第3話 恋はいつでも一目惚れ

「少し汚いけど、どうぞ」

「お、お邪魔します……」


 俺はクレアを連れて、自宅に戻ってきていた。

 俺の部屋は1Kのボロアパート。

 豪華なドレスを身に纏うご令嬢からすればきっと過ごし難いだろうし、物置かと勘違いされそうな部屋だ。

 俺が靴を脱ぐと、クレアも不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡しながら、ヒールを脱ぐ。


「……君みたいなドレスを着てる子からすれば、手狭だろうけど、我慢してくれ」

「う、ううん!! 全然!! むしろ、こういうお部屋に憧れてたっていうか」

「? 憧れ? 随分と変わってるな」


 俺はクレアをリビングへと促す。

 クレアは見た事が無かったのか、辺りを見渡したまま足を進める。

 それからリビングの中へと足を踏み入れたのを見てから、俺は玄関の鍵を締める。

 

 ずっと寒空の下に居たし、何かあったかいものでも出してやるか。


 俺は適当に冷蔵庫の中を確認する。

 一応食材はあるか。俺は鍋でも作ろうか、と考え、冷蔵庫を閉める。


 それからリビングへと足を進めると、そこには少しばかり居心地が悪そうにしているクレアの姿だった。

 クレアは未だに不思議そうに周りを見渡している。


「そんなに珍しいのか? もしかして、本当に金持ち?」

「うん。多分、そうかな。私の家はお屋敷だったから。あ、も、勿論!! 全然、変とかそうじゃなくてね。全部、新鮮なんだ」

「だろうな。とりあえず、服、着替えるか?」

「え?」


 俺は押し入れを開けてからいくつかの服を取り出し、それをクレアの前に出す。


「これ。今、俺の服には新品が無いから、出来るだけ着てない奴をチョイスした。だから、着替えてくれ。いつまでもドレスで肩肘張ってるのも大変だろ?」

「あ……い、良いの?」

「勿論。あ、ドレスはハンガーに掛けて置いとくから、後で渡してくれ」

「うん!! 分かった」


 そう言ってからクレアは俺が渡した服を受け取る。

 それから俺が洗面所へと案内し、俺は一つ息を吐く。


「良し。とりあえず服問題は解決……後は、飯だな。お嬢様に合うもんが俺に作れるか」


 そんな事を言いながら俺は冷蔵庫の中から食材を取り出す。

 それらを適当に切り、鍋の中へと放り込んでいく。

 調味料などをいれ、それを火に掛けていく。


 すると、洗面所の扉が開かれ、クレアの姿が露になる。


「は、ハルト!! 着替えたよ」

「ああ……ん゛ッ!?」


 俺は何と無しにクレアの方を見た瞬間に、喉が詰まり、むせそうになる。

 何だかクレアの暴れん坊なおっぱいが大変な事になっていた。

 胸が大きいせいか、Tシャツが胸で急激に押し上げられ、扇情的な曲線を描いている。

 しかも、パーカーを羽織っているせいで、何故だか胸が強調されているようにも見える。

 下半身は一応男物のジーパンを渡しているおかげか、まだ女性特有の丸みを帯びたラインは抑えられているが、上半身の破壊力がとんでもない。


 俺が思わず目を逸らすと、クレアから不思議そうな声音が飛ぶ。


「は、ハルト!? な、何か変?」

「いや。全然。似合ってるよ」

「……そ、そっか。あ、ハルト。これ。ドレス」

「ああ。こっちにハンガー用意してあるから。とりあえず、掛けとくな」


 俺はクレアからドレスを受け取り、ハンガーに掛けて干しておく。

 すると、クレアは匂いを感じ取ったのか、キッチンへと近付く。


「凄く良い匂い……これは?」

「鍋だよ。クレア、さっきまで寒いところに居ただろ? ちゃんとあったまってもらおうと思ってな」

「……ハルト、優しい」

「そう? まぁ、連れ帰った以上はちゃんと面倒見なくちゃいけないからな」


 俺がキッチンへと戻ると、俺の隣にクレアが陣取り、じーっと鍋の様子を見つめる。

 何だろうか。クレアがすごく楽しそうにニコニコと鍋を見つめている。


「……クレア? そんなに鍋が好きなのか?」

「ううん。違うの。私、こういう友達が作ってくれる料理とか始めてだから」

「そうなのか? クレアなら友達とか沢山居そうじゃん」


 何かお金持ちとかってそういう繋がりがありそうな気がするが。

 クレアはふるふる、と首を横に振る。


「ううん。ハルト、私はね、確かにお金持ちだよ? いっぱいお金もあるし、何かみ~んな、ちやほやしてくれる。でもね、それって、すごく、つまらないんだよ?」

「……つまらない?」

「うん。何でもかんでも『家』ばっかりでね。私の事なんて全然見てくれないの。私と仲良くしようとする人だってそんな人ばっかり!! それって、すごく辛い事なんだよ」


 なるほどな。

 そういうのはてっきり物語の中だけの話だと思っていた。

 実家が太すぎて、その実家を目当てに近付いてくる人達しかいない、という事。

 でも、それはクレアの事をしっかりと見てくれないのと同じ事なんだ。


 クレア・ド・クラーラという人物を。


 俺が鍋を掻き混ぜていると、クレアは俺に笑顔を向ける。

 それはまるで、満開の花が開いたかのような、思わず見蕩れてしまうほどに綺麗な笑顔だった。


「でも、あの時、ハルトは『私』を見てくれたんでしょ? だって、ハルトは私は『クラーラ家』っていうことを全然知らなかった。なのに、私に手を差し伸べてくれた。それが、すっごく嬉しい!!」

「……簡単に人を信用しすぎ。もしかしたら、俺が飯を作って、安心させた所を襲うような奴かもしれないだろ?」

「ううん。ハルトはそんな事しないよ」

「何でそう言い切れる?」

「君の目が優しくて、綺麗だから」

「っ!?」


 いきなりの事を言われ、一気に心臓が高鳴る。

 何でそんないきなりくどき文句みたいなものを言うんだ、この子は。

 あれか? もしかして、ヨーロッパの方の人達の血だからか?

 あっちの方は人を口説くのが上手いみたいな話を聞いた事があるぞ。


 俺はぐちゃぐちゃになりかけた思考を取り戻す為に一つ咳払いをする。


「そ、そうか。それはありがとう。うん」

「ふふ、こう見えても私は人を見る目はあるつもりだよ。色んな人を見てきたからね。その中でもハルトは一番、純粋で優しい目をしてる。だから、私は着いて来たんだよ」

「まぁ、き、君、みたいな綺麗な子にそういう事を言われて、悪い気はしないよ、うん」

「ふえ?」


 あれ? 今、俺何を言った?

 頭の中は冷静だったけど、何かおかしな事を言った気がするけど。

 俺はチラリと隣に居るクレアを見ると、クレアは頬を紅く染め、恥ずかしそうに俯く。


「き、綺麗……そ、そう、なんだ……」

「え? あ、いや……まぁ、うん。綺麗だよ」

「な、何回も言わなくて良いの!! わ、私は向こうで待ってるから!!」

「お、おう!!」


 それを最後にパタパタと慌てた様子でリビングへと駆けて行くクレア。

 その顔は真っ赤に染まっていて、恥ずかしそうだったけれど。とてつもなく可愛かった。

 俺は冷静さを取り戻す為に鍋を見つめる。

 バクバクと心臓は高鳴り、変な汗が止まらない。


「……お、落ち着け。ま、まだ会ったばかりなんだ。そうだ。さっき、俺はフラれたじゃないか。勘違いするな、勘違いするな……」


 念仏に唱えながら、俺は調理を進め、鍋が完成する。

 それをリビングへと持っていくと、クレアが腰を落ち着かせ、じーっとテレビを見ていた。


「あ、ハルト」

「これ。完成したよ。とりあえず、食べようか」


 俺は机の中心に鍋を置き、お玉で中身を配膳していく。

 それをクレアの前に出し、箸を渡す。


「はい。口に合うか分からないけど」

「ありがとう。いただきます」


 クレアは器用に箸を使い、白菜を口に運ぶ。

 それからしばし咀嚼してから、目を輝かせる。


「んぅ~、すっごくあったかくて、美味しい!!」

「箸、使うの上手なんだな」

「これはね、練習したんだよ。日本語もそう。私、日本のサブカルチャーが好きなんだ」

「サブカルチャーっていうと、漫画とかアニメか」

「うん。ゲームとかもやるよ!! すっごいよね。迫力とか映像とか。お話の内容も好き!!」


 そう言いながら、嬉しそうに具材を頬張るクレア。

 俺も鍋を食べながら尋ねる。


「そうなんだ。元々、日本が好きなんだな。日本語もすげー上手だし」

「うふふ、ありがと」


 おいしい、そう言いながら食事の手を進めていくクレア。

 その表情は本当に幸せそうで、こちらも何だか幸せになってくる。

 さっき、俺がフラれた事なんて忘れてしまいそうになるほど。

 楽しい時間だと感じる。


 でも、聞いておかなくちゃいけない事がある。


「なぁ、クレア」

「何?」

「……お父さんとお母さんの所には戻らないのか?」

「うん、戻りたくない」

「どうしてか、聞いても良い?」


 俺の問いにクレアは箸と御椀を置き、真っ直ぐ俺を見た。


「私はね、婚約パーティの為に日本に来てるんだ。何でもパパとママも婚約パーティをした場所って事でね。でもね、私は……結婚なんてしたくない。

 私は、私の選んだ、私の大好きな人と恋愛をして、結婚したいの」

「でも、それをお父さんとお母さんには話していない、そうだね?」

「うん。話したって絶対に分かってもらえないから。パパとママは頑固なの。だから、この結婚も私の幸せに繋がるって本気で思ってる……そう、言ってたから」


 せめてもの抵抗が、この逃亡という事か。

 きっと今頃、心配して探しているはずだ。むしろ、かなりの令嬢という印象を受けるからもしかしたら、大変な事になっているかもしれない。

 

 ……俺はどうしたらいいんだろう。


 彼女の面倒を見た事で、俺はもう部外者じゃない。


 俺が考え込んでいると、クレアが俺に表情の変化に気づいたのか、曖昧に笑う。


「あ、アハハ、ごめんね。ハルトを巻き込んで……わ、私の我侭なのに」

「いや、それは俺の勝手。……だったら、好きなだけここにいると良いよ」

「え?」


 俺の返答が予想外だったのか、クレアが目を丸くする。

 俺は少なくなったクレアの御椀に鍋の中をよそいながら、口を開く。


「……それがクレアのやりたい事なんだろ。俺はそういうの全然無いからさ。でも、死んだ父さんと母さんに言われた事があるんだ。それは『自分のやりたい事を見つけろ』って。

 それが見つかったら、何があろうとも手放すな、ってさ。だから、俺はどんな結果になってもクレアの味方であるよ。うん、それだけ」

「ハルト……」


 出来る事なんて殆ど無いと思う。

 どうせ、明日にはクレアは居なくなると思う。

 でも、それでも俺は。彼女の味方でありたいと思った。

 

 きっと、これは一目惚れなんだと思う。


 彼女の見た目は凄く好みで、可愛らしい。でも、それだけじゃない。

 彼女は強いんだと思う。自分のやりたい事を見つけて、どんな形であれ、それに邁進する。

 今の俺には無いもの。


 俺は御椀をクレアの前に置き、努めて笑顔を作る。


「だから、何かあったら頼って。俺はクレアの味方になりたい、からさ」

「ハルト……それは、優しすぎ。好きになっちゃうよ?」

「あー……そういうのはね、婚約者に……言ってあげ――」


 と、俺が言った時。ハっとクレアが何かを思いつく。

 

「そ、そうだよ!! ハルトが婚約者になればいいんだよ!!」

「ぶっ!?」


 俺は思わず口に入ったものを吐き出しそうになり、御椀で顔を塞ぐ。

 それから何度か咳き込む。い、いきなり何を――。


「な、何言ってるんだよ!! いきなり!? こ、婚約者ぁ!?」

「え? 良い案だと思ったんだけどなぁ……」

「いや、それはだって。えぇ……」


 何でこんなにも押せ押せなのか。良く分からないが、クレアはニコリと柔らかい笑顔を浮かべる。


「だって、私はハルトの事、好きだよ? 凄く優しいし。良い人だと思う」

「いや、でも……それはさ、もっとしっかり考えた方が……」

「そうかな~……でも、そうだよね。ハルトは嫌だよね、私の婚約者」

「い、嫌じゃない!! む、むしろ、嬉しいっていうか……」


 俺の言葉にクレアが目を丸くし、頬を朱に染める。


「そ、そっか。嬉しいって思ってくれるんだ……じゃあ、婚約者になってくれる?」

「…………少しだけ時間をくれないか? 簡単に答えなんて出せるものじゃないっていうかさ」


 こればかりは今すぐに返事が出来るようなものでもない。

 俺は出来るだけ真っ直ぐ真剣に伝えると、クレアも小さく頷き、イタズラっぽく笑った。


「うん。でもね、ハルト。好きって気持ちは嘘じゃないよ」

「え?」

「私、一目惚れしちゃったかも……だって、ハルトは優しくて、すごくあったかくて……かっこいいもん。すっごくタイプ」

「え? え?」

「ふふ……狙っちゃうからね」

「え?」



 …………え?



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