第6話 幸福の終わり

「ふあ、ああ……あぁ……」

「眠そうだな」


 二人揃ってお風呂から出てから数時間。

 俺とクレアは一緒にゲームをやっていたのだが、クレアが大きな欠伸をする。

 部屋の中にある時計を確認すると、既にクリスマスイブを終え、クリスマスになっていた。

 眠そうに瞼を擦るクレアに俺は声を掛ける。


「クレア。ベッド使って良いから。寝たら? 俺はその辺で雑魚寝でもするからさ」

「え? ん~……一緒に寝ればいいんじゃない? だって、こんなに寒いのに床で寝たら、もっと寒くなっちゃうよ?」


 睡魔が襲い掛かっているせいか、とんでもない事を言い始めるクレア。

 正直な所、もう一緒にお風呂に入ったおかげか、今更一緒に寝る事に対する抵抗はそこまで無い。ただ、男と女が同衾するともなれば、それなりの事は気をつけなければならない訳で。

 それに関してはまぁ、俺が気をつければ良い事か。


 俺は小さく頷く。


「分かった。じゃあ、クレアが先にベッドに入っててくれ。俺は少し準備をしてくる」

「ん……分かった」


 ぽやぽやと眠そうな顔をしながらクレアはベッドの掛け布団を剥がし、寝転がる。

 俺は一旦、リビングを後にし、キッチンへと向かう。

 明日の確認。うん、食事も大丈夫であるし、きっちりと洗濯物も洗い終えているし、干してある。

 特にクレアの下着類に関しては明日にでも乾いていなければ、クレアが明日下着無しで過ごす事になってしまう。


 それをチラっと確認してからリビングへと戻り、俺はシングルベッドの奥に詰めているクレアを見る。


「じゃあ、入るぞ?」

「うん……どうぞ」


 ゆっくりと、優しく掛け布団を剥がし、俺も身体を滑り込ませる。

 出来るだけクレアの身体に触れないように。そう思っていたのだが、俺が入るなり、クレアが抱きついて来る。

 下着類を付けず、着ているのはパジャマのみ。

 そのせいで、胸の柔らかさや女の子特有のふにふにとした感触が俺の全身を支配する。


「ちょっ、クレア。くっつくな」

「えぇ~、私実家でも抱き枕を使わないと寝れないんだよ? だから、ハルトが抱き枕になってよぉ~」

「……無いと寝れないのか?」


 真横から思い切り抱き締められているせいで、囁くような甘い声が俺の鼓膜を震わせる。

 もう本当に無自覚で誘惑するのをやめて欲しいくらいだ。

 それだけの魅力を持っていると本人だってある程度は自覚しているはずなのに。

 俺はクレアの方に顔を向ける事が出来ず、背を向けようとすると、今度は甘えるような声が飛んでくる。


「うぅ~、やだ。ハルトはこっち向いてくれなきゃ」

「いや、そんな声出しても、俺の背中に抱きついてれば……」

「やぁ!!」


 眠いせいなのか、ベッドの中では幼児退行が起きているのか分からないが、何故かイヤイヤ期の子どものようになるクレア。

 そういう事をされると弱くなるな。俺はクレアの方へと身体を向けると、真正面に端正な顔立ちが飛び込んでくる。


「えへへ、ハルト」

「うおっ……ったく……さっきまでそんなんじゃなかったじゃん」

「……私は寂しがり屋で甘えん坊なの。ハルトにだけ見せるんだからね」


 寂しがり屋で甘えん坊か。

 だとすると、本当にあの公園の状況は辛かったのかもしれないな。

 何だかそう思うと、彼女を励ましたくなり、俺は思わずクレアの頭を優しく撫でる。

 絹のようにサラサラな金髪を撫でると、クレアは軽く身じろぎする。


「えへへ、何だか久しぶりに凄く安心して眠れそう……」

「ああ、ゆっくり休め。明日もあるんだからな」

「うん、ありがとう。ハルト、おやすみ……」


 そう言ってから、睡魔に抗えなくなったのか、目を閉じる。

 それから数分もしない間に規則正しい寝息が聞こえている。

 俺はクレアの頭を優しく撫でたまま、囁く。


「今日は大変だったんだろうな……」


 ふと、クレアの寝顔を見る。

 それはまるで天使のよう。とても安らかで穏やかな寝顔。

 いつまでも見ていたいと感じるような、愛おしい顔。


 俺は近くに置いていたスマホを持ち、カメラを構える。


「……せっかくの思い出だ。一枚くらい」


 盗撮になってしまうが、せっかく一緒に寝ていて、いつの日か別れる日が来る事が決まっている。

 だからこそ、こういう思い出を残す為に。

 俺はシャッターを切る。


 それからスマホを近くに置き、天井を見上げる。

 規則正しい寝息だけが聞こえる場所で、俺は呟く。


「何か今日は色々あったな」


 告白して、フラれて、公園でクレアと出会って、一緒に過ごした。

 その中身は濃密で、トータルで言うのなら、とてつもなく幸せだった。


「幸せか……。イヤ、だな……」


 思わず本心が漏れてしまった。

 出来る事ならいつまでもクレアと一緒にいたいと思ってしまう。

 クレアと一緒に過ごすという事はきっとこんな幸せな毎日が続くっていうことなんだろう。

 

 出来る事なら、俺だって彼女の婚約者になりたい。


 でも、そんなに簡単な話ではないんだと思う。


 クラーラ家という名家の令嬢であり、本当の婚約者が居る事。

 そして、両親やその婚約者から逃げてきたお姫様。

 

 物語で良く見かけるモノで、その結末はいつだって。


 お姫様は幸せな未来を勝ち取ってきた。


 俺もそんな未来を夢見ても良いんだろうか。


「……そっか。何となく分かった気がする。これが本当の恋なんだろうな」


 告白をしてフラれたとき、確かに落ち込んだけれど、これほどまでに胸が締め付けられる程痛かったのかと聞かれると、そうではない。

 むしろ、今。目の前からクレアが居なくなる事を考える方が、俺は……胸が張り裂けそうになって、切なくて、耐えられないくらいに悲しい。

 

 離れて欲しくない。失いたくない。ずっとずっと側で笑っていて欲しい。


 汚い独占欲と醜い執着心が俺の心の中に芽生え始めるのを感じる。


 でも、そんな黒い感情もありながら、俺は君にはいつまでも幸せで居て欲しいんだ。

 俺はふとクレアの寝顔を見る。


「は、ると……きぃ……」

「……俺が君を欲しいって言ったら、君はどう答えてくれるのかな? 家も何もかもを捨てて、俺の側に居てほしいって言ったら、君は……」


 なんて。

 決して答えてくれることのないクレアにそう言ってから、俺はゆっくりと瞼を閉ざす。

 そんなのダメに決まってる。


 クレアには幸せであって欲しいんだ。

 

 それが俺の側で無くても良い。うん、彼女にとって最良の幸せであるのなら。それで良い。


「おやすみ、また明日」


 俺はそう呟き、眠る。今日が最後の『また明日』になる、とそう思いながら――。









 私は悪い子だ。


「俺が君を欲しいって言ったら、君はどう答えてくれるのかな? 家も何もかもを捨てて、俺の側に居てほしいって言ったら、君は……」


 眠たかったけれど、今は凄く緊張しててあんまり上手く眠れない。

 でも、私は寝たフリをして、ハルトが何を言うのか気になった。


 私はハルトが好き。


 あの時、私は家の事とか、婚約者の事とか。全部、全部、嫌になってパーティから逃げ出した。

 私に良くしてくれる執事にも何も言わずに。


 きっと今頃、あっちは大変な事になってるだろうね。


 でも、どうせ、パパとママは私を『家』の為の道具にしか思っていない。

 昔からそうだ。


 一言目、二言目には何時だって『お前はクラーク家の人間』って。

 執事もメイドもそうだ。私には『クラーク家の未来を担うお嬢様』って。


 私はそんな家に縛られるだけの存在じゃない。

 

 私はずっとずっとそんな『家』っていう下らない鳥かごの中に居た。


 でも、私は今回行動に出た。鳥かごの中にいる鳥が外に自由を求めるように。

 私は外に飛び出した。


 全部、新鮮だった。ずっと来てみたかった日本に来て、空気を感じて、初めての自由を感じた。

 けど、私の自由はそんなに甘い物じゃなかった。


 私は外の国に居る。

 日本で自由になったって、何も意味が無い。

 最後にはどうせ、鳥かごの中へと戻される事になる。

 

 自由になって、それが分かっちゃったから。


 本当に短絡的だな、と思う。結局、私は自分の定められたモノからは逃げられないんだって思った。


 でも、そんな時に出会った子が居た。それがハルトだった。


 ハルトは凄く優しくて、あったかい人だった。


 ドレス一枚で過ごす私に自分が寒いのに、防寒具を貸してくれて。

 あの温もりは今まで感じた事も無い程あったかくて、冷え切った私の心すらも溶かしてくれた。

 

 嬉しかった。


 クラーラ家っていう『籠』の中に居る私じゃなくて、純粋に私を見てくれて優しくしてくれたから。


 自分自身、本当にチョロいなって思う。


 でも、私にとっては誰よりも求めていた人だったから。


 それから彼と過ごして、私はどんどんハルトの事が知りたくなって、ハルトと一緒に居たいって思うようになった。

 だって、ハルトは優しいんだもん。

 あの料理だって、まるでハルトの心を表しているかのようにあったかくて。


 全てを包み込んで愛してくれるようなそんな気持ちになって、強く強く惹かれていった。


 今だって、恥ずかしいのに。私はハルトに抱きついて、凄く安心して、幸せ。


 私は規則正しい寝息を立てるハルトを見る。


「ハルト、私も同じだよ。私もね、全部捨てて貴方と一緒に居たい。ずっとずっと、だって、君は私をこんなにも幸せであったかくしてくれたから……ねぇ、ハルト」


 私はかわいいハルトの寝顔を見ながら尋ねる。


「もしも、私が連れ出してって言ったら、君は私を連れ出してくれる? 私の最高の幸せを一緒に作ってくれるかな? ハルト……」


 私は最高の幸せが欲しい。

 ハルトと一緒に歩いていく、そして、いずれは一緒になる。最高の幸せが。

 でも、きっとそれは叶わないんだろうな。


 それだけクラーラ家という令嬢の家が重く圧し掛かる。

 きっと両親だって日本人の庶民を結婚相手になんて決して許してくれないだろう。


 何よりも――。


「君をアイツに会わせたくない。きっとアイツは君をとてつもなく見下すから……。ハルトに傷ついて欲しくないから……。だから、明日まで。私と君の幸せな時間は……」


 私はそう呟いてから、一気に目頭が熱くなる。


 ああ、やっぱり――。


 嫌だよね。それでも、私は。


「……おやすみ。大好きだよ、ハルト。また明日」


 君と過ごす明日だけはいっぱい、いっぱいの幸せが欲しいから。

 また明日だけは、一緒に過ごそうね。


 そう思い、私はぎゅっと強くハルトに抱きついた――。

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