第1話 入学式
4月。
桜舞い散るこの季節、日本各地の学校で新生活に胸踊らせる新入生達の姿が見られるが、それはここ聖バスティアーナ学園も例外ではない。
門をくぐる初々しい女子生徒達が身に纏うのは、男性用スーツや燕尾服のようにも見える、いわゆる執事服である。
だがその執事服からは不思議な華やかさが感じられる。そう、それはまるで女性向けにデザインされている事を主張するかのような。
重厚な学園の門をくぐる少女達。
敷地内に立ち止まり笑顔で会話する少女達。
その彼女たち全員が執事服を身に纏うその理由、それは制服だから。
執事服こそがこの学園の制服なのだから。
そんな少女達の中に、希望よりも緊張を滾らせる少女が一人。
「ううう・・・緊張するよぉ」
身を小さくするその少女が小さく呟くと、隣から声が掛けられた。
「いきなり弱気モードにならないの。ノアは明るく朗らかに、でしょ?」
「だってライムぅ」
「こらこら、そんな顔してたら大好きだったお祖母ちゃんが心配しちゃうぞ」
幼馴染で親友なライムの言葉にノアはハッとし、ひとつ深呼吸してから顔を上げ胸を張った。
「うん、そうだね。お祖母ちゃんとの約束を守らなきゃ。ノアは明るく朗らかに!」
「そうそう、よく出来ました。さあノア、こんなところにいたら邪魔になっちゃうからさ、あっちに行こうよ」
「うんっ!」
前を見て歩き出した親友の姿にライムは微笑み、肩を並べて歩き出した。
(相変わらず世話が焼けるんだから)
小さな頃からずっと一緒に過ごしてきたライムは、ノアの事だったら自分の事の様によく知っている。
ノアは小さな頃から内気で引っ込み思案な少女だった。
いつも一緒だったライムの背中に隠れるように歩いていたため、数年前までこうして横に並んで歩いた記憶はない。
それが変わったのは、ノアが大好きだったお祖母ちゃんと交わした最後の約束から。
『いいかいノア、お祖母ちゃんはもうすぐ死んじゃうけど、ひとつだけ約束してくれるかい。お祖母ちゃんはね、ノアの笑顔が大好きなんだよ。だからノアにはいつだって笑顔でいて欲しいんだ。だから約束。ノアは明るく朗らかに、ね』
それからノアは頑張った。
お祖母ちゃんの前だけではなく、いつでも明るく朗らかであるようにと。
そしていつしかライムの横に立ち、肩を並べて歩けるようになっていったのである。
まあ生来の弱気は簡単に直るものではなく、さっきのようにひょっこり顔を出す事もあるのだが。
ある程度奥に進むと周囲の少女達も歩く者より立ち止まる者のほうが多くなり、人の流れは緩やかになった。
「この辺りだったら、立っててもみんなの邪魔にならないかな」
「だね。じゃあ時間までここで――」
「ほう、こうして我がもとに現れるとは。そうか、運命に導かれたか・・・」
足を止めた二人にノアの横から妙な声が掛かり、二人はそちらに目をやった。
するとそこにいたのは、執事服に許される範囲ギリギリのカスタマイズを施した一人の少女。
端正な、だがどことなく幼い顔立ちに不遜な笑みを浮かべたその少女は、挑むように値踏むようにノアの顔を見つめている。
「ええと・・・あなたは?」
その視線に反応した弱気の虫を危ういところ抑え込み、ノアは振り絞るように言葉を返した。
すぐ横で彼女の成長を喜ぶように微笑む親友の姿には気付かずに。
「私はひの――っ我こそはイグネア アニュラス、神の執事を目指す者」
「どっどうしようライム、こんな時どんな顔したらいいのか分からないよ」
「よし、がんばれ」
一瞬目を潤ませたノアだったが、親友から身も蓋もない一言を受け何とか踏みとどまる。
「はっはじめまして、私は水月ノア。それと――」
「柑橘ライムよ。ええと、イグ・・・?」
「イグネア アニュラス。神の執事を目指す者」
(うう、やっぱり聞き間違いじゃなかったよぉ・・・)
イグネア アニュラスと名乗るその少女は、ノアの名前を反芻し、深い笑みを浮かべた。
「水月・・・アクアルナ。やはりあなたとは運命的な何かを感じる」
「アクア・・・え?」
(この人が何を言ってるのか全然分からないよ!)
「ならばこの邂逅は胸に刻もう。また会おうアクアルナ、運命に導かれるままに」
そう言い残して去ってゆく少女を、ノアは呆然と見送った。
「ねえライム、あの人日本語しゃべってたけど、もしかして外国の人かな。私の名前も翻訳?してたみたいだし」
理解の範囲内で少女を分析するノアだったが、ライムは先ほどの彼女の言動からほぼその正体を正確に掴んでいた。
「んー、あれはそういうんじゃなくって――」
『間もなく入学式を開始します。新入生の皆さんは講堂に集合してください』
ライムがそれを伝えようとした時アナウンスが流れ、人の波が動き始めた。
「おっと、私達もいかなきゃ。さあノア」
「うんっ」
講堂に入ると、教師達が生徒を席へと誘導している。
「座席の位置は決まっていませんから、前から順に詰めて座って下さい。隣の人との間に席を開けないように」
座席は既に前方から3分の1ほどまで埋まっており、ノアとライムはその後ろに並んで座った。
生徒達の話し声で会場は騒めいており、ノアとライムもまた開会までヒソヒソと小声で会話する。
「ねえライム、クラス決めっていつやるんだろ」
「入学式のあとじゃない? どこかに貼り出されるとか」
「ああ、そういえば中学の時もそんな感じだった気がするよ」
「そうそう。あ、そういえばさ、この学園にも中等部とかあったよね」
「うん、確かパンフレットにそんな事書いてあったよ。でもそこからこの学園に入れる人ってすごく少ないんだって。だからこの学園は『高等部』ではないのです、とか何とか」
「ここに入るには執事の神様セバスティに認められなきゃだからね。入れるのは私達が入試でやったのと同じ『
ライムの言葉に、ノアは入試の時の事を思い出した。
「『神認の儀』かぁ・・・私とライム、二人とも合格出来てホントに良かったよぉ。もし合格したのが私だけだったりしたら・・・」
「私がノアを一人にする訳ないじゃない。意地でも合格するって」
「うう、ライムぅ」
「よしよし」
ノアの頭を優しく撫でるライム。これもまた昔からよく見た光景。
やがて生徒達全員集合したらしく、会場は明かりが落ちて薄暗くなり・・・
それに伴って騒めきは収まり、会場は緊張感に包まれていった。
その緊張感を敏感に感じ取ったノアは、無意識のうちに小さな手をギュッと握りしめていた。
ガチガチのノアに気付いたライムがそっとその手をノアの握り拳に被せると、不意に訪れたその温かさに驚いたノアがライムに目を向ける。
ライムがニッと笑顔を返すとノアもまた弱く微笑み、だがその身体からは余計な力が抜けていった。
重なり合った手はそのままに。
「只今から、聖バスティアーナ学園の入学式を開始いたします。まず――」
新入生達の期待と緊張の中、いよいよ入学式が始まった。
そして式は恙なく進行し、やがて新入生達の前に立った学園長が微笑みと共に優しく語り始める。
「皆さん、ご入学おめでとうございます。
皆さんご存じの通り、『執事』は長く『二大憧れの職業』のうちのひとつに数えられていますね。
では執事とはどのような職業でしょう。
執事の仕事は『
それには執事としての知識や技能を習得する事が必要ですが、それともうひとつ執事になる為の大切な条件があります。
その条件とは、執事の神セバスティに認められて執事精霊と契約する事です。
入学試験のひとつとして行われた『
その狭き門を見事くぐり抜けて神セバスティに認められた皆さんは、これから精霊と出会い、そして契約を結ぶ事になります。
皆さん。
あなた方の生涯のパートナーとなるその精霊に恥じる事の無いよう、これから勉学に勤しんでください。
かつて執事は男女の区別なく就く事が出来る職業でした。
ですが戦国時代、多くの男性達が主君を守る事を建前として執事精霊の力を戦いに使用するようになりました。
ある者は侍として、またある者は忍者として・・・
その事が執事の神であるセバスティの怒りを買い、それから数百年もの間、セバスティに認められる者は一人も現れませんでした。
ですが近年、ようやくセバスティに認められる者が現れ始めました。
ただしそれは女性のみ。
そう、執事は女性の職業となったのです。
精霊と契約する事により皆さんは非常に大きな力を手に入れる事となります。
ですが、その力に溺れて堕落したり悪用した時、精霊はその人の前から姿を消すでしょう。
皆さん。
正しく『執事』であるというのはどのような事なのか、本学園での学びの中から皆さん自身の答えを見つけてください。
そして生涯を掛けてその答え合わせをしていってくださいね。
皆さんの人生において本学園が素晴らしい
(学園長すごく優しそう。絶対いい人だよ。何だかお祖母ちゃんを思い出すし)
学園長の祝辞を聞いたノアの感想がこれだ。
内容が頭に残っているかは分からないが、どうやら緊張は完全に解けたらしい。
学園長の次は在校生代表からの祝辞。
(うわぁ、すごく綺麗な人。ええと、真名アイリさん。アイリ先輩かぁ)
「皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんは執事と聞いてどのように感じますか? これから皆さんは――」
やがて入学式はすべての
そして司会者から今日これからについて案内が行われる。
「これからプリントを配りますので、一枚取って残りを後ろに回してください。そのプリントはクラス表ですので、皆さん自分の名前を探し、それぞれの教室に移動してください」
プリントが手元に届くと、ノアとライムは自分と親友の名前を探した。
特にノアは必死の表情で。
そして――
「やったぁ、同じクラスだよライム!」
「うん、よかった・・・本当によかった」
心から喜ぶノア。それを見つめるライムの表情はまるでお母さんのようだ。
そして会場のどこからか、
「何!? アクアルナと別のクラス、だと・・・まさか運命は――」
そんな声が聞こえた気がした。
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