消えた共通点

「お、おい、こりゃなんだ。嘘だろ、おい」

 磯部さんは狼狽していた。



「どうしたのよ。いつもの態度はどこに――きゃ、きゃああぁぁあ」

 冬美さんの悲鳴がこだまする。



「諫早殿、荒木殿の脈を測るのじゃ。まだ、間に合うかもしれん!」

 僕は震える足を無理やり荒木さんに向ける。



 夏央のときの記憶がフラッシュバックする。焼け焦げた壁、あたり一面に散らばったタロットカード、そして――椅子に縛りつけられた夏央。



「諫早殿、しっかりせい!」

 そうだ、今は目の前のことに集中だ。両頬を叩いて気合をいれる。



 すばやく荒木さんに近寄って脈を測る。僕は首を横に振った。遅かったのだ。



「そうか……これで事件は三件目になるの。犯人は歯止めがきかなくなっておるのかもしれん……」



 僕たちはしばらく目の前の惨状に呆然としていた。



「……。あ、あの、次はどうしますか? 喜八郎さん?」

 いつも冷静な喜八郎さんから指示がくるものと思い込んでいたが、一向にその気配がない。



「喜八郎さん?」もう一度確認する。



「……ああ、すまなんだ。考え事をしておったわい。さて、どこから手をつけるかの」



 喜八郎さんは少し取り乱して見える。冬美さんや磯部さんと一緒に、年齢が近い荒木さんと話に花を咲かせていたのを見かけた。きっとショックだったに違いない。仙人のような達観したイメージだった彼に初めて人間らしいところを見た。違う、そんなことを考えているときじゃない。



「そうじゃな、まずは現場検証じゃな。さて、まずは荒木殿の状況を観察じゃ。失礼するわい」

 事切れた荒木さんに断りをいれつつ、かがみこむ。



「ふむ、頭部に殴打の跡が見て取れる。周りに飛び散った血からして、死因は撲殺じゃな」



 撲殺。夏央のときは撲殺が直接の死因だったかはっきりしていないが、犯人は殺人のためなら手段を選ばないらしい。



「さて、凶器じゃが……ここに散乱しておるワインボトルと考えて問題なかろう」

 あたり一面はガラスの破片が散乱している。僕はガラス片を踏まないように注意しつつ喜八郎さんに近づく。



「そうなると、犯行はかなり衝動的なものですね。今回、犯人は凶器を現地調達していますし」

 「春の間」の事件では事前に睡眠薬を準備しているし、「夏の間」の事件ではライターを持ち込んでいる。



「諫早殿、それはちと違うのう。物事は『見る』じゃなくて『観る』ことが重要じゃ。周りをよく観察するのじゃ」

 喜八郎さんは何かに気づいているらしい。遺体の周りを見渡すと、あるものが目に入った。それは血まみれのレインコートだった。



「分かったかの? そう、返り血を防ぐためにレインコートを着ておったようじゃ。つまり、衝動的な犯行ではなく、計画されたものじゃ。それに犯人は荒木殿がここにいるのを知っておったわけじゃ。凶器がそれを示しておる。凶器を現地調達しておるのが、その証拠じゃ」

 喜八郎さんの言うとおりだ。



「では、犯人は荒木さんの行動を把握していたことになりますね。しかし、どうやって……?」



「小僧は引っ込んどれ。どれ、俺が解決してやる」

 磯部さんがずかずかと足音をたてて近づいて来る。



「磯部殿、足元に注意するのじゃ。血で滑って転倒しかねん」

 しかし、喜八郎さんの助言を聞かずに一直線にこっちに来る。



「ふん、そこまでドジではない!」

 磯部さんは血だまりの上を歩ききると、どうだとばかりにふんぞり返る。



「忠告どうも。だが、そんなもの不要だったな。さて、あとは俺がちゃちゃと事件を解決して――」



「磯部殿、その必要はない。すでに貴殿は手柄をあげておる。足元をよく見るのじゃ」

 足元? 磯部さんの足元を見てもなんら不思議なところはない。



「どういうことですか? 僕にはいまいちピンとこないんですが……」



「さっきも言うたが、観察じゃよ、観察。今、磯部殿は血だまりを歩いて来たのじゃ。さて、ここまで言えばどうかの?」

 喜八郎さんは僕を試しているらしい。磯部さんの足元を観察していると、あることに気がついた。



「そうか、磯部さんは血だまりを歩いたのに、足跡に血がついていない! 喜八郎さんが言いたいのは、こういうことですね」僕は興奮した。



「そうじゃ、血は固まりきっておる。つまり、犯行からかなり時間がかなり経過していることを示しておる。きっと昨夜から明朝にかけての間に事件は起きたのじゃ。さて、三日月さんが担当するのは料理と清掃じゃったの。ワインは荒木殿の分担じゃったのかの?」



「はい、ワインをお出しするのは荒木さんの仕事でした」三日月さんは淡々と答える。



「おおよその犯行時間が絞れたの。恐らく荒木殿が朝食に出すワインを調達しようとしたところを狙われたのじゃ。きっと、荒木殿の行動パターンを知ったうえで、自室からここまで来るとドカンとワインボトルで殴ったのじゃ」



「そうなると、犯人の野郎は自分が襲われるかもしれないと戦々恐々として、俺たちが自室にこもっているのを利用したことになるな」磯部さんは苛立たしげだ。



「さて、ある程度の情報は出揃ったかの。荒木殿は今朝がた、ワインを出す最中にワインボトルで犯人に殴られたわけじゃ。犯人はレインコートで返り血を防いでおる。計画的な犯行じゃ。今回はかなり分かりやすいの」

「ちょっと待って」冬美さんがストップをかける。



「今回の事件、辞書がないわ」



「なんと! 冬美さんの言うとおりじゃ。あやうく、重要なことを見落とすところじゃった。ナイスフォローじゃ」喜八郎さんが続ける。



「簡単だと言ったのは前言撤回じゃな。むしろ、状況はかなり複雑になってしもうた。ここにきて、犯人の行動パターンが変わっておる。今までの異常なまでの辞書への執着心が見当たらん。わしらは新たな謎にぶつかったわけじゃ」

 沈黙があたりを包み込む。



「あのー、ここも現場保存すべきじゃないでしょうか? 写真は自分が撮りますので」



「そうじゃな、諫早殿の意見を採用じゃ。肝心なことを失念しておったわい。いかん、いかん。荒木殿の死で動揺しておる。頼むわい」

 僕は黙々と写真を撮る。



「割れたワインボトル」、「乾いた血痕」そして「レインコート」。「辞書」はないので、口頭で伝えるしかない。



 僕は写真を撮りつつ考える。春、夏と季節順に犯行があったので、次は「秋の間」だと思い込んでいた。いつか喜八郎さんが言ったように「先入観は判断を誤らせる」。



 そして二つ目の思い込み。犯人はすべての現場に辞書を置くわけではない。これが大きな謎だ。何かのメッセージではなかったのか? では、どういう意図があるのだろうか。前の二件の事件の辞書の共通点が「ことわざ辞典」であることは、喜八郎さんが書庫で指摘している。これについては他のグループにも共有すべき大きな発見だ。一歩前進といったところだろうか。



 もう一点、気づいたことがある。暁、夏央はタロット占いのとおりになった――正確に言うと暁は死ぬところだった――が、荒木さんはそうではない。彼は占いの現場にはいなかった。つまり、犯人の犯行手段とタロット占いの結果は偶然に被った可能性が高まった。これで天馬さんが「吊るされた男」のようになる可能性は低くなった。では、僕はどうか。未来のカードは「悪魔」だった。由美子さんが言うには「交友関係が狭いまま」という意味だそうだ。同時に「希望がない」という意味もある。今の状況以上に、絶望に追い込まれることはないだろう。いや、そう願いたい。



「この事件のことを他のグループにも共有すべきじゃないでしょうか。きっと、みんなは荒木さんが生きていると思って探していると思います」

 悪い情報ほど、早く伝えるべきだ。それに犯人は僕たちに混ざって今この瞬間も誰かを殺そうとしているかもしれない。



「そうじゃな。三日月さん、ワインセラーの鍵は荒木殿が持っておるのじゃな?」



「ええ」



「では、申し訳ないが鍵を拝借じゃ」

 喜八郎さんはかがみこむと、荒木さんのポケットから鍵の束を取り出す。



「犯人がこれを盗らなかったのは幸いじゃった。これがあれば、どこへでも侵入可能になってしまう。あやうく証拠隠滅を許してしまうところじゃった。では、例のごとくここも封鎖じゃ」

 僕が扉を全力で押して閉めると、喜八郎さんがガチャリと鍵をかける。



「問題はこの鍵の束を誰が持つか、じゃ。持ち主は当然、命を狙われる。まあ、これは広間に戻ってから決めればよかろう」

 僕たちはみんなが待っているであろう広間に向かった。

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