第71話 並び立つ
ノアは自分のすぐ横でとぐろを巻いて直立する黒い龍に目を向けた。
「げんぷー……?」
姿は全然違うのに何故だろう、ノアはごく自然に感じ取った。この黒龍はげんぷーなんだと。
そしてこの会場でもう一人、ノアとは違う理由で黒龍がげんぷーであると確信する者がいた。
(この存在感と圧迫感には覚えがある。あれはそう、確か……)
その者の名は
そう、引率教諭として全国大会に同行しているマキエ先生である。
(この精霊が初めて姿を現した精霊契約、あの時――そう、精霊石を染めた漆黒が形となって顕現した
そして当の本人――いや本精霊?――のげんぷーと言えば……
自分の変化に激しく混乱していた。
カメタイプの精霊だった自分が――別にドジでもノロマでもないけど、カメだった自分が何故突然龍に!?
その時、げんぷーはふと優しく暖かい気配が微風のように自分の意識を撫でていくのを感じた。
――ああ、そうか。
げんぷーは悟った。そういう事だったのかと。この姿はあの御方の力をお借りした姿なのだと。
そしてげんぷーは溢れるその力に意識を集中する事で荒れ狂う力の制御に少しずつ成功し始め、相棒のノアへその力を流し始める。
「うわわわっ!?」
突如流れ込む力が増し始めたげんぷーの力はノアを容易く翻弄した。
それはまるで、雪解け水が一斉に流れ込み水量が増した小川が大河へと変貌を遂げ、それでもなお増え続ける水が周囲を飲み込もうとするかのように。
その突然の変化にノアは驚き、慌ててバランスが乱れた力を制御しようとするが、その勢いは留まる事を知らない。
溢れる力が身体を破裂させそうな感覚を覚えたノアは、自然とその結論へと辿り着いた。
「このまま撃っちゃえ」
そしてノアの放つ障壁弾はその大きさと堅さ、そして数量と速度を増してゆく……
「くっ、まだ上がるのか……いかん、このままではいずれ押し負ける」
アイリを経由した力の供給により一度は大きく優位に立ったライアスであったが、そのライアスにとっても上昇を続けるノアの力は脅威であった。
だがライアスにもうこれ以上は力を得る術はない。ならば残された手段はただ一つのみ。
ライアスは最後の決断を下した。
「他に使っていた神力を全て止め、全神力を攻撃に集中する!」
会場の人々は、自分達を押さえつけていた力がふっと掻き消えた事に気付いた。観客席の者達は座席の上で上半身を起こし、何が起きたのかと辺りを見回し始めた。だがやがてその視線は試合場の一点に止まり、そしてそのまま釘付けとなる。
ノアとアカリがライアスと壮絶な撃ち合いを行っているその様子に。そしてノアの横に存在する、先程まではいなかった筈の黒い龍に!
試合場の隅では静岡チームの面々がよろよろと立ち上がり始めていた。
「皆さん、こちらにお集まりになって」
「残念ですが、私達にはあの撃ち合いに加われる程の力はありませんわ。それは皆さんも理解されていると思いますの」
その言葉にメンバーはそれぞれ首肯するが、皆一様に悔しさを滲ませていた。だがその表情は次の言葉で一変する。
「でも私達に出来る事が一つありますの。それはアイリさんの救出ですわ」
そしてライアスに捕らえられたアイリの救出に向け、束の間の作戦会議が行われた。
げんぷーの突然の変化、そしてそれと連動するかのようなノアの急激な強化を目の当たりにしたイグネア・アニュラスは放心の表情を浮かべていたが、やがてぽつりと呟いた。
「こうも簡単にテンプレを踏みまくるとは……流石だアクアルナ、我が生涯のライバルよ」
今のところライアスへの攻撃はアクアルナ一人で十分拮抗出来ていると見たイグネア・アニュラスは一旦攻撃の手を止め、相棒の精霊に呼び掛けた。
「アンフィトリテよ、あのアクアルナの姿をどう見た?」
「キュイ?」
質問の意図を絞りきれず軽く首を傾げるアンフィトリテ、そんな相棒に向けてイグネア・アニュラスは言葉を続けた。
「我は悔しい。目の前でライバルであるアクアルナが王道テンプレ的なパワーアップを果たしたのだ、悔しくない訳が無いだろう」
「キュイ!」
理解と同意の色を瞳に浮かべた相棒を見て、イグネア・アニュラスはひとつ頷いた。
「ならばアンフィトリテよ、あのげんぷーの姿をどう見た? お前は悔しくないか?」
アンフィトリテは相棒のライバルに並び立つ黒龍の姿をその瞳に写した。
(制御しきれなくて)溢れる力を隠す事もなくただ自然体で堂々とした佇まいの(内側では必死で力を制御しようと四苦八苦する)その姿を。
あのげんぷーと比べ、自分はどうだ?
水の真髄を掴み、相反する筈の炎の力を手に入れる事は出来た。だがいつしかその事に満足し足を、いや
そして底の知れないげんぷーのあの力、自分はあの力をどう見る? どう感じる?
潜在能力がげんぷーに劣っているなどと思わない。だが今の自分はまだ足りない。全然足りていない。何故ならげんぷーの力、あれは……
「キュイイッ!!」
アンフィトリテは天に吠えた。
その咆哮はアンフィトリテから流れ込む力と絡み合いながら、イグネア・アニュラスの意識をチリリと焼いた。
(何だ今の違和感は?)
イグネア・アニュラスはその違和感を辿ろうと、身の内に意識を集中した。彼女は流れる力をぐんぐんと遡ってゆき、やがてその違和感の源へと辿り着く。
アンフィトリテの力の湧き出づる場所、アンフィトリテという存在の中心部へと。
そこでイグネア・アニュラスが目したもの、それはまるで彼女を誘うように存在感を放ちながら揺らめく青い塊であった。
その塊は、まるで深海の水を固めたかのように蒼く澄み、中心の辺りは海底火山の噴火口のようにぐらぐらと沸き立っている様に見える。
(これは……何だ?)
イグネア・アニュラスは恐る恐る、だがまるで誘われるかのようにその塊へと意識の手を伸ばした。彼女の手がそろそろと塊に近づいてゆき、そして指先がそれに触れたその瞬間!
塊はまるで爆発したかのように一気に弾け、そしてイグネア・アニュラスの意識は蒼く染まった……
その幻想的な光景に会場中が息を呑んだ。
アンフィトリテの全身から放たれた蒼い光が周囲へと広がり、そしてその蒼い光の中には黄金にも似た炎のような光が暴れまわる、その光景に。
聖バスティアーナ学園の一年生あるいは教師であれば、皆その光景に既視感を覚えただろう。
何故なら、それは彼女達がかつて見た光景――精霊契約においてアンフィトリテが初めて顕現した時に起きた現象の再現と呼べる光景であったから。
――おかあさん、すっごくきれいだね。
――ええ、ほんと綺麗ね。
会場のあちらこちらで感嘆の声が漏れた。だがその声はまるで展示された美術品を見るかのように潜められ、歓声とはなりえない。
それ程に圧倒的な光景であった。
――そのすぐ横で繰り広げられている緊迫した戦いにすら、全く意識が向かない程に。
突然始まったその光のショーは、終わりもまた突然だった。
始まりと同様、全てが夢の終わりのように一瞬で消えて無くなったのだ。まるで空中の一点に吸い込まれるかのようにして。
人々はまるで溜息のような忘れていた呼吸を思い出したかのような長い息を吐き、だがその余韻に浸る事は出来なかった。
何故なら、光が吸い込まれたその場所にそれが現れた事に気付いたから。
∞の文字を描くように空中で
「アンフィトリテ、それがお前の答えなのだな」
「キュオオオオオ」
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