第70話 アイリ先輩

障壁弾を撃ち続けるノアであったが、実は先程からその拳を振るっていない。

障壁について理解した今、その発動に肉体の動作は不要となった。慣性によって障壁を撃ち出していたのではなかったのだ。

ノアは今、ライアスと同じように右手を前に突き出し、その握り締めた拳の先からまるでマシンガンのように障壁弾を撃ち出している。

本当はその右手すら必要がないのだが、そこにはそうすべき重要な理由があった。

――そのほうがカッコいいのだ!


「アカリちゃん、何か作戦はある?」

ノアが障壁弾を撃ち続けながら隣のアカリに問い掛けると、アカリはニヤリと笑い答えを返した。

「ああ、とびっきりの作戦がな。いいか、まず最初に正面突破、次に物量で押し返し、最後に飽和作戦に移行するのだ」

脳筋極まりない答えを。

だが――


「おおーー、何だか凄そうな作戦だよ。それなら勝てそうな気がするよー!」

「だろう?」

それに異を唱える者はいない。

ツッコミ担当は後ろで倒れたままなのだ。

「「…………」」




「だがアクアルナ、実はこの作戦を成功させる為に絶対に必要が事が一つある。そしてそれはアクアルナにしか出来ない事なのだ」

アカリは笑みを引っ込め、その瞳に真剣な光を浮かべた。

その嘗てない雰囲気にノアは息をのみ、そしてこちらもまた真剣な表情で返答を返す。

「な、何かな? 私に出来る事なら何だってするよ」

その答えにアカリは頷き、硬い表情を浮かべながら言葉を続けた。


「今から我の事はアカリではなくイグネア・アニュラスと呼んで欲しい」

「ほへっ!?」

予想外の内容に耳を疑い混乱するノアに、アカリはさらに言葉を重ねた。

「よく聞いて欲しい。これは冗談などでなく非常に重要な事なのだ。これは我が力の根幹に関わる事。実は我が力は友から魂の名を呼ばれる事により出力が上がるのだ」

「ええっ! まさかアカリちゃんの力にそんな秘密が!?」


突然のアカリの告白にノアは驚きの表情を浮かべた。

更に表情を硬くしたアカリはそのノアに言葉を続ける。もう一息だ。

「うむ、そしてその出力は名を呼ぶ相手によって変化する。我が永遠のライバルであり友であるアクアルナから名を呼ばれれば、恐らくその出力は通常の三倍を凌駕するっ!」

「そっそんなに!? 分かったよ、これからはアカリちゃんの事をイグネア・アニュラスって呼ぶよ!」


(嘘だろ……アカリの奴、この局面でやりやがった!)

(ノアちゃん気付いて! アカリは『友達が渾名で呼んでくれたら嬉しくてやる気が出るかも』って言ってるだけよ!)

ツッコミ担当は未だ後ろで倒れたままだ。

――が、動けないだけで意識はあるのだ。




そして、当然その会話はライアスにも届いているのである。

(あの爆発する水球の出力が三倍になるだとぉ!?)

信仰心を集める妨げとなるため焦りの表情は表に出せないが。




「さあ始めるぞ、アクアルナ!」

「うん、イグ……っ……イグネア・アニュラス!」

小さな羞恥心を振り切るようにノアは叫ぶ。

そして歓喜に震えるアカリ――いやイグネア・アニュラスは、気合いと共に拳大の水球を放ち始めた。

「ふはははは! 我が力に慄くがいい!」


その歓喜と昂りは自らの内に流れるアンフィトリテの力を飲み込む。

そしてイグネア・アニュラスはその力を理解し、水の制御を会得した。

(そうか、精霊の力とは……)

相棒の進化を感じ取ったイルカ精霊アンフィトリテもまた歓喜を爆発させた。

そしてイグネア・アニュラスと共に戦うべくライアスへの攻撃を開始したのである。

「きゅららららぁっ!」


二人の執事と二体の精霊による集中攻撃はライアスのそれを上回り始めた。

(くっ、これ以上は……神力が……尽きる!)

蓄積してきた神力が急速に消費されてゆく。このままではあっという間に枯渇してしまう。

神力を……神力を手に入れねば!!


枯渇による飢餓感と渇望は、ライアスの神力への感受性を一気に高めた。

それはまるで極限の空腹感が嗅覚を鋭くさせるが如く。

(むっ、これは……まさか神力か?)

どこからかうっすらと感じられる神力にライアスは意識を集中する。

(このような場所で一体どこから……むっ、あの娘からだと!?)


それはノア達の後方、ライアスの力に抵抗できず地に伏している少女のうちの一人。

(あれは確か先程生意気な口を叩いていた娘か。この感覚……成程、あ奴は神に仕える者の血筋であったか)

ライアスが視線に捕えたその少女は、とある有名神社の娘で霊能力を持つ真名まなアイリであった。

そしてライアスは動き出した。




「あれ? 少し体が軽くなった?」

会場中を押さえつけていたライアスの圧力が弱まり、力ある者たちは僅かながら身体を動かせる事に気付いた。

「もしかしてライアスに限界が近づいている?」

試合場の隅で倒れたまま希望の表情を浮かべ始めた少女達だったが、響いた悲鳴がその表情を掻き消した。


突然身体を襲った衝撃に思わず悲鳴を上げたアイリは、その力に抗う事が出来ず前方に跳ね飛ばされた。

「きゃあっ!!」

会場に送っていた神力を弱めたライアスがその減らした分の神力を一気にアイリへと叩き付け、アイリを弾き飛ばしたのだ。

「「「「アイリ先輩!!」」」」

宙を舞ったアイリはライアスのすぐ後ろに落下し、そこに待ち構えていた虫たちに受け止められる。


「なっ何を!?」

アイリを受け止めた虫たちはそのままアイリの全身を覆ってゆく。

「い、嫌っ」

全身を虫が這う感覚におぞまし気な表情で首を振るアイリであったが、その姿は虫たちに幾重にも包まれてゆき、ついにはその声も聞こえなくなった。

そして会場にはライアスの不気味な声が流れる。

「ほほう、これはこれは……貴様は執事などにしておくのは勿体ない。今より貴様は我が巫女となるのだ」




「アイリ先輩!! どうしよう、助けなきゃ!!」

「落ち着けアクアルナ! 今この場で我々に出来る事はこの攻撃を続ける事だけだ。先輩を助けるには今の攻撃をもっと厚く強くしていくしかない!」

「でも!」

「このまま押し切って奴を倒せば先輩も助けられるから!」

「……うん、分かった……分かったよ、イグネア・アニュラス!!」




アイリをその身の内に捕えたライアスは、アイリの持つパスを通じて神力を吸収し始める。

(この量、そして濃度。くくく、まさか人の身を通じてこれ程の神力を手に入れられるとはな)


アイリは神力を持っている訳でも神界へのパスを持っている訳でも無い。

アイリが繋がっていた先は実家である神社であった。

人界において神域としての機能を持つ神社は、それそのものが神界へのパスとなる存在である。

その為ライアスはアイリとその神社との繋がりを無理矢理広げ、神社を経由してアイリに流れ込んでくる神力を我が物としたのだ。

(これで憂いは断った。後は奴らを屠るのみ!)

体内を駆け巡る耐え切れない程の神力に苦悶の表情を浮かべるアイリを一切気にする事なく、ライアスは神とは程遠い邪悪な笑みを浮かべ神力の出力を上げていった。




アイリから得た神力により強化されたライアスの攻撃に、ノアとアカリ――アクアルナとイグネア・アニュラスの攻撃は徐々に押し返されていった。

「くっ、急に力が増した……大丈夫かアクアルナ!」

「うん、頑張る……イグ……イグネちゃん」

「いっイグネちゃん!?」


アクアルナはライアスの力を何とか押し返そうと身の内の全ての力を振り絞っていた。

そして他に使える力が残っていないか、より効率化出来ないかと身の内に意識を向ける。

イグネア・アニュラスの言葉に気もそぞろな返事を返しながら。


やがてアクアルナは、自分と繋がるげんぷーの中に不思議な黒い塊を見つけた。

その黒い塊はげんぷーのとは違う何か別の力。でも強くて大きくて、何処か優しい感じがする。

(あれって何だろう?)

その力の塊は自らを見つけたノアに手招きするかのようにその存在感を強めた。

(もしかして私の事を呼んでる?)

ノアは誘われるようにその黒い力の塊に近づき、そっと意識の手を伸ばした。

そしてノアの手が触れた瞬間、その黒い塊は全てを黒に染め上げ、げんぷーの中を力の奔流が駆け巡る。


「うわっ!?」

荒れ狂う力によってノアはげんぷーの外へと意識を弾き出され、再び目の前の光景に集中した。

そこでノアが目撃したのは、自分のすぐ横――さっきまでげんぷーがいた場所――に存在する高さ二メートル程の黒い魔力の塊であった。

その魔力はその場でぐるぐると渦巻きながらぼんやりと何かを形取り始めたと思うと、そのまま一気にその形へと集束した。


そして姿を表したそれ。

その姿は――

「黒い……龍?」

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