななにかが。でも、実は原因は私たちにとってはすごいくだらないことかもしれない。最近神様がたくさん死んでっているから、自分も死のうかなあみたいな感じで、そんなふうに死んでいるのかもしれない。もしかしたら周期みたいなものがあって、神様は一斉に死に始めるのかもしれない。私の会った神様も別に死ぬことを怖がってはなかったよ。ただ終わるんだなって言っていた。映画が終わることを悲しんでいるみたいだったし、満足しているみたいだった」

「ふうん」

「理由なんてわかんないよ。あるかもしれないし、ないかもしれない。あったとしてもその理由はくだらないものかもしれないしね」

「でもそれで街や村が滅んじゃうんでしょ。嫌じゃないの、由は」

「……あんまり。寧はどうなの?」

 そう訊ねられて、私は滅びつつある街のことを考えた。私は街に滅んでほしくないと思っているのだろうか。街が滅ぶことを悲しんでいるのだろうか。考えて私はすぐに結論を出した。出てきた結論に私自身酷く困惑した。

「別に」

 私が言うと由はけらけらと笑った。

「私も」

 と言う。

 神が死ぬ理由はわからないし、考えても仕方がないことなのだろうか。実際、由の態度は正しいのだろう、と思う。わからないことはわからないものとして受け入れるのは、わからないものを自分の論理で無理に解釈して納得するよりは正しい行為だと思う。

 そうなのだけれど、私は穴の中にいた神の気持ちを考えてしまうのだ。彼女はいったいどのような経緯で神になったのだろう。あの石室の中に籠って、彼女は幸福であったのだろうか。幸福であってほしいと私は思う。彼女が幸福であったと私は信じる。そう考えると神に感じていた恐怖が薄れていく。そうして彼女以外のあらゆる神についても考える。私の住む街にいた神や、由の住んでいた街の神、私の知らない場所の生きている神たち、滅んでしまった土地のもう死んでしまった神たちについて考える。

 神は幸福であったのだろうか。どんな気持ちを抱いていたのだろう。どんなことを考えていたのだろう。総合公園の森で由が、神様に会ってみたくないのかと私に問うた。あの質問をする気持ちが今初めて理解できた。理解できたことがなんだか嬉しかった。同時に由が神のために墓をつくった気持ちもなんとなく分かったような気がした。神の死は悲しむべきことだ。死は悼むべきことだ。私は神に親しみを抱き、弔われることのない神を憐れむ。だから墓をつくるのだ。神のために、ひいては自分のために。由もこのように考えたのだろうか。わからない。けれど、ただの好奇心から発した提案である墓参りを、ちゃんと純真な気持ちで行えると思い、昨日以来、由に感じていた罪悪感が薄れた。

 川原を離れて幹線道路を由の村へと走る。道中、主に私たちは神様についての話をした。由の村の神様についての話だ。由は村に伝わる民話を私に伝えた。

「ふたりの同胞が山に入って死んじゃって、その同胞を憐れんだ蛇がふたりの死体にまきついて一晩痛哭すると、ふたりの体はくっついちゃう。そうして蛇が離れて何年も経った頃、そのくっついたふたりの同胞は八つの手足を動かして山奥に消えていった、そんな話」

「じゃあ由のみた神様も二人の人間が繋がっていたの」

「うん。そう。そう見えたよ」

 私は二人の人間が繋がった神の姿を考えた。二人ならば孤独ではなかっただろう。二人で神になるとはどういう気分なのだろう。ふと私は自分が神様になった想像をしてしまう。一人は嫌だった。孤独に耐えきれる気がしない。でも、二人ならどうだろう。二人なら別に悪くはないだろう。もちろん、誰でもいいというわけではないけれど。由の村の神様は兄弟げんかが絶えなかっただろう。その光景を想像して微笑ましく思う。不気味に思えた神がどんどん身近なものに思える。

「由は、神様になれるならなってみたい?」

 自転車をこぎつつ、尋ねる。山は近づき、道は斜面を走る。杉林が横に広がっている。

「どうだろう。わかんないや」

「じゃあ、二人なら」

 由はこちらを振り向く。笑う。「どういう意味、それ」「由の村の神様みたいに、誰かと二人でってこと」「誰と」「誰でもいいよ」

 そこまで言って、私はもし由が私以外の人を上げたら私は悲しむだろうと気がついた。はっとする。由は真剣に悩んでいるようだ。私は由に答えて欲しくなかった。

「それなら、なりたいかも」

 特定の誰かを言わなかったことに安堵する。同時に私でないことに卑屈な感情が湧く。身勝手な独占欲とはわかっていて、それでも卑屈な感情を抑えることのできない自分が嫌になった。

「寧は?」

「私は」由の顔を見る。「なってもいいかな、二人なら」

 由は邪気の無い瞳で私をじっと見つめて、それから[[rb:噴笑 > ふきだ]]した。告白でもしてるみたいだねと由は言った。

 目的地は段丘にできた小さな村であった。田畑と数軒の家屋があるのみである。家屋は夏の間に随分と荒廃していた。蔦に覆われている。川の向こうにある山を少し登った地点に神社があって、そこに墓があると由は言った。

 村を抜け、橋を渡り、田畑の畦道を通り、神社に続く階段の前に自転車を止めた。ふたりで階段を上る。神社は見晴らしのよい山の斜面に建立されている。小村には不釣り合いな程、立派な社である。楠の神木が境内に生えていて、枝葉を大きく広げていた。境内は薄暗い。鳥居の間には青い空が見えた。鳥居が窓のように思える。遠くの空に積乱雲が発達していた。空高く聳える雲の峰が太陽に照らされて白く輝いている。積乱雲が見えるのは私の住む街の方で、きっとあの下は雷雨だろうと思う。

 社の裏に墓があるのだと由は言う。私の手を取って引っ張る。彼女の手を私は握り返す。彼女は社の裏の、鬱蒼と茂る森の方へと私を連れていく。ふと道中の会話を思い出す。神になれるなら、私は由と二人なら神様になってもいいと思ったのだ。由はどう思ったのだろう。墓を見る前にそのことを尋ねておこうと思って、「寧」と私は呼びかけた。「なに」と振り返った由の瞳は真っ黒で、私は雷に打たれたように立ち尽くした。彼女は私の手を握ったままだ。頭の中で用意していた質問は声にならずに、曖昧な口の動きへ変わってしまった。由の姿が社の裏にある鬱々たる森の闇に半ば溶け込んでいるように。私は感じた。「あ」と私は声を漏らした。彼女の瞳のイメージは穴の中にいた神が私に与えたイメージと同一なものであることに、今、私は唐突に気がついた。

 私は動くことができなかった。ただ私は由を見つめていた。私と由は手を強く握ったままである。


 終わり

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廃村へ 中且中 @kw2sit6

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