第10話 格闘訓練

あるじの日常を護る――それこそが執事の仕事である。

そしてそこには主自身を護る事もまた含まれており、それ故執事教育には護身術を主体とした格闘訓練がカリキュラムの一つとして用意されている。

入学してから2か月、これまでの毎日の歩行・走行訓練によって基礎となる身体の下地が出来上がってくるこの時期、いよいよ格闘訓練のカリキュラムが開始される。


「という訳で予定通り本日から基礎訓練に代わり格闘訓練を開始する訳だが、体調に問題がある者はいるか? ……よしいないな。では全員格闘用の執事服に着替えてグラウンドに集合だ」


格闘用の執事服は、身に受けた打撃や斬撃を散らす効果のある特殊な生地によってあつらえられた、特別な執事服である。

これにより自らの身を護るとともに、いざという時には身を挺して主を庇う事が出来るのだ。

非常に高価な生地の為、中々日常的に使用出来ないのが玉に瑕である。


そんな格闘用執事服を身に纏った生徒達が続々とグラウンドに集まり、初めての格闘授業が開始されようとしていた。

「よし、それでは格闘訓練を開始する。これまで教科書で学んできた格闘術の理論を己の身体に叩き込み、実践し実戦するのだ。それでは全員広がれ!」


生徒達が広い間隔で整列したのを見届けたマキエ先生は頷き、そして訓練の開始を告げた。

「よし、それでは各自型を開始! いいか、これまで教科書と映像そしてイメージトレーニングで覚えてきた型の動き、それに沿って身体を動かす事を意識するんだ」


整列した生徒達が、一斉にパンチやキックを繰り出し始め、そこにマキエ先生が全体指導を入れてゆく。


「いいか、敵が計画的に襲撃してきた場合、一対一などといった状況はほぼあり得ない。複数の敵を相手にする前提を忘れるな。それでいて最優先に倒す敵を確実に倒し、敵の数を減らしていく。これから君達が学ぶのはそういう戦い方だ」


「パンチとキックそれぞれに、上段と下段がある。パンチは敵の顔面付近への攻撃が上段、腹部付近が下段だ。そしてキックは顔面から胸部までが上段、腹部から踝までが下段となる」


「正面の敵に一定数の攻撃を加えたら左右の敵に牽制の攻撃。この攻撃はその時々の状況により使い分けろ」


「敵は後ろからも来るぞ。背後への牽制――バックアタックのタイミングを常に意識するんだ!」


生徒達が指導内容を一つ一つ噛みしめながら動きを最適化していく中、

「うう、ややこしいよー」

ノアを含む一部の生徒達はイマイチ動きがぎこちない。

そんな生徒達への効率的な指導として、マキエ先生が公式の裏技を使い始める。


「正面の敵に上段! 相手が怯んだら下段だ! よし、左の敵に牽制! ほら右からも敵だぞ! よし、もう一度左右の敵に牽制を入れて・・・バックアタック!」


「よし、今の流れをもう一度やるぞ。 正面の敵に上段の2連撃! 次は下段に2連撃! 次は左への牽制! 続いて右への牽制! そこからもう一度左、で右に牽制したらバックアタック!」


「よし出来てきたようだな、ではこの一連の流れを繰り返して体に覚え込ませろ。上段、上段、下段、下段、左の敵、右の敵、もう一度左と右、からのバックアタック!」


「繰り返せ! 上! 上! 下! 下! 左! 右! 左! 右! BA!」


「慣れてきたら速度を上げるぞ! 上上下下左右左右BA!」


「速度と練度が上がればどんな敵も殲滅出来る! 一つ一つの攻撃を敵と状況に合わせて最適化させるんだ!」


いつしかグラウンド上の生徒達の動きは綺麗に揃っていた。

どうやらマキエ先生のコマンド入力は成功したようである。




「よし、では型はここまでとする。各自次回のカリキュラムまで自主練習を怠るなよ。身体を動かす感覚は一度掴んでもあっというまに衰えるからな」

「「「「「はいっ!!」」」」」


「ではこれからの残り時間は組み手だ。各自、自由に相手を選び模擬戦を行うように。精霊の力を使うのと首から上への攻撃は禁止とする」

「いきなり模擬戦かー。出来るかなぁ」


そんなノアに背後から忍び寄る、影!


「のーあっ!」

「ひゃうっ! っておどかさないでよライムぅ」

「ごめんごめん。ノア、一緒にやろ?」

「うんっ!!」


そしてノアとライムは授業終了まで拳で語り合った。

「はぁ、疲れたー」

「だよねー。しっかしこの戦闘用執事服って凄いね。攻撃が当たっても全然痛くないんだから」

「だね。でも少し汚れちゃったから洗濯しとかなくちゃ……」


「そう言えばライムさ、タマミちゃん効果で素早さとか跳躍力が上がったんだよね?」

「そうそう。あと暗いところでもよく見えるようになったよ」

「いいなぁ……ってそうじゃなくってさ、今日は精霊の力は禁止だったけど、やっぱりそのうち精霊の力も使った訓練になるんだよね」

「だと思うよ。実戦だったら当然使う必要があるだろうからね」


ライムの言葉にノアは『うーん』と悩み始める。

「どしたの?」

「うん……えっとね、私げんぷーから身体強化系の力って貰ってないんだ」

「ああ、そうだったね。そっか、確かにそれだと……」

「うん、ライムの素早さにはついていけないし、エイヴァのパワーには対抗出来ないし」

「だよねー。【障壁】で防御を固めればやられる事は無いだろうけど――」

「こっちの攻撃も効かないから結局勝ち目が無いんだよー」

「あらら……」




そして放課後。

最近はノアとライムにマイカとカナタ、そしてエイヴァとアカリの6人で行動する事が増えていた。

そして今日も――

「なんて事があってね、ノアと二人で考えたんだけど答えが見つからなくってさ」

財布に優しいイタリアン系ファミレスの『彩・ゼリヤ』で、そんな話題に盛り上がっていた。


「なるほどねー。確かに最近精霊の力を使えるようになった子が増えてきたからねー。精霊学は成績に凄く響くみたいだから、その力を使った格闘術もきっと成績に影響するよね」

マイカもまたノアの戦闘案を考えてみたが、いい案が浮かばない。だから――

「カナカナは何かいいアイディアない?」

こんな時は頼れるルームメイトに相談してみる事にする。


「んーー、もう一度げんぷーに訊いてみる、とか?」

もしかしたらげんぷーもまだ気付いていない能力があるかも、そう考えての発言。

「うん、げんぷーにも毎晩相談してるんだけど……今のところ無いっぽいんだよねー」

「そっか……」


「エイヴァはどう? 本場の知恵とかさ」

「イギリスは執事の本場ではあるけど、格闘の本場ではないです。精霊については……ケルト民話とかスコットランド民話とかの伝承でもカメとのバトルは無いのです」


「って事は、ここはやっぱりアカリの出番かなぁ」

「アカリちゃーーん!」


ライムとノアのご指名に、満を持してアカリが発言する。

「全く、我がライバルともあろう者が何を言っているのだ。こんな時の定番でシンプルな答えが、世の中には既に用意されているだろうに」

「定番で――」

「シンプルな答え……?」


訝し気な二人の視線を浴び、ついでに他の3人にも視線を送り、アカリはふふんと鼻を鳴らす。そして――

「修行パートからの必殺技開発に決まっているだろう」

さもそれが『世間の常識』であるかのように、そう言い放つのだった。


「ええっ、だって普通の技が無くって困ってるんだよ?」

困惑するノア。

「何を言うのだアクアルナよ。必殺技とは普通の技の延長ではない。まして無から生み出すようなものでもない。自分のうちに存在する力、それらを全て昇華し創造するのだ!」

「自分の力を……全部……」

「アクアルナなら出来て当然だ。何しろこの我『イグネア・アニュラス』が認めたライバルなのだからな」



自信に満ち溢れたイグネア・アニュラスさんの言葉に、アクアルナは雷を浴びたかのような衝撃を受けた。

そして――

「分かったよアカリちゃん。今夜もう一度げんぷーと話し合ってみるよー!」

持ち前の素直さで、ライバルからの厨二心溢れた助言とエールを真っ直ぐに受け取ったのである。

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