第18話 本性と覚悟

 私はぼーっと窓の外を見ている。

 車移動によって景色が流れていき、ただ、それを見つめるだけ。

 向かっている場所は私が逃げ出した最高級ホテル。

 

 あの場所には戻るつもりは無かったけれど……。


 私は今、そこに向かっている。


 私は首元に感じる温もりを手で確認する。

 家を出る直前にハルトが優しく巻いてくれたマフラー。それに手袋にジャンパーまで。

 きっと、私が気に入っているのを知っていた事と私が安心できるように渡してくれた。


「……随分とみすぼらしいじゃないか。ドレスはどうしたんだい?」

「…………」


 ジロジロとロジャーの下卑た眼差しが私の全身に這い回る。

 本当に不愉快だ。

 ハルトに見られるのとは全然違う。

 ハルトなら、もっと見てってなるのに、こいつはそうならない。


 それはきっと、こいつ、ロジャーの本性を私だけが知っているから。

 ロジャーは一つ舌打ちをし、口を開いた。


「……謝罪の言葉も無いのか? 勝手に婚約パーティを抜け出し、どれだけの人達に迷惑が掛かったと思う? 君のご両親や私の両親、全員が頭を下げたんだ。君が婚約をしたくない、という下らない一人よがりの理由で」

「…………」


 そんな事は分かっていた。

 この結婚は政略結婚だ。そして、新エネルギー開発という新しいプロジェクトを立ち上げる場。

 それにあやかろうと近寄ってくる人達だって居るに決まってる。

 この婚約パーティはそういう『大人の世界』の象徴ともいうべきもの。


 私が押し黙っていると、ロジャーが真っ直ぐ前を見たまま口を開いた。


「しかし、君も良くあんな男と一緒にいれたものだな? その衣服もそうだが……」


 やれやれ、といった様子でまるで小バカにするように言う。


「あの家は何だ? 倉庫か何かかと思ったよ。あんな所に住んでいるなんて。君も良く平気だったね」

「…………」


 ぎゅっと、私は思わずマフラーを握り締める。

 耐えろ。ハルトが悪く言われたって。きっとハルトも気にしないはずだ。


「そうかい? それだって全て君には相応しくない。戻り次第、ドレスに着替えさせて、全て捨てよう。その方が良い。君、という令嬢にはとても相応しくないものだよ」

「…………」


 相応しくない? そんな事誰が決める? 私自身だ。

 お前なんかにそんな事を決める権利何かある訳が無い。

 それに、これら全てにはハルトの優しさが詰まっている。ハルトの優しい温もりが。


「とはいっても、彼はもう終わりだけどね」


 ロジャーが言った言葉に私は目を丸くした。

 

 は? どういう事?


 私が目を丸くすると、ロジャーは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ようやく、顔色が変わったね。でも、当たり前だとは思わないかい? 私は彼とは違う、全てを持ち、いずれは世界の頂点に立つ男……対して、奴は路傍の石、いや、石も過大だな。ゴミだ」

「貴方……」

「そんな奴が、私の将来の伴侶に手を出したんだ。それ相応の報いは受けるべきだとは思わないかい?」

「…………ふざけんじゃないわよ!!」


 私は感情の高ぶりそのままに思わず叫んでいた。


「彼は何も関係ないじゃない!! ただ、私を助けてくれただけ!! それ以上の事なんて何も無い!!」

「いや? ある。君がそれを大切にしている所がね。何か、悪い影響を受けたかな?」


 そう言いながらロジャーはハルトがくれた黒いボロボロのマフラーを掴もうとする。


 その瞬間、私は身の毛がよだった。


 お前が触れるな、このマフラーに。


「触るな!! これは……お前なんかが触って良いものじゃない!!」

「……ふふ、それが何よりも証拠さ」

「っ!?」

「君は変わってしまったね。前は氷のように冷たかったのに……そう、まるで指示を待ち続ける傀儡のよう。しかし、今ではその瞳の奥で何かを見ている、人間のようだ……。



 ああ、気に入らない!!!!!」



 その声と同時に私は肩を捕まれ、押し倒されていた。

 腕をぎゅっと強く握られ、痛みが走る。それだけじゃない。

 ロジャーは左手で私の首を掴んだ。


「っ!? は、離せッ!!」

「全て貴様の責任だろう? 貴様が人間になったからこういう事になった、違うか?」

「何……だと……うっ!?」


 私の首がぎゅっと締まる。一気に呼吸が苦しくなり、私の口元から涎が出てくる。

 そんな私の苦しげな表情を見て、ロジャーは悦楽の笑みを浮かべる。


「クハハ、良い。そうだ。私は君のそういう顔が見たかったんだ。いつも全てを澄ましたような顔をし、意志もなくただ、傀儡のように生きている……しかし、今の君には希望がある。

 違うか?」

「…………」

「家のために、両親の為、誰かの為。そう綺麗事で並べてきた人生から脱却し、己の生きたいように、したいようにさせてくれた……それを受け入れてくれた、自己を受け入れた存在が、今、貴様のせいで、消えようとしている!!」


 ……そんな訳無い。

 そんな事をすれば、お前だってタダじゃすまないはずだ!!

 しかし、ロジャーはそれを見透かしていたのか、笑顔を浮かべる。


「ああ、私はそんな事いくらでもして、揉み消してきた。だから、彼はすぐに消えるさ、この世から」

「…………」


 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 そんなはずない、そんなはずない、そんはなずない。


 私はそう何度も言い聞かせる。


 だって、ハルトは約束したんだ。何があっても私と一緒になるのを諦めないって。


 だから、こいつが何をしたって、絶対に折れるはずが無い。


 ぐっと、更に力が込められる。私は徐々に意識が失われそうになり、それを察したのか、ロジャーが首から手を離す。

 それと同時に一気に呼吸をする事が出来るようになり、私は思わず咳き込む。


「ゴホッ!! ゴホッ!!」

「ああ、すまないね。少々、やりすぎてしまったかな?」

「ハァ……ハァ……さいってい!!」

「……本当に良い顔をする。君は美しい、それもまさしく芸術品のように。だからこそ……君には価値があるんだ。希望を抱き、それが打ち砕かれた時。

 そして、私に対する恐怖心を抱いた時……」


 ロジャーはそう言いながら、私の手を取る。

 それに寒気を感じ、振り解こうとするが、男の力で掴まれているせいか、振り払えない。


「……震えてるね。そう、君は恐怖しているんだ」

「…………」

「そうなれば、君はもう私には逆らえない。逆らえば……」

「うっ!!」


 ぎゅっと、また、私の首を掴む。一気に酸素の供給が断たれ、息苦しくなる。


「何度も何度も、生と死の狭間を経験させてあげるよ……君はただ大人しくしていれば良い。ただ、君は今まで通りの傀儡のまま生き続ければいいんだ」

「……ゴホッ!! ゴホッ!!」

「そして、人間となった責任は全て『彼』が払う事になる」


 それから車が停止し、私が抜け出したホテルに到着する。

 運転していた男性の方が車から降り、扉を開け、私はすぐさま車から降りる。

 

 決して後ろを振り向かずに歩き出し、私は震える手を抑え、ホテルのロビーに入る。

 今、このホテルは私達クラーク家とハリス家が貸しきりにしているせいか、誰もいない。


「……早く、部屋に戻って」

「お、お嬢様!?」


 と、ちょうど階段から降りてきたメイド服を身に纏った女性が姿を見せた。


 ああ、貴女は……。


 メイドは慌てた様子で私へと近付き、異変に気付いたのか、目を丸くする。


「お、お嬢様!! こちらへ!!」

「ご、ごめんなさい……」


 優しく私を抱き締め、階段を二人で上がっていく。

 それから二階に向かい、空き部屋の中へと連れて行ってくれた。

 メイドはキョロキョロと扉の外をうかがってから、扉を閉め、口を開いた。


「お嬢様、どうして戻ってきたんですか?」

「……リア、ごめんなさい」

「もぅ、私がせっかく協力したのに!! どうして戻って来ちゃったんですか!!」


 ぷんぷん、といった様子で可愛らしい怒りを露にするリア。

 そう、この子は私がこの婚約パーティを脱走するのを手伝ってくれたメイド長だ。

 

「せっかく、色々と工作したのに……って、何だか見慣れないものを着てますね。ああ、アレですか? お嬢様のコレですか?」


 そう言いながら、リアは親指を立てる。

 それに私は曖昧に笑うと、リアは皆まで言うな、と言わんばかりに手を前に出す。


「その話は既にワイズマンから聞いております。だから、戻ってこないと思っていたんですが……それに何かされたのですか? 先ほどから、ずっと震えております」

「……ふぅ……はぁ……ごめんなさい、ちょっとね」

「やはり、ロジャー、ですか?」


 リアは唯一、私の言う事を信じてくれている人。

 この子と私は小さな頃からの付き合い。だから、彼の邪悪さにも気付いてくれている。


「皆、騙されてますからね~。御父様なんて、同じ夢を持つ同志とまで言ってしまう始末。あの人、聞く耳持ちませんからね~……本当に、向こう見ずっていうか」

「……そうね」


 変だ。私の心は彼を信じてる。諦めないって。


 でも、頭の中でへばりついて離れない言葉がずっとリフレインしている。


『だから、彼はすぐに消えるさ、この世から』


 私のせいで、ハルトがいなくなるかもしれない。


 私とハルトが出会ってせいで。そうじゃないって分かってる。


 ハルトが居なくなる訳なんかないって分かってる。


 でも、何で……どうして……。


「……ぐすっ、ハルトぉ……」

「お、お嬢様!?」

「リア、ハルトが……ハルトが、殺されちゃう……」

「何ですって? お嬢様、冷静になって下さい……」


 リアの顔色が変わる。

 リアは私をベッドまで連れていき、そこに座らせてくれる。

 それから真っ直ぐ私の顔を見つめ、口を開いた。


「誰が? どう、そう言ったんですか?」

「ぐすっ……ロジャーが……自分のオンナに手を出したから、ハルトを殺すって。それを簡単にもみ消すって……私、どうしたら……」


 ハルトに知らせなくちゃいけない。

 ハルトを助けなくちゃいけない。私はここから行かなくちゃいけない。


 でも、リアは考えている。


「……お嬢様。お嬢様は一つ指令を受けているはずです」

「指令? ……アレ? クラーラ家を救えって」

「はい。アレはですね、ハルト様に対する『試練』でもあるんです」

「……どういう、事?」


 リアは私の手を取り、力強く言う。


「御母様はとうに貴女とハルト様の事を認めております。ただ、それを周りに認めさせるにはハルト、という少年が貴女に誰よりも相応しいと証明しなくてはならないのです。

 貴女は既に婚約なさっている。それを……引っくり返すだけの実績が……。そうじゃなくちゃ、お言葉ですが、何処のウマの骨かも分からないような男にお嬢様を任せられません」


 唐突な言葉に私は目を丸くする。


「でも、命まで狙われるのはおかしいよ!!」

「……だとしても、そこまでしなくちゃならないのです!! お嬢様、クラーラ家、という大きすぎる組織をいずれは『彼』だって背負う事になるんですよ!! なのに……一時の気の迷いで、好きになったからという下らない理由で任せられますか?」

「それは……」


 言いたい事は分かる。

 もしも、クレアとハルトが付き合う事になるのなら、間違いなくハルトだってクラーラ家の人間になる。そうなったら、彼だって、陰謀や謀略渦巻く大人の世界に足を踏み入れる事になる。


 そして、それは一般市民が持ち得ない、強い覚悟が必要になる。


「……クラーラ家を救え。それだけの無理難題を押し付け、それを解決出来る男。それこそがお嬢様に相応しい男。そして……その『答え』を持った人間だけが、婚約を破棄出来るのです!!」

「…………」


 それはつまり、もう私に出来る事は何も無いって事なのか?

 私はただ、ここで、ハルトの無事を祈る事しか出来ないのか?


 それは違う気がする。私は『傀儡』じゃない。


 家の為に、と犠牲になる私じゃない。私だってハルトの為に……。


 私は目元を袖で拭う。


「私も私の出来る事をする。ハルトは絶対に大丈夫……うん、そうに決まってる」

「お嬢様……」

「何か無いかな? 何か……」


 私はポケットの中を探る。何かが入っていた。


 それは……『柴犬のキーホルダー』


「これ……なるほど。ハルト……」


 私はそれを強く握り締める。これがあれば、一手追い込む力になる。

 私は一つ、二つと深呼吸をする。


「すぅ……はぁ……」

「お嬢様?」

「ごめんなさい、リア。もう、大丈夫。貴女達の考えている事は良く分かったわ。認めさせるにはそれだけの事をしろって事ね」

「そういう事です。それで? 私はどうすれば?」


 ニコニコと笑顔で言うリアに私は言う。


「ハルトを守って。貴女の力なら大丈夫だから」

「フフ、わっかりました~。クレアも、気をつけて」

「ありがとう」

「それでは!!」


 その言葉を最後にリアは部屋から去って行く。

 私のやる事は決まった。コレも全部、ハルトとの輝かしい未来の為。


 だから、ハルト。絶対に負けないで。


 私はそう信じて、部屋を後にした――。


 

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