第3話

 由と森で神様を探してから、二日後、クラスの友人からメッセージアプリを通して連絡があった。クラスメートのひとりが今週中に引っ越すことになったとのことだった。軽い送別会を開こうと言うのだ。その引っ越す生徒とは仲がいい方であったので快諾し、送別会の手筈を整えることにも協力した。

 その翌日、母から小学校の同級生が何人か急に引っ越すことになったのだと知らされた。父は同僚が何人か海外に転勤になったと夕食の席で話した。クラスの友人からメッセージが届く。別の生徒も引っ越すことになったそうだった。

 その翌々日、近所に住む祖父母が急死した。もともと持病持ちであったが、入院はしておらず矍鑠としていた。しかしどちらも同日に持病が急激に悪化し、緊急搬送されるもそのまま亡くなってしまった。葬式の手筈を整えようと父が仕事を休んで奔走したのだが、斎場の予約が満杯で取れないのだ。通夜と葬式は一日遅れて、少し遠い斎場で行った。このために私は友人の送別会への出席を断念せねばならなかった。

 外出していると、引っ越しのトラックを見る機会が増えた。救急車は毎日のように往来し、どこそこのなになにさんが亡くなったのだという噂が毎日のように流れた。はす向かいに住んでいた家族が突然夜逃げし、近所のアパートがいつのまにか全て空き室になっていた。小学や中学の同級生が何人も引っ越してしまった。クラスメートからは既に三人ほど引っ越していたが、聞くところによると今月いっぱいで後二人ほどが引っ越すらしかった。

 廃村現象。その言葉が頭に浮かんで消えなかった。明らかに異常な事態が起こっているということが分かった。不気味な、独特な空気が街には蔓延していた。それは死の臭い。滅びの臭いであった。母も父も友人も近所の住人も皆誰もが感づいていた。

 ある日、それは夏休みも終盤に差し掛かった頃、八月の末、真っ昼間に防災無線が鳴った。

「廃村現象が我が街で確認されました」

 とのことだった。それはもう宣告というよりも、確認に近かった。皆表立っては公言しなかったが、廃村現象が開始していることは勘づいていた。その日の晩、ニュースで廃村現象が新たに確認された地区が報道された。私の住む街の名前をアナウンサーが読み上げていた。

 不思議な程、皆の反応は穏やかだった。胸の底に澱のように存在していた恐怖と不安が、廃村現象の到来が現実のものとなったことで解消され、諦観と滅びゆく街への哀惜が代わってその位置を占めるようになったのだろう。街は奇妙に明るい雰囲気に包まれた。近所の誰それが引っ越したや亡くなったという話題はあったが、そこまで皆、騒がなくなった。

 父と母は、はやくも引っ越し先での生活について相談を始めた。まだ引っ越しは決まっていなかったが、いずれそうなるのだ。両親の見立てでは、父の転勤によって引っ越すことになる可能性が一番高かった。友人たちはもうじき皆別れるのだからと言って、しきりに集まって遊んでいた。けれども私はどうにも参加する気になれなかった。由の言葉が脳内から離れなかったのだ。最初は質の悪い冗談だと思っていた、神様に関しての発言が、今となっては現実的な強度を有して私の眼前に聳えていた。神様が存在する存在しないは保留するにしても街が滅びるという彼女の予測は当たったのだ。それは紛れもない事実であった。そしてその事実が彼女の神様に関する発言の現実感をアップさせた。

 皆は廃村現象を原因不明の一種の天災のように捉えているのだろう。そのために現象の到来を受け入れることができるのだ。私は、街が滅ぶということを素直に受け入れることができなかった。街が滅ぶことを止めたいと思っているわけではない。ただ煮え切らない不快感が胸の奥にあった。霧中にあった廃村現象が、神の死というトリガーによって引き起こされているという由の仮説によって、少しだけその姿を現したような気がした。中途半端に知ってしまったことによるむず痒い感じがある。答えではないにせよ、もう少し踏み込んでいけばなにかがわかるような気がするのだ。もちろんなにもわからないかもしれない。とにかく何のアクションもとらないで、この街を去るのが嫌だったのだ。

 いずれ両親か私か、家族のうちの誰かの事情で引っ越すことになるのだ、それまでに何かしたかった。かといって、私に何が出来るというわけでもない。結局、漫然と時間を浪費することになる。由に遇えばなにかチャンスがある気がするのだが、私は彼女の連絡先を知らなかった。交換しそびれていたのだ。

 私は外出する度に彼女の姿を探した。視界の端に彼女の姿が映ったような気がして振り返るも、気のせいであったということが多々起きた。いずれ別れるのだからと学校ではカップルがやたらとうまれた。友人たちの別れるまでの集まりは、中心的役割を果たしていた友人が突然、やむにやまれぬ事情で引っ越すことになってしまって、立ち消えた。廃村現象の初期というものは、特に転出者が多い。この初期が過ぎれば転出のペースは緩やかになるはずだった。廃村現象が開始したと思われる時期から二週間ほどが経過し、徐々に転出のペースは緩やかになる。街は閑散とし、救急車のサイレンや、引っ越し業者のトラックを見る頻度は少なくなった。街はつかのまの平穏の状態にあった。ここからは緩やかに滅びていき、いつか臨界点を迎えることとなる。この街はもう死んだも同然だった。死ぬのを待つだけなのだ。

 防災無線が廃村現象が初期から中期に移行したと告げた。

 夏休みはもうすぐ終わるが、課題は終わっていなかった。私は冷房の効いた部屋に籠って課題を処理していたが、一向にやる気が起きなくて、諦めた。なんだか何もかもが馬鹿らしかった。何とはなしに外に出た。図書館にでも行こうかと思い立つ。図書館もいずれ廃館になるのだと、市報に書いてあった。

 図書館には常に老人たちがいて、本や雑誌やらを読んでいたのだが、今や数人がまばらに座っているだけだった。古典文学の棚を眺めて、適当な本を選ぶ。ペルシアの詩についての書籍だった。特段興味があるわけではないが、暇を潰せるのならなんでも良かった。アラベスクの写真が表紙に使われていた。それをぼんやりと眺めていると、ふいに肩を叩かれた。驚いて振り向くと、由であった。

 図書館のエントランスホールにはベンチが置かれていて、私と由はそこに並んで腰をおろした。私は由が未だこの街を去っていなかったことに安堵した。彼女に神についての話を聞けると思った。

 由は神様の遺骸を探しているのだと言った。祠から逃げ出した神はこの街のどこかで息絶えているのだそうだ。遺骸を見つけてどうするのかと私が問うと「お墓をつくる」と彼女は答えた。

「この街に神様の死体があるとは限らないんじゃないの」

 私がそう言うと由は悲し気な顔をした。

「そうだね。でも、探さないよりはいいよ。私もいつかはこの街を出ないといけないし」

 この言葉を聞いて私は由が一年も経たぬうちに二度も廃村現象に遭遇したのだという事実に思い当たり、愕然とした。彼女はこのもの悲しい居住区の死を二度も経験しているのだ。

「神様は可哀そうなんだよ。きっと死んだり逃げたりするのも、もう嫌になったんだろうと思う。ずっと神様でいたのに、死んでもお墓がつくられないのはさ、可哀そうでしょ」

「由のいた村の神様にも、由はお墓をつくったの?」

「うん。最後に残ったのは私だけだったから、小さなやつだけど。神様の死体はね、いつまでも綺麗なままなんだよ。ずっと綺麗なまま。だからお墓も埋めたりとかはしなくてね、死体の周りを飾るだけにしたんだ」

 私は「そうなんだね」と相槌を打った。神の存在について彼女を問い詰めようとは思わなかった。むしろ私は彼女の言葉を少しばかり信じてさえいた。神様が本当にいるような気がしてきたのだ。事の真偽を確かめてみたくなってきた。ふと脳内にある考えが浮かんだ。私はそれをポロっと口から出した。

「お墓参りに行こうよ。由のいた村の神様のお墓に」

 由の反応は劇的だった。彼女は身を乗り出して、「本当に」と言って破顔した。

「本当に行ってくれるの? 本当に? きっと神様も喜ぶよ。うん、きっと」

 彼女の勢いに圧倒され「うん」と頷く。彼女は心底喜んでいるようだった。私の提案は神の死体の現物を見てみたいという好奇心から発したものであった。彼女の反応を見ているとその動機が卑しいことに感じられた。「本当に?」と由は念を押すように何度も尋ねて、その度にわたしは「本当に」と答えた。彼女は大変に嬉しそうに笑った。

「じゃあさ、明日の朝に、寧の家に行くね。バスはもう運行してないけど、この街から村まで自転車で一時間ぐらいだから」

 断る気にはなれなかった。私は首肯した。それから廃村へ向かう際の計画を二人で練った。それは楽しい作業だった。なんだか冒険にでも出かけるような気分であった。別れる頃にはもう夕暮れ時で、館内には閉館を告げる音楽が流れていた。図書館の前で「じゃあね、由」と私が言うと、由は驚いた顔をした。ふと私が彼女の名前を呼ぶのは今が初めてだと気がついた。「またね、寧」と由が言う。私はなんだかおかしくなって笑った。由はきょとんとしていたが、呼応したように困ったように微笑んだ。その態度が妙におかしくて、私はまた笑った。なんだか愉快だった。明日の墓参りに、由の住んでいた村に行って、そこに神の死体があってもなくても、彼女の発言の真偽がどうであれ、私はそこに拘泥しないだろうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る