第22話 親の愛情
クレアのいるホテルの中へと足を進め、俺とワイズマンさんは一つの部屋の前にいた。
ここまで何とか見つからずに来ている。
それは時間も時間だ。既に深夜に差しかかろうとしている時刻。
それでもワイズマンさんが何とか取り次いでくれた。
恐らくだけど、今の俺に帰る場所はない。
あれだけ俺を血眼になって探していたのなら、家も抑えられているだろう。
「少々お待ち下さい」
誰もいない廊下でワイズマンさんが一つ頭を下げてから部屋の中へと入っていく。
この中にクレアのお母さんが居る。
お母さん。
その言葉で子どもの頃の事を少しだけ思い出す。
俺に両親は居ない。父も母も病に臥して、亡くなったから。
でも、覚えている。あの日、既に父が他界し、その後の無理が祟って、病に臥した母の事。
病院のベッドで眠っていたお母さんは俺の頬を撫でながら言ってくれた。
『愛してる』と。
それが最後の会話だった。
あの時、俺は最期に母の笑顔を見た。今でもそれは俺の記憶の中に焼き付いている。
お母さんと過ごした日々が。
『……ハルト。ちゃんとマフラーしないと寒いでしょ』
『ん~、これあんまり好きじゃない』
『好きじゃなくても、ほら」
そう言いながら、俺の首元に優しくマフラーを掛けて、巻いてくれた。
それからいつも優しく頭を撫でてくれて。
とても暖かい人だった。
だから、俺は親って存在はいつだって子どもを大切にしてくれるって思っている。
親は子を愛し、子は親を愛する。俺はずっとずっとこの心に親から受けた無償の愛が詰まっている。それは人に優しさを、慈しみを持たせてくれる。
でも……クラーラ家は違った。
子を道具とし、利用する事ばかりを考えている。
そんな世界が本当にあるだなんて全く知らなかったし、それに晒されているクレアの気持ちを考えると、胸が締め付けられる程に痛くなる。
だからこそ、その真意を知りたいと思った。
『ハルト。お母さんはね、ハルトが元気で居てくれたらそれで良いの。普通なら普通でも良いんだよ? だって、ハルトはハルトなんだから。
だから、ハルトはハルトのやりたいように生きて行きなさい。お母さんはそれをずっと応援してるよ』
死ぬ数日前に言ってくれた言葉。
俺の人生の指針になってくれている言葉。
「ハルト様、どうぞ」
「失礼します」
ガチャリ、と静かに扉を開け、ワイズマンさんが姿を見せる。
それからワイズマンさんは扉の脇に移動し、俺は扉の向こうへと足を進める。
部屋の中は普通のホテルと何ら変わらない。
ただ、上層階であるからか、窓の外からはとても綺麗な夜景が見える。
その窓際にある椅子に腰を落ち着かせ、優雅な所作でワインを呑んでいる女性が居た。
まるで、今のクレアをそのまま大人にしたかのような女性。
その女性は俺を視界に入れると、優しく笑う。
「初めまして、君が佐藤ハルト?」
「はい。佐藤ハルトって言います。急にお話がしたいだなんて言って、申し訳ありません」
「……良いのよ。私もクレアがご執心の君には興味があったから。ワイズマン、席を外しなさい。それとこの部屋には誰も近づけさせないで」
「かしこまりました」
そう言ってからワイズマンは部屋の外に出ていき、この空間には俺とクレアのお母さんだけになる。それからクレアのお母さんは椅子を用意し、座るように促す。
「そっちに座りなさい。立ち話もなんでしょうから」
「ありがとうございます」
俺が座ると、クレアのお母さんは椅子に座り直し、口を開いた。
「それで? 何の話をしに来たのかしら? クレアが欲しいっていうお話?」
「それもありますけど……どうして、クレアにあんな酷い事をさせたんですか? あんな……道具みたいに……」
「道具……ね……そうね、そういう教育をしてきたのは事実よ」
悪びれる様子もなく、クレアのお母さんはワインを呑み、口を開いた。
「私は元来、子を成し難い身体でね。あの子が生まれた時にはそれはそれは嬉しかったものよ。でもね、私たちはクラーラ家という、世界を支える大企業のトップ……何が何でもあの子を後継者にしなくちゃならない。……そう考えると、何が何でもクレアには跡取りになって欲しかった。
それだけよ」
「……クレアの意志を無視したとしても、ですか?」
「そうね。まぁ、今になって、それは大きな失敗だったけれどね」
クレアの母は椅子の背もたれに背中を預ける。
失敗と認めている? それは一体。俺が首を傾げると、クレアのお母さんは優しく笑う。
「ハルトとクレアのデートの話をワイズマンから聞いたわ」
「え?」
「どの話を聞いても、本当にクレアなのかなって感じるようなものだったわ。楽しそうに笑い、心の底から幸せそうにデートを楽しんでいた、と」
「……まぁ、そうですね」
「だからこそ、私は貴方に託したい、と思ったのよ」
その時見たクレアのお母さんの眼差しは何処か縋るようなモノだった。
まるで、もう自分には何も変えられない、変わらないという後悔にも近しい目。
「貴方はクラーラ家の話をワイズマンとリアから聞いてるでしょう?」
「え? はい。新エネルギー開発は一歩間違えば大惨事になる……それをこの婚約を持って強行しようとしているって話ですよね?」
「ええ、そう。私はずっとそれを止めたかった。いくら、新エネルギー開発によって人々の生活が豊かになろうとも、そこに孕んだ大きな問題から目を背ける訳にはいかない。
それは秤にかけた時、何よりも大事なのは『人間』なのよ」
俺は何もいう事なくクレアのお母さんの言葉を待つ。
「人間を守り、育み、導く。そして、それによって人類という大きな存在、種に貢献していく。それが元来、クラーラ家に与えられた使命なのよ。けどね……あの人は違うのよ。
あの人は、利権、財産、権力。それに溺れつつある……もう、止められない所まで来てしまっている。夢の為なんて……そんなのは見てくれの良い体裁のようなものよ」
「……じゃあ、つまり、貴方はクラーラ家をやり直したいって考えてるって事ですか?」
元々、保守派だと聞いてはいたから、この考えには俺も賛同できる。
でも、俺が聞きたいのはそれじゃない。
「ええ、そうね」
「その為に、俺とクレアを利用するんですか?」
「…………」
俺の問い掛けにクレアのお母さんは押し黙る。
この人もそうか。結局、上に立っている事が当たり前で、本当にやるべき事が見えていない。
そんなんだったら、きっといつまでもクレアを利用し続ける。
だからこそ、俺は言わなくちゃいけない。言いたい。
「……それはクレアに話したんですか?」
「話してないわ。あの子が知る必要はないもの」
「あります。クレアだって当人だ。何も知らなくて良いはずがない」
「……何が言いたいの?」
俺の言葉が本当に分からないのか、クレアのお母さんは首を傾げる。
そんな状況の話でも、どうなりたいとか、そんな話をしたいんじゃない。
そんな状況は全部分かってる。
「貴方はクレアのお母さんですよね? 何で、クレアと向き合わないんですか?」
「…………」
「クレアは言ってましたよ。あの家には私の『鳥かご』だって。外に出る事も叶わず、自由もない。クラーラ家のためだと言われ続けて、あまりにも苦しい場所だったって。
それなのに、どうして……どうして、貴方はクレアの話を少しでも聞いてあげなかったんですか?」
俺の言葉にクレアのお母さんは一つ息を吐き、額に手を当てる。
「…………」
「……俺はクレアの為にやりますし、クレアの事を誰よりも愛しています。だからこそ、俺はこれから先の未来で、クレアには笑っていて欲しいんです。だから、俺はこのままだったら……」
俺は一つ息を吐く。言うんだ、言うしかない。
俺の覚悟を。
「この婚約をぶち壊したら、クレアを貰います。もう、クラーラ家とも関わらせない……誘拐でもなんでもして、クレアを俺の物にします」
「貴方……何を言っているのか分かってるの!?」
「分かってます。それでも……俺はクレアに笑っていて欲しい。今のクラーラ家はクレアにとってそういう場所じゃないんです。だから……まだ、クレアのお母さんなら、クレアと向き合って下さい。
そして、あの子のやりたい事を聞いてあげて下さい。お願いします」
俺はまっすぐクレアのお母さんに頭を下げる。
間違いなく、俺は吹けば飛ぶような存在。
クラーラ家が本気になれば、俺なんて簡単に消し去る事が出来る。
それくらいに脆い存在。そうだったとしても、俺の気持ちは決して変わらない。
クレアに笑っていて欲しい。
クレアに幸せでいて欲しい。
その場所がもしも、クラーラ家にないのなら。そんな場所は必要ない。
「…………」
クレアのお母さんは一つ息を吐き、天を仰ぐ。
その表情にはやはり、というべきか、悲壮なものが漂っている。
「……私もそうしてあげたかったわ」
「え?」
「あの子の話を聞いて、あの子にとって一番幸せな未来を歩いて欲しいって思ってる。でも……クラーラ家はそれを許さない家なのよ……多くの人々に支えられ、支え、導く。クラーラ家が無くなれば、多くの人が路頭に迷い、世界の経済にも大きな打撃を与える。だから、そうするしかなかった。
それが正しい、と思い込んで……」
「…………」
良かった、と心の中で思ってしまった。
もしも、ここで本当に親の愛情もなかったら、今頃俺は話なんてしなかったと思う。
でも、それが聞けて、本当に良かった。
クレアが母親から愛されていて。本当に。
「ねぇ、佐藤ハルト」
「はい?」
「貴方はクレアをどうしたいの? 妻にしたい?」
「……妻っていうよりは、幸せであってほしいと思ってます。勿論、俺だってクレアには側に居て欲しい。でも、俺があの子の幸せに繋がらないなら、身は引こうって思ってます」
「貴方は誰よりもクレアの幸福を願っているのね……」
クレアのお母さんは身体を起こし、真っ直ぐ俺を見つめた。
その目には先ほどまでの悲壮感はなく、何処か決意に満ちた力強い眼差し。
「……だったら、お願いしたい。他でも無い貴方に。貴方にクレアの事を……お願い、クレアを守ってあげて。その為の情報なら、いくらでも協力するわ」
それから深々とクレアのお母さんが頭を下げるのを見て、俺は目を丸くする。
「い、いや!? そこまでしなくても!! ただ、俺は確認したかっただけなんです。クレアにも……まだ頼りなるお母さんが居るんだって。俺にはもう……居ないから」
「……そう、なの?」
「俺は父も母ももう居ません。その辛さは知っています。心細くて、寂しいって思います。俺はそんな気持ちをクレアに感じて欲しくないだけ……だから、貴女にクレアを思ってくれる気持ちがあるんなら、それで良いです」
それが確認できただけでも話が出来て、本当に良かった。
俺はクレアのお母さんを真っ直ぐ見つめ、口を開いた。
「それが確認できたのであれば、俺の話を聞いてくれませんか? その……クレアを守る為にやりたい事があるんです」
「聞きましょう。言ってみて下さい」
俺の考えている事のすべてをクレアのお母さんに話す。
それらを聞き、クレアのお母さんは難色を示した。
「そうね……それは難しいわ。貴方の言う『証拠』が足りない」
「これでもまだ弱いですか?」
「ええ。それを確実に指示したという言質が欲しい所なんだけど……。私達はあくまでも書類上のものならあるんだけれど……それでも逃げられる可能性がある」
「失礼します」
コンコン、と二度部屋の扉がノックされ、中に入ってきたのはリアだった。
リアは深々と頭を下げてから口を開く。
「色々とお話されている中申し訳ありません。緊急を有するもので、ハルトに渡したいものが」
「ハルトに?」
「俺? って、それ……」
リアを見た時、その手に持っている物で俺は察する。
俺がクレアに渡した防寒具一式と柴犬のキーホルダー。
それらを受け取ると、リアが口を開いた。
「それともう一つ伝言がございます」
「伝言?」
「『また、これを私に着せて。あの時みたいに』。だそうです」
「…………分かった」
そうか。あの出会った公園で、という事か。
じゃあ、尚更しっかりと助けないといけないな。
俺は決意を新たに、柴犬のキーホルダーの頭を押す。
すると、音声が聞こえてきた。これはロジャーの声。
「これは……クレア、とんでもない情報を持ってきたな。これなら補強できませんか?」
「……そんなのがあるなんてね。まさか、貴方と持ってる同じものが二つあるなんて」
「ペアルックで買いましたから」
「そう。なら、充分よ。ハルト、貴方の計画、私が裏で手を回すわ」
クレアのお母さんの言葉を聞き、俺は小さく頷く。
「ありがとうございます」
「その代わり、これは、クラーラ家の信頼をも失墜させるものよ。私をそれを承諾するって事は分かるわよね?」
そうだ。この計画を実行すれば、ハリス家だけではなく、この婚約パーティの参列者。そして、クラーラ家そのものにも大打撃を与える事になる。
けれど、そうする事でしか、この状況を一変させる事は出来ない。
それをクレアのお母さんは承諾してくれた。
だからこそ、それが成功した時。俺には大きな責任が付き纏う。
「……クレアは俺がしっかりと婚約者として守れって事、ですよね?」
「そういう事。その後のクラーラ家の建て直しは任せない。クレアは貴方が守る、良い?」
「分かりました。その時はクレアを嫁に貰いますから」
「ええ。本人の意志も大事だけどね」
そういうクレアのお母さんに俺は堂々と言い放つ。
「それは必要ないですよ。だって、クレアは俺の事、好きですから」
さあ、決行は明日。 婚約パーティだ。
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