第21話 闇の正体

 私は今、ロジャー・E・ハリスと相対している。


「何か用かな? クレア。君には部屋から出るな、と厳命していたはずだが?」


 そう、私はこのホテルから外に出る事が出来ない。

 明日、正式に私の婚約パーティが行われる事になった。

 そして、もう二度と私がこのホテルから脱走出来ないように、私は部屋から出る事すらも許されて


いない。


 じゃあ、どうして出てきているのか。


 私はジャンパーのポケットからスマホを取り出し、それを机の上に置く。

 既に録音はしてあるはずだ。


「それに何だ? その服装は? ここはホテルの中だぞ?」

「……良いでしょう? 私が何を着ていたって、私はね、この服が大好きなのよ」

「……私に対する挑発か?」


 私に対して侮蔑にも近しい眼差しを向けるロジャー。

 当たり前だ。

 この服はお前にとって一番忌々しい服なんだから。

 黒のみすぼらしいジャンパーに、ボロボロのほつれたマフラー、そして手袋。

 

 全部、私が愛してやまないハルトから貰ったもの。


「挑発? そうね。そうかもしれないわね。今日は貴方に言いたい事があって来たのよ」

「何だ?」

「私、ハルトに抱かれたの」


 私の言葉に一気に眉間に皺が寄るロジャー。

 それからすぐさま座っていた身体を立ち上がらせ、私に迫る。


「どういう意味だ?」

「簡単な意味よ。私のはじめての全てを彼に捧げたの。貴方なんかじゃなくてね」

「……なるほど。面白い冗談だ」


 そう言ってから、ロジャーは私の首に巻くマフラーに触れようとする。

 私はすぐさまロジャーから距離を取った。


「言ったでしょ、それに貴方が触らないで」

「……貴様、私をバカにしているのか? 今更、そんな苦し紛れな嘘で何がしたい」


 そう言いながら、ロジャーは私が置いたスマホの電源を付け、画面を見せびらかす。


「録音。君にしてはなかなか知恵を回したな。これで私の事を糾弾するつもりだったか? 本当に


小賢しい女だ。だが、君は大きな勘違いをしている」

「……勘違い?」

「ああ、私は君に興味は無い」


 ロジャーは腰を落ち着かせ、私を睨みつける。


「そうだな……私からすれば君はただの『商品』に過ぎない。もしも、本当にあの下賎な男に抱かれ


たというのなら、それはそれで良い。まぁ、君の商品価値は大きく下がってしまうが、それも良いだ


ろう」

「……何を、言ってるの?」


 私の脳が理解を拒んでいる。


 でも、理解しなくちゃいけないし、向き合わなくちゃいけない。

 逃げるわけにはいかない。私が言葉を待っていると、ロジャーが口を開いた。


「私は君を売ろうと考えている。ああ、もう既に多くの客が決まっていてね。君はそいつ等の相手を


してもらおうと思っている」

「相手?」

「知らないわけが無いだろう? 君は男の慰み物になってもらうんだよ」

「っ!? な、何言っているの!?」


 私は何かが口の中に戻ってきそうな感覚を覚える程の嫌悪感が一気にやってきた。

 何を言ってるんだ、こいつは。


 私を『性奴隷』にでもしようと考えているのか。


 だとしたら、この婚約自体がまるで意味を成さない。クラーラ家の悲願だって叶わないはずだ。

 そんな事をして。しかし、ロジャーは私の思考を読んでいたかのような鋭い眼差しを私に向ける。


「ああ、クラーラ家とは懇意にさせてもらうが……どうだろうね? それも長く続くか、否か……」

「あ、貴方……クラーラ家を消すつもり!?」

「さあ? そこまでは言及していない。ただ、不幸な事故が起きてしまうかもしれない、という話さ」


 ロジャーはそう言ってから、立ち上がり、私へと歩みを進める。

 それから私の顎を掴み、無理矢理持ち上げた。


「私はね、最初から新エネルギーなんてものはどうでも良いんだよ。私が欲しいのは『金』さ。良い


か? この世の中、金さえあれば何でも出来るのさ。

 金があれば人を動かし、世論を変え、事実を捻じ曲げられる。それは君も良く知っているだろう


?」

「…………」

「クラーラ家も同じさ。君の父は新エネルギーが持つ、人間に対する悪影響を全て隠匿している。


そのエネルギーによってどれだけの被害が出る事になるのか……。

 それを全部、金の力で隠蔽している。違うかな?」


 それは聞いた事があった。

 ママが喧嘩をしていた時に言っていた。


『新しいエネルギー開発を進めて、間違いが起きれば、そこは死地になる』と。


 それは原発問題なんて些細なモノで、そこ一帯が焦土と化し、全ての生命体が絶命するという程


。それでも新エネルギー開発を推進しようと考えていたのがパパだって。

 

 それが分かっていながら、開発を推進しようとしている、と。


 金を握らせて、その危険性を黙らせている。


「……それが世界のあり方だよ。クレア」

「…………」

「人は欲深い。その欲の象徴こそが『金』だ。ああ、分かりやすく教えよう。君の大好きな男は今頃、


私が金を渡した奴等にボコボコにされ、今頃、死んでいるだろうね」

「……は?」


 私の頭が真っ白になった気がした。


 ハルトが、死んだ?


 そんな訳ない。ハルトが死ぬはずが無い。そうだ、そんな訳。


「そんな訳ない、と言いたいようだが、それは無理な話さ。こっちへ来い」


 そう言いながらロジャーは私を部屋の窓際まで移動させる。

 そこからはハルトの暮らしている街の全てが一望出来るその場所。

 煌々と街の明かりが見えていて、人の営み、活力が感じられる美しい夜景。

 それを見つめ、ロジャーは冷酷に言う。


「あの街、全てに私の部下が血眼になって奴を探しているのさ。奴は君に手を出した……私の商


品に手を出したんだ。それは死にも等しい罰が必要だと思わないかな?」

「……貴方、本当に」

「最低? そうかな? どうせ、路傍の石に過ぎないだろう? 奴の事なんざ……」


 ロジャーは私の肩の上に手を置き、口を開いた。


「過去の事なんか忘れろ。君にはこれから先、もっと大事な仕事がある。その美貌と身体を使って


な。それに……これは君のせいだ」

「…………」

「君が彼と出会わなければこんな事にはならなかったのにな。本当に――残念だよ」


 そんなはずがない。

 そんな訳が無い。

 

 死ぬ訳ない。彼は生きると。私と一緒になる道を諦めないって言ってくれた。


 私は一つ息を吐く。


 うん、そうだ。だから、私は諦めたらダメだ。


 奴は前も同じ事を言って、私を動揺させたんだから。いい加減、学ばないと。


 私は信じる。


 信じるって決めたんだから。


「私は彼と出会えて良かったわ」

「……何?」

「私は彼のおかげで人間になれた。クラーラ家の傀儡から、クレア・ド・クラーラにしてくれたのよ。彼


は必ず生きてる。貴方のゲスな手になんか乗らない」

「好きにそう思っているが良い。君の未来はもうとっくに決まっている」


 パンパン、とロジャーが手を叩いた瞬間。

 バン、と部屋の扉が開き、黒服の男が二人姿を見せる。


「クレアを連れて行け。私はこれから大事な話がある。しっかりと見張っておけよ」

「ハッ!!」

「っ!? は、離しなさい!! 自分で歩けるわ!!」


 私はロジャーの部屋を後にし、考える。


 ロジャーの目的は分かった。最初から新エネルギー開発は考えていなかった。

 私の家にある『財産』だけが目当て。


 そして、恐らくは婚約パーティ後。私を売り、クラーラ家の者たちを亡き者にし、その証拠を隠滅


させ、財産を奪う、といったところか。


 本当に最悪だ。


 最初からクラーラ家の財産目当てで近付いていた。


 これをパパは知っていたのかな? ママは?


 知らないなんて事は無いと考えたいけれど、ロジャーはパパが物凄く気に入っている。

 それだけ取り入ってるって事だ。


 私が考えに耽っていると、私が軟禁状態になっている部屋に到着する。

 その中へと入れられ、私は上着とマフラー、手袋を外す。


 これを付けてると、本当に勇気が出る。


「……ハルトがくれる勇気だもんね」


 会いたい。


 ハルトに会いたい。


 ハルトの笑顔が見たい、声が聞きたい、匂いを感じたい。温もりを感じたい。


 ハルトの全てを感じたい。


「ハルト……」


 私はマフラーを手に取り、顔を埋める。


 ああ、まだ、ほんの僅かだけハルトの匂いを感じる。


「すー……はー……んぅ、ハルトの匂いが僅かに……すー……はー……」

「お嬢様!! ただいま帰還……」


 バチコーン、と勢い良く開かれるホテルの扉。

 そこから飛び出してきたのはメイド服姿のリア。対して、私はハルトのマフラーに顔を埋め、匂いを


堪能している姿。


 あ、まずい。


 私は羞恥心が湧き上がり、顔が熱くなるのを感じる。


 ま、待って、ちがっ!!


 私が声を上げるよりも先にリアが一つ頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!! お嬢様!! 今はお楽しみ中でしたね!! ごめんなさい、是非とも続き


を」

「ま、待ちなさいよ!! 逃げないで!! 待って、してないから!!」

「え? でも、今、マフラーに顔を埋めて呼吸してませんでした? それって匂いで……」

「ち、違うから!! 変な勘違いしないで!! ちょ、ちょっと暖かかっただけ!!」


 私が必死に弁明をすると、リアはそうですか、と呟いてから、恭しく頭を下げる。


「これは申し訳ありませんでした、お嬢様」

「ねぇ、リア。ハルトは? 生きてるの? ロジャーは死んでるって」

「生きていますよ? まぁ、何度か殴られてはいまし――」

「な、殴られてた!? だ、大丈夫なの!? は、ハルト、痛い思いとかしてない!? ハルト、あん


まり身体鍛えてないから、そ、それにあんまり喧嘩とかも得意そうじゃないし!! そ、そんな人が殴


られるなんて、可哀想。ねぇ、本当に? 本当に大丈夫なの!?」


 私の頭がパニックになり、ハルトの心配の気持ちが口から溢れて行く。

 私が思わずリアに縋ると、リアは私を引き剥がしながら言う。


「ま、待って!! 落ち着いて下さい!! そんなに心配しなくとも、普通に動けますから!!」

「そ、そう。本当に良かった……」

「全く、こんなにも愛されているなんてちょっと羨ましいですね」

「ハルト、無事なんだ……ふふ、良かった」


 一気に安堵し、私は思わず笑みが零れる。

 それからリアは真剣な眼差しに変わる。


「今、ハルト様はここに居ます」

「……え? こ、ここにいるの!? 何で!?」

「御母様とお話をしたいそうで……」

「ママと? 何だろう……」

「それでですね」


 そう前置きしてからリアは言葉を続ける。


「クレア様は外に出るのが難しいと思いますので、こちらを。これ、ハルト様の連絡先です」

「分かったわ。確かに受け取った。じゃあ、私からはコレを」


 私はポケットの中に入れていた柴犬のキーホルダーをリアに渡す。

 リアは首を傾げた。


「これは?」

「多分、今、ハルトに必要なモノ。必ず届けて。それと……これも」


 私はハルトがくれた防寒具一式も、リアに渡す。


「これをハルトに」

「クレアお嬢様、これは一体……」

「ハルトに伝えて」



 『また、これを私に着せて。あの時みたいに』って。



 

 絶対にまた会えた時。あの時と同じように、私に着せて欲しい。


 あの時、私を――助けてくれたみたいに。


「私はずっとハルトを待ってる。私の世界で一番の王子様が助けに来てくれるのをね」

「……分かりました。必ずお伝えします。お嬢様はもうお休みになって下さい」

「ええ、そうするわ」


 その言葉を最後にリアは部屋から去って行く。

 それから私はベッドに腰を落ち着かせ、天井を見上げた。


 さっきまで燻っていた不安な気持ちはもう何処にも無い。


 だって、すぐそばにハルトが居るんだから。


 

『こ、これ……使って? 多分、そんな薄いドレスじゃ寒いでしょ?』



 そう言いながら、彼は私を暖めてくれた。


 凍え切っていた心と身体を溶かしてくれた。


 だから、今回も私を絶対に助けてくれる。


 助けてくれたら――うん。そうだね。決まってるよね。


「ハルト……」


 私は助けてもらった後の事を想像しながら、ベッドに横たわった――。

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