第2話 友達とライバル

ノアとライムのクラスは1年A組だった。


だがノアにとって非常に残念な事に席の並びは出席番号順、名前が「か」で始まるライムと「み」で始まるノアは、前後にも左右にも並びようがない。

とは言え実際は間に一列挟んだ隣がライムの席なのだが、その一列によってライムの姿は遥か彼方に感じられる。

(でも頑張らなきゃ。今こそ『ノアは明るく朗らかに!』だよ)


意を決したノアは、自分とライムの間に座る少女に声を掛けた。

「私、水月みづきノア。よろしくね」

「あ、うん! 私は萩枝はぎのえマイカ。ずっとマイカって呼ばれてたから、そう呼んでくれると嬉しいな」

「うん! よろしくねマイカ。私の事はノアって呼んでね」


無事お隣さんとのファーストコンタクトに成功したノアはほっと一息ついた。

そしてマイカの向こうで親指を立てたライムにそっと笑顔を送る。


「よかった。私、幼馴染みと二人で入学したんだけど、他に知ってる人が誰もいなかったから不安で」

「ああ、それ分かるよ、私もそうだから。中等部の友達と一緒に入ったんだけど、一緒のクラスになったのはカナカナだけだったんだ」

「カナ……カナ?」

「うんそう。ねっカナカナ」


そう言ってマイカがさっと振り返り、ライムの前の席に座る少女に視線を送ると、

「うん……こんにちは。あの……神山かなやまカナタで、す」

と消え入りそうな声が返ってきた。


そこにいたのは黒髪おさげの眼鏡少女。

(うわぁ……満場一致でミス図書委員に決定って感じだよー)

見事に完成されたカナタのキャラに感動したノアだったが、そのすぐ後ろの席から届くハンドシグナルは見逃さない。


「初めまして。私は水月ノア。私の事はノアって呼んでね。あなたの事は、えっと、私もカナカナって呼んでいい?」

「あ、はい。大丈夫、です」

「よかったぁ。それでねマイカ、カナカナ。カナカナの後ろの席にいるのが私の幼馴染みのライムなの」

柑橘かんきつライムよ。ノア共々よろしくね」


互いに挨拶も終わり、すっかり打ち解け合った4人が、

「それにしても物凄い偶然ね。お互いの知り合い同士で席が固まるなんて」

「ホントホント」

などと話を弾ませていると、教室の前側の扉から教師が入ってきた。


その教師は黒板に自分の名前を大きく書いてから生徒達の方に振り返り、

「私が今日からあなた達の担任になる此華このはなマキエだ。此華先生でもマキエ先生でも好きな方で呼ぶといい」

と、まるで獲物に襲いかかる猛獣のような笑みを浮かべた。


(美人の笑顔、怖い)

教室中の意見は完全に一致! と思われたその時、一人の勇者が立ち上がった。

「マキエせんせー、彼氏っているんですか? それとも旦那様とか? きゃー」

(((((キャーはこっちだよ!!)))))


その勇者に目を向けたマキエ先生は、驚く事にそれまでとは全く真逆の優しげな笑みを浮かべる。

まさか勇者は真の勇者だったというのか。


「そうだな。その質問に答えるのは吝かではないけど、その前にひとつだけ言っておく。その質問、時と場所と相手を選ばないと大惨事を引き起こすだろう。君が普通の高校生ならばまだ許されるかもしれないが、ここは執事を目指す者達の学舎まなびやだ。その事をよく肝に命じておくようにな」


勇者は壊れた人形のように激しく首を上下に振る。

眦にはうっすらと涙も浮かんでいるようだ。


「だが……もし私の限界を見極めるために敢えて道化を演じたというのならば、私は君を評価する。紙一重の『どちらか』として、だがな。で、質問の答えだが――」


それから更に一転、今度は無邪気で無防備な笑顔で、

「私にはとっても素敵な旦那様がいるの。優しくって格好良くってお洒落で一緒にいて楽しくって、もう本当に私にはもったいないくらい素敵な旦那様なのよ。旦那様の事を話し始めたら止まらなくなっちゃうくらい」

顔の前で両手を組み、まるで夢見る少女のように語った。


だが次の瞬間表情は一変、ひどく悲し気な声で、

「なんだけどね、ただ……」

そして目を閉じたマキエ先生は再び表情を改め、

「私の話はここまでだ。次はこれからの君達の学園生活についての説明に移る。各自しっかりと頭に入れておくように」

と、最初のトーンに戻って生徒に向き直った。


(ら、落差についていけないよぉ)

ノアがそっと横のマイカに視線を送り、

(ほほう、マキエ先生は旦那様の話題がスイッチ、でも何か訳アリと)

マイカはゆっくりとノアに向かって首を振った。

(ノア、切り替え切り替え)

そのシグナルを自らの態度をもって示すかのように正面へと姿勢を正したマイカを見て、ノアも再度気を引き締める。


「君達にはこれから3年間、執事になるための勉強に全力で取り組んでもらう。まず最初の1年目で行う事は、執事としての基礎知識の習得、精霊との契約、基本的な各種技能の習得、そして自分自身とあるじとなる方を守る為の護衛訓練だ」


マキエ先生はここで一度言葉を止め、おもむろに右手を顔の横に上げてパチンと指を鳴らした。

するとそのマキエ先生の顔の横に、小さな緑が姿を現す。

まるで人形のような植物のようなそれは――

「「「「「精霊だぁ」」」」」


マキエ先生はその精霊に優しく微笑み、テーブルの上に積まれたプリントを指さして、精霊に声を掛けた。

「リーフ、お願い」

精霊リーフは軽く頷くと、両手をたくさんの蔓に変化させてプリントを一枚ずつ掴み、生徒達に届けた。

「「「「「わあぁ……」」」」」


教室中に歓声が上がる。

それはそうだろう。始めて間近で精霊が動くところを見たのだから。

そして……


「凄い! 凄いよマイカ! 精霊だよ! 精霊が蔓でヒューって!」

「あはははは、精霊にプリント配ってもらっちゃったよ!」

興奮で顔を見合わせ声を上げるノアとマイカ。

その向こうで二人を見つめるライムとカナタの表情が若干寂し気なのは、それぞれの友人が取られたようにでも感じたからだろうか。


興奮する生徒達を『してやったり』といった表情で眺めていたマキエ先生だったが、そろそろいいだろうと声を上げる。

「今配ったのは年間予定表だ。しっかり目を通し、紛失などしないようきちんと管理するように」


ここまで伝えたところで一度口を閉じ、引き続き教室が再び静けさを取り戻すのを待っていると、生徒達の興奮は徐々に収まり、またマキエ先生に視線を戻してゆく。


「秋には成績が最も優秀な生徒に『バスチアン』の称号を与える事となるので、全員バスチアンを目指して精一杯励むように。ちなみにだが、先程入学式で在校生代表を務めた真名アイリは、『友愛のバスチアン』の称号を持つ最上級生だ。そして2年のバスチアンは『白銀のバスチアン』の称号を持つ甲野サザナミ。そのうち顔を合わせるかもしれないから覚えておくといいだろう」


「バスチアンかぁ……」

(なんか目指すっていうか……雲の上の存在だよー)

「『友愛』とか『白銀』というのは、その者の特徴から付けられる。自分がバスチアンに選ばれた時に『何の』バスチアンと呼ばれるのか、今のうちから想像しておくといいだろう」


そして……


「では最後に学食についてだ。本学園には週に一度学食を無料で利用できる制度がある。無料チケットを提示すると特別室に入る事が出来、そこで実況中継と解説付きで調理の様子を見学する事が出来るようになっている。大量調理というのもまた、執事の必須技能のひとつだからな。あと飲み物は紅茶、緑茶、コーヒーから選べるが、淹れるのは君達自身の手によってだ。理由はもちろん分かるな?」




こうして入学初日の予定はすべて終了した。

ノア達4人が連れ立って教室から出ると、

「待っていたぞ。我が運命のライバルとなる者、アクアルナ!」

例の少女がノアとの再会を待ち構えていた。


「ええと、ノア? こちらお友達?」

微妙な表情でノアに問いかけるマイカ。

その後ろには巻き込まれてなるものかとばかりに顔をそむけるカナタと、必死で笑い出すのをこらえるライム。

そしてその後ろから――


「君達こんなところで固まって何を……ん? そちらは……ああ、B組の火輪ひのわアカリ――おっとすまない、『イグネア・アニュラス』だったか? まあ何と言うか……そう、程々にな」

そう言い残し、マキエ先生はツカツカと歩き去っていった。


「う……うわぁーーーーん」

居た堪れないといった表情になったアカリは、半泣きで走り去っていった。

「こら! 廊下を走らない!」

マキエ先生の注意も耳に入らない様子で……


「ええっと……イグネアさん、どうして走ってっちゃったんだろ?」

ノアが頭の上に大きな疑問符を浮かべると、

「アレは教師に冷静に対応されると居た堪れなくなるもの、らしいよ」

「??」


こうして火輪アカリ――イグネア・アニュラスのライバル宣言は、誰の記憶にも残る事が無いという残念な結果に終わったのである。

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