第19話 好きだから
「ハァ……ハァ……」
息が苦しい。鼓動が加速し、バクンバクンと耳元で鳴っているような感覚だ。
何度も深呼吸をし、俺は冷静になる。
先ほどまで全力疾走していたせいで、12月の寒空の癖に、全身が汗ばむ感覚を覚える。
「何が……どうなってんだ?」
俺は路地裏に腰を落ち着かせ、自分自身の身に起きた事を想起する。
始まりはワイズマンさんとの通話からだった。
クレアがロジャーに連れて行かれた事を話すと、彼は心底驚いた様子だった。
それからいくつかの話を聞いた。
一つ。
ロジャーにはクレアの居場所を決して報告していなかった事。
ワイズマンさんはあの後にメイド長である『リア』という方と話をしたらしい。その際に『リア』という方から『だから言った通りでしょ!!』とブチギレられ、ロジャーには報告しないように伝えたそうだ。
そして、この『リア』こそがクレアの逃亡に手を貸していた人らしい。
つまり、あの場にロジャーが来たのは彼の独断であり、自分で得た道である事。
一つ。
改めて、ワイズマンさんが自身の人脈を用いて探りを入れた所、ハリス家には『不透明なお金』の流れが見受けられたという話だ。
これは『家』で公表されている流れではなく、『ロジャー』自身で行われている取引であるらしく、それが意図的に消されている部分がいくつか判明したらしい。
しかし、これに関してはこれ以上踏み込む事が出来なかったという。
何故か? 連絡が付かなくなったらしい。
つまり、消されたんだろう。
その時点でワイズマンさんは言った。
『ロジャー氏には怪しい所がある。しかし、これを御父様が気付いていないはずがない。一度、確認をしてみます。なので、夜、一度会いましょう』と。
そうして、会う約束をし、俺は外に出たんだが――。
『佐藤ハルトだな?』
家の前に何人もの黒服の男たちが立っていた。
まるで待ち構えていたと言わんばかりに。その男たちには見覚えがあった。
そう、ロジャーが連れてきた奴等。
その瞬間、悟った。俺は……消されると。そうして、何とか逃げ惑い、今がある。
「ふぅ……」
ようやく黒服共を巻き、俺は安堵の息を漏らす。
まさか、こんな事までするとは思わなかったし、こんな事になるとは思わなかった。
ていうか、こんなにも黒い事をしていて、どうして今まで問題にならない?
そんなにも金の力ってのは強いのか?
金持ちの考える事は良く分からないが、このままじゃ調査どころの話じゃなくなる。
「……どうすっか。ワイズマンさんの所に行きたいけど、黒服が居場所を抑えてるよな……」
まぁ、間違いなくワイズマンさんの所にだってあの黒服の手は伸びていると考えるべきだ。
こういう時はいつだって『最悪の想定』する。
俺の行動は全て筒抜けで、相手は俺の居場所も、やる事も全て把握している。
だったら、俺を探して、何をしたいのか。
それは単純。俺を殺す事だ。多分、報いのようなものなんだろう。
「まさか、クレアに手を出して命まで狙われるなんて……スリリングにも程があるな」
名家の令嬢に手を出して、その婚約者に命を狙われる。
まるで、物語の中で起きているようなものだけど、これは紛れも無い現実だ。
……呼吸が落ち着いてきた。
後は、行動しよう。
「まずは警察……ダメだな。警察に言った所で相手にされないだろう? それにきっと根本的な解決にはならない」
ここで俺が黒服に追いかけられています、と警察に入り込んだとしても、警察もどう対応すれば分からないだろう。
それに最悪、金を握らされてる可能性だってある。
本当の最悪は警察すらも買収していて、息吹が掛かっている事。そういうのを見た事あるし。
「だったら、ワイズマンさんを探す……いや、それも違うか」
「ん? あれ、写真の奴じゃね?」
「あ、本当だ。ねぇ、ねぇ、兄ちゃん」
と、俺が考えていた時、唐突に四人の男たちに囲まれる。
この男たち、見覚えがあるぞ? ああ、そうだ。クレアに手を出そうとした奴等だ。
「兄ちゃんってさ、あのお嬢様と一緒にいた男だよね?」
「……だったら?」
「ひゅぅ!! 大当たり。兄ちゃんをボコボコにしたら、あの女、抱かせてくれるって話でさ~。あんな美人を抱けるって滅茶苦茶良いよな。それで、金までくれたんだよ」
は?
は?
俺の頭の中に疑問符が浮かぶ。
何がどうなってる? いや、そんな事を考えてる場合じゃない。
いますぐに逃げ――。
「おっと、逃がさないよ!!」
「っ!?」
腕を捕まれた直後、俺の腹部に強烈な圧迫感を覚え、膝から崩れ落ちる。
その時、俺のポケットからスマホが落ち、地面に転がる。
男たちは俺を見下ろすように見つめ、口を開いた。
「まぁ、巡り合わせが悪かったって思えよ。俺達も最高の報酬を貰っちまったからさ」
「ああ、悪いな。まさか、数百万をあんな、ポンって渡してくれるなんてな」
「それであんな美人を好き勝手できるんだろ? ホント、ツイてるぅ~」
「あの金髪のなんだっけ? ロジャーって奴には感謝しないとな」
ロジャー?
あいつが絡んでるのか?
やっぱり、ただの悪徳じゃねぇかよ。
俺を消そうとしてるのはあのバカか。胸倉を掴まれ、俺は無理矢理立たされる。
その時見えた、男たちの表情は何処か楽しそうだった。
「……さて、じゃあ、まずは俺が一発!!」
「うっ!?」
「じゃあ、次は俺ッ!!」
「ガッ!?」
何度も、何度も、腹部を殴りつけられ、痛みが全身を駆け巡る。
咳き込む暇すら与えられず、絶えず打ち込まれる拳。男が俺の胸倉から手を離すと、俺は地面に倒れ、思い切り咳き込む。
「ゴホッ!! ゴホッ!!」
腹が割れるように痛い……。
でも、まだ、俺の心は折れちゃいない。俺は地面を這ってでも進み、スマホを拾おうとする。
しかし、男がスマホを蹴り飛ばした。
「はい、ざんね~ん!!」
グイっと思い切り、俺の右手が踏みつけられる。その痛みと圧迫感に眉を潜めると、男たちは笑う。
「助けなんて呼んでも来ないって。ロジャーって人も、どうせ痛めつけて、黒服に渡せばいいって言ってたから。これはね、ただの私怨。だって、お前、あの女の滅茶苦茶好かれてたじゃん」
「俺達の事、無視してたもんな」
「そうそう。顔が美人だからってよ。でも、ああいうのってゆがめたら最高に楽しそうじゃね?」
「澄ました顔が絶望に染まるっていいよな。どんな顔になるんだろ」
ゲス野郎過ぎるだろ……。
ていうか、こいつ等は元々そういう奴等だったのかもしれない。
尚の事、ロジャーが利用する訳だ。
俺の右手を更に強く踏み、男が言う。
「だから、まだまだ付き合ってね、兄ちゃん」
「……おや? こんな所にスマホが。なっ!? クレアお嬢様の寝顔!? これはこんな接写で!? こ、こんなに進んだ関係だったとは……これは戻り次第、赤飯ですね」
快活な女性の声音が響く。その女性は俺を取り囲む四人組の男を見た。
「何? メイドさん?」
「はい、メイドです。クレアお嬢様の。大丈夫ですか?」
「……もしかして、リア?」
その女性はこの場には似つかわしくないメイド服に身を包み、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。それからすぐに口を開いた。
「はい。クレア・ド・クラーラ様に御仕えするメイド長、リアと申します。クレアお嬢様から貴女のお手伝いをするように、と仰せつかっております。なので、消えてくださいませんか?」
ニコっと誰もが見蕩れるような天使の如き笑顔を浮かべるリア。
それに男たちはゆっくりと近付いていく。
「何々、メイドさんが相手になってくれるの?」
「これは良い!! テンションが上が――」
グシャ、と聞こえちゃいけない音が聞こえた気がした。
リアは何の躊躇いも無く、男の顔面に右ストレートを打ちこみ、笑顔を浮かべる。
「ああ、申し訳ございません。私良く、クレア様に『ゴリラ』と言われる事が多く、近寄る存在を不当に殴ってしまうのです。申し訳ありません」
「こんの、ア――」
メキャ。
男の顔面にまたしても綺麗なストレートパンチが打ちこまれる。
本当に吸い込まれるように綺麗な一撃。
それを三人、全員に叩きこみ、リアは軽く手を払う。
「全く。初対面の相手にそんなに迫るだなんて、何と非常識な……っと、ハルト様。ご無事ですか?」
「……ああ、ありがとう」
俺はゆっくりと身体を起こし、壁にもたれかかる。
さすがにお腹が痛いな。俺が一つ呼吸をすると、リアさんが俺の側に駆け寄る。
「少々お怪我をされていますね」
「……大丈夫。少しじっとすれば。それに、それどころじゃないからさ」
「やはり、狙われているのですか?」
リアさんの心配そうな問いかけに俺は頷く。
「ああ、多分、ロジャーの部下、かな?」
「……そうでしたか。私はクレア様からのご命令で貴方を守る為に参りました。どうぞ、私を自由に御使い下さい」
「そういうのは間に合ってるかな」
自由に使うって、そういうのは別に必要ない。
だって、クレアが。と思っていると、リアはほんのり頬を紅く染める。
「そ、そういう意味じゃありません!! そういう事はクレア様にして下さい!!」
「していいんだ」
「いいんです。クレア様なら、多分、押せば目をハートにして応えてくれますから」
いや、本当にそうだから困るんですが。
と、心の中で思うが、決して口には出さない。すると、リアが一つ息を吐いた。
「こうなるって……気付いていましたか?」
「何が?」
「クレアお嬢様がとてつもない名家の方だと知っていたんですよね? いえ、知らないはずがありません。貴方のお話は全て、ワイズマンから聞きました」
リアはそのまま言葉を続ける。
「クレア様を拾ったと同時に、貴方はきっとこうなる運命が決まっていた。お金持ちっていうのはですね、欲望と陰謀渦巻く世界。ありとあらゆる不正や悪行が消され、野放しになり、己の理想の為ならば、他人を蹴落とす事にも躊躇いのない世界。貴方の居た場所とはまるで違う」
「……言われると、とんでもない世界だな。でも、今、痛感してるよ」
ここまでしてくるとは思わなかったのは正直な所だ。
ただ、クレアと仲良くしただけでこんな被害を受けるなんて。物語の中だけの話だと思っていた。
いざ、現実に起きて、ようやく痛感する。
でも、でも。俺は当たり前の事を口にする。
「でもさ……好きになっちゃったからな」
「……え?」
「色々、大人の事情とか陰謀というか、そういう汚いものはあるけどさ。俺はクレアを好き。好きだから、幸せになって欲しい。好きだから、一緒にいたい。それだけなんだよ」
それ以外に気持ちなんて何も無い。
ただ、好きだから。
「それだけあれば、何もいらないよ。だって、俺はクレアが好きだから」
「…………」
俺の言葉に唖然とするリアさん。しかし、すぐにリアさんはぷっと吹き出し、笑う。
「アハハ、なるほど。お嬢様が気に入る訳です」
「……どういう意味?」
「そのままですよ。お嬢様は信じていらっしゃいます。貴方が、あの鳥かごから救って下さると」
「ああ、必ず助けるさ。その為の鍵はもう、手にした。でも……まだ弱い」
俺はスマホに付いている『黒犬のキーホルダー』に手を触れる。
やっぱり、あの落とした時に動いていたか。
俺は黒犬の頭を押し込む。それからもう一度押し込み、耳を近づける。
聞こえてくる、先ほどの会話が。
それを聞き、リアさんが目を丸くする。
「こ、これは!? お嬢様が持っていた……」
「そうさ。ただ、これだけだと弱い。だから、確固たるモノが欲しいが……それは多分、すぐに手に入る」
「……どうしてですか?」
「どうして、ってそんなの決まってるだろ?」
――クレアが手に入れるんだから。
俺はゆっくりと立ち上がると、リアが肩を貸してくれる。
まだ、腹部が痛むが、それでも動かないと。
「だから、もっと根拠を強くしたい……ワイズマンさんの所に行こう」
「わ、分かりました!!」
そうして、俺とリアはワイズマンさんと約束した場所へと向かった――。
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