第1話 入学式

4月。

桜舞い散るこの季節、日本各地の学校では新生活に胸踊らせる新入生達の姿が目に眩しい。


校門をくぐる初々しい生徒達が身に纏う制服はそれぞれの学校指定の学生服、詰襟の上下であったりブレザーであったりセーラー服であったり。


真新しい制服に身を包んだ真新しい生徒達が続々と学校の敷地に入ってゆく様は、それを目にした者にも新鮮な気持ちを思い出させてくれる。




ここ聖バスティアーナ学園もその例に漏れず今日は入学式の日。朝日に輝く新入生達が爽やかな春風を浴びながら続々と登校して来る。

だがその光景には、他の学校のそれとは決定的な違いが見受けられた。その違いとは――


登校してくるのが女子生徒しかいない? もちろんそれも正しい。この聖バスティアーナ学園への入学が許されているのは女子だけなのだから。だがそれは本題ではない。ここで言う決定的な違い、それは門をくぐる初々しい女子生徒達の服装にあった。


彼女達が身に纏うのは、ブレザーでもセーラー服でもなく、所謂いわゆる執事服――男性用スーツや燕尾服のようにも見えるあの服――なのだ。

そこに不思議な華やかさが感じられるのは、それを着ているのが少女達だからなのか、それともその執事服が女性向けにデザインされたものだからか。




そう、ここは県下から執事を目指す少女が集う学校、聖バスティアーナ学園。ならば集う少女達が執事服を着ているのも当然だろう。執事服こそがこの学園の制服なのだから……



そんな希望溢れる新入生の中に、希望よりむしろ緊張を滾らせる一人の新入生がいた。

「ううう……緊張するよぉ」


身を小さくするその少女が小さく呟くと、すぐ隣を歩く友達らしき少女が彼女の背にそっと手を当て優しげな笑顔で声を掛けた。

「もう、いきなり弱気モードにならないの。『ノアは明るく朗らかに』、でしょ?」

「だってライムぅ」

「『だって』じゃないでしょ。そんな顔してたら大好きなお祖母ちゃんが心配しちゃうぞ」


幼馴染で親友なライムのその言葉にノアはハッとし、ひとつ深呼吸してから顔を上げ胸を張った。

「うん、そうだね。お祖母ちゃんとの約束を守らなきゃ。ノアは明るく朗らかに!」

「そうそう、よく出来ました。さあほら、こんな所にいたら他の人達の邪魔になっちゃうよ。あっち行こ」

「うんっ!」


ようやく前を見て歩き出した親友の姿にライムは微笑み、肩を並べて歩き出した。

(相変わらず世話が焼けるんだから)

小さな頃からずっと一緒に過ごしてきたライムにとってノアは家族も同然。だからノアの事は自分の事の様によく知っている……




ノアは小さな頃から内気で引っ込み思案な少女だった。

いつも一緒だったライムの背中に隠れるように歩いていて、だから数年前までこうして横に並んで歩く事はほぼ無かった。


それが変わったのは、ノアが大好きだったお祖母ちゃんと交わした最後の約束から。

『いいかいノア、お祖母ちゃんはもうすぐ死んじゃうけど、ひとつだけ約束してくれるかい。お祖母ちゃんはね、ノアの笑顔が大好きなんだよ。だからノアにはいつだって笑顔でいて欲しいんだ。だから約束。ノアは明るく朗らかに、ね』


それからノアは頑張った。

お祖母ちゃんの前だけではなく、いつでも明るく朗らかであるようにと。

そしてその頑張りは徐々に実を結び、いつしかノアはライムの後ろではなくその横に肩を並べて歩けるようにまで成長したのである。

とはいえ生来の弱気は簡単に直るものではなく、さっきのようにひょっこり顔を出す事もあるのだが。




ある程度奥に進むと人の流れは緩やかになり、周囲には歩く者より立ち止まって談笑する者のほうが多くなっていった。

「この辺りだったら、立ち止まっててもみんなの邪魔にならないかな」

「だね。じゃあ時間までここで――」


「ほう、こうして我が元に現れるとは。そうか、これが運命に導かれるという事か……」

二人が足を止めたところでノアの横から妙な声が掛かり、二人はそちらに目をやった。


そこにいたのは、執事服に許される範囲ギリギリのカスタマイズを施した一人の少女。

端正な、だがどことなく幼い顔立ちに不遜な笑みを浮かべたその少女は、右手を軽く額に当て、挑むような値踏むような表情でノアの顔を見つめている。

「ええと……あっあの、あなたは?」


その視線に反応した弱気の虫を危ういところグッと抑え込み、ノアは振り絞るように言葉を返した。

すぐ横で彼女の成長を喜ぶ親友の姿には気付かずに。


「私はひの――っ我こそはイグネア・アニュラス、『神の執事』を目指す者!」

どーん!


その応えは完全にノアの想定外。理解の範疇を軽々と越えてきた少女にノアは軽いパニックを起こし、その目をぐるぐるさせた。

「どっどうしようライム、こんな時どんな顔したらいいのか分からないよ」

「よし、がんばれ」

目を潤ませ助けを求めるも、その親友から返ってきたのは身も蓋もない一言。だがその一言が何とかノアを踏み留まらせる!


「はっはじめまして、私は水月ノア。それと――」

「柑橘ライムよ。ええと、イグ……?」

「イグネア・アニュラス。『神の執事』を目指す者だ」

(うう、やっぱりさっきの聞き間違いじゃなかったよぉ……)


イグネア・アニュラスと名乗るその少女は、ノアの名前を反芻し、深い笑みを浮かべた。

水月アクアルナ……くくく、やはりこの出会いは運命だったか」

「アクア……え?」

(この人が何を言ってるのか全然分からないよぉ)

「ならば我もまたこの邂逅を胸に刻もう。また会おうアクアルナ、運命に導かれしままに」


そう言い残して去ってゆく少女を、ノアは呆然と見送った。

「……ねえライム、あの人日本語しゃべってたけど、もしかして外国の人かな。私の名前も翻訳?してたみたいだし」


理解の範囲内で少女を分析するノアだったが、ライムは先程の彼女の言動からほぼその正体を正確に掴んでいた。

「んー、あれはそういうんじゃなくって――」

ぴーんぽーんぱーんぽーん

『間もなく入学式を開始します。新入生の皆さんは講堂に集合してください』


ちょうどその時校内アナウンスが流れた事でライムからの解答は中断。そして動き始めた人の波に二人の気持ちは入学式へと切り替わり、謎の少女の事は心の隅へと押しやられた。

「おっと、私達も行かなきゃ。急ご、ノア」

「うんっ」




入学式の会場である講堂では、教師達が次々とやってくる生徒達を新入生用の席へと誘導していた。

『座席の位置は決まっていませんから、前の方から順に詰めて座って下さい。隣の人との間に席を開けないように』

この学校の入学式は新入生が後から入ってくるスタイルではないらしい。


座席は既に前方から三分の一程まで埋まっており、ノアとライムはその後ろに並んで座った。

生徒達の一人一人は小さな話し声も数が集まればノイズのような騒めきとなり、そのノイズの中ノアとライムもまた開会までの時間を埋めるようにヒソヒソと小声で会話する。


「ねえライム、クラス決めっていつやるんだろ」

「入学式のあとじゃない? 掲示板かどっかに貼り出されるとか?」

「ああ、そういえば中学の時もそんな感じだった気がするよー」

「そうそう。あ、そういえばさ、この学園にも中等部とかあったよね」

「うん、確かパンフレットにそんな事書いてあったよ。でもそこからこの学園に入れる人ってすごく少ないんだって。だからこの学園は『高等部』ではないのです、とか何とか」

「ここに入るには執事の神様セバスティに認められなきゃだからねえ。入れるのは私達が入試でやったのと同じ『神認かみとめの儀』で合格した人達だけなんだろうね」


ライムの言葉に、ノアは入試の時の事を思い出した。

「『神認の儀』かぁ……私とライム、二人とも合格出来てホントに良かったよぉ。もし合格したのが私だけだったりしたら……」

「私がノアを一人にする訳ないじゃない。意地でも合格するって」

「うう、ライムぅ」

「よしよし」

ノアの頭を優しく撫でるライム。これもまた昔からよく見た光景。




やがて生徒達全員の集合が完了したらしく、会場は明かりが落ちて薄暗くなり……

それに伴って騒めきは収まり、会場は張り詰めた空気に包まれていった。

その緊張感を敏感に感じ取ったノアは、いつの間にか無意識に小さな手をギュッと握りしめる。

そんなガチガチのノアに気付いたライムがそっとその手をノアの握り拳に被せると、不意に訪れたその温かさに驚いたノアがライムに目を向けた。

ライムがニッと笑顔を返すとノアもまた弱弱しく微笑み、だがその身体からは余計な力が抜けてゆく。

重なり合った手はそのままに。


『只今から、聖バスティアーナ学園の入学式を開始いたします。まず――』

新入生達の期待と緊張の中、いよいよ入学式が始まった。

そして式はつつがなく進行し、やがて新入生達の前に立った学園長が微笑みと共に優しく語り始める。


『皆さん、ご入学おめでとうございます。


皆さんご存じの通り、『執事』は長く『二大憧れの職業』のうちのひとつに数えられていますね。

では執事とはどのような職業でしょう。

執事の仕事は『あるじ』となる方の生活や仕事を支える事、つまり『主』の人生そのものを支えるという素晴らしい仕事です。


それには執事としての知識や技能を習得する事が必要ですが、それともうひとつ執事になる為の大切な条件があります。

その条件とは、執事の神セバスティに認められて執事精霊と契約する事です。


入学試験のひとつとして行われた『神認かみとめの儀』。

その狭き門を見事くぐり抜けて神セバスティに認められた皆さんは、これから精霊と出会い、そして契約を結ぶ事になります。


皆さん。

あなた方の生涯のパートナーとなるその精霊に恥じる事の無いよう、これから勉学に勤しんでください。


かつて執事は男女の区別なく就く事が出来る職業でした。

ですが戦国時代、多くの男性達が主君を守る事を建前として執事精霊の力を戦いに使用するようになりました。

ある者は侍として、またある者は忍者として……


その事が執事の神であるセバスティの怒りを買い、それから数百年もの間、セバスティに認められる者は一人も現れませんでした。


ですが近年、ようやくセバスティに認められる者が現れ始めました。

ただしそれは女性のみ。

そう、執事は女性にのみ許された職業となったのです。


精霊と契約する事により皆さんは非常に大きな力を手に入れる事となります。

ですが、その力に溺れて堕落したり悪用した時、精霊はその人の前から姿を消すでしょう。


皆さん。

正しく『執事』であるというのはどのような事なのか、本学園での学びの中から皆さん自身の答えを見つけてください。

そして生涯を掛けてその答え合わせをしていってくださいね。

皆さんの人生において本学園が素晴らしい一時ひとときとなる事を心からお祈りしています』


(学園長すごく優しそう。絶対いい人だよ。何だかお祖母ちゃんを思い出すし)

学園長の祝辞を聞いたノアの感想がこれだ。

内容が頭に残っているかは分からないが、どうやら緊張は完全に解けたらしい。


学園長の次は在校生代表からの祝辞。

(うわぁ、すごく綺麗な人。ええと、真名アイリさん。アイリ先輩かぁ)

『皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんは執事と聞いてどのように感じますか? これから皆さんは――』


やがて入学式はすべての次第しだいを終え、会場は再び明るさとを取り戻した。

そして司会者から今日これからについて案内が行われる。

『これからプリントを配りますので、一枚取って残りを後ろに回してください。そのプリントはクラス表ですので、皆さん自分の名前を探し、それぞれの教室に移動してください』


プリントが手元に届くと、ノアとライムは自分と親友の名前を探した。

……特にノアは必死の表情で。

そして――

「やったぁ、同じクラスだよライム!」

心から喜ぶノア。

それを見つめるライムの表情はまるでお母さんのようだ。

「うん、よかった……本当によかった」


そして会場のどこからか、

「何!? 我とアクアルナが別のクラス、だと……まさか運命は――」

そんな声が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る