二人の本心

「えっ?」


 予想だにしなかった質問に、ロウゼンは目を丸くする。


「私が憎くないのですか?」

「憎い? どうして──」


 何故そう思うのかと質問しようとしたロウゼンだったが、思わず口を閉ざしてしまった。目の前にいるのは、今にも泣きそうな顔をしているケリューだった。魔物と対峙したときとは違う恐怖に怯えている。

 ケリューがこのような質問をする理由がわからなかったが、ケリューも同じように何かが理解できずに苦しんでいた。その様子は、昨日の夜に部屋の前で立っていたときと同じだった。


「やっぱり何かあったんだね。ゆっくりでいいから話してくれないかい?」

「それは、その……」


 しかしケリューは黙り込み、目線をそらした。それでも何かを言おうと口を動かそうとするが、言葉にできず声として出力されないでいた。

 そんな状態がしばらく続き、ケリューは静かに首を左右に振った。答えられないというよりは、訊くことを躊躇ためらっている様子だとロウゼンは感じた。

 これまでのケリューの発言から、予想したことを告げる。


「俺の妹がオートマタに殺された話を、誰かから聞いたんだね」

「!」


 ケリューは悲痛な面持ちになり、顔に暗い影を落とす。予想が確信に変わった瞬間だった。

 重苦しい空気が漂う中、ロウゼンはいつもと変わらない口調で喋り始める。


「ケリュー、闇市で君が俺に喋ったことを覚えているかい?」


 闇市で? とケリューが首を傾げる。頭をひねり、思い当たる言葉を思い出そうとする。


「えっと……話し合えば誤解が解けて仲良くなれる。という話でありますか?」

「うん、それだ。だから俺と少し話をしよう」


 ロウゼンは天井を仰ぎ、遠い目をして話し始めた。


「俺の妹が──ロゼッタがオートマタに殺されたのは本当だ」


 ケリューはその話を、一言一句聞き逃さないよう耳パーツの出力を上げた。


「十年前、俺はロゼッタに呼ばれたんだ。友達の病気を治したいから、一緒に薬草を探してほしいって。だから近くの森へ採取しに行って──運悪く暴走状態のオートマタに遭遇してしまった」


 ロウゼンの脳裏をかすめるのは、生温かい血液で全身を濡らした妹と赤い目をしたオートマタの姿だった。


「でも、だからって俺は君を恨んだりなんてしていないよ。種族が同じというだけだ」


 自分の言葉に偽りは無いと、黄金色に変化したケリューの瞳を真っ直ぐに見つめてそう言った。目の色が変わっていることにケリュー自身は気づいていない。


「で、でも私は、もしデーヴァが人間に殺されたら、きっと人間を恨むであります! それはロウゼン殿も同じなのではありませんか!?」


 両手に力が入り、たじろぎながらも本心を叫ぶ。


「……たしかに昔の俺は、オートマタを憎んでいた」


 やはりと、ケリューの表情に暗い影が落とされる。


「でもそれは、君とデーヴァに出会うまでの話だ」


 ロウゼンの言葉に、ケリューはきょとんとした顔になった。ロウゼンは微笑みながら喋り続ける。


「二人が流星雨に来た日から、君やデーヴァはずっと流星雨の皆を大切に思ってくれている。誰かを思いやる気持ちは、何一つ俺たちと変わらないことを知ったんだ」


 二人に親愛の情を抱いているのはロウゼンだけではない。流星雨へ食事をしにやって来る客やギルドマスターのドルファ、そして流星雨の冒険者たちもそうだった。


「だから俺は、そんな二人の姿を見てようやく確信が持てたんだ。オートマタが全員、ロゼッタを殺したような心無い人ばかりじゃないことを。それに」


 ロウゼンは膝を着き、ケリューの指先に触れて少し引き寄せた。


「オートマタだとか人間だとか、そういうのは関係ない。今の君は流星雨の一員で、大事な仲間の一人だ。だから護りたい」


 そう言って手の甲に軽く口付ける。騎士が忠誠を誓う、あるいは敬意や親愛を示す所作を初めて受けたケリューは、驚いて緑の瞳を丸くした。同時に嬉しくなり、照れ笑いを浮かべる。


「もちろん、俺の父さん──ギルドマスターや冒険者の皆も同じ気持ちのはずだ。落ち着いて考えたらわかるだろう?」


 ケリューは頷いて、流星雨の面々の姿を思い浮かべる。最初こそ驚かれはしたが、誰一人として悪意を向けるような素振そぶりはしていなかった。むしろ、その逆だった。疑心暗鬼に囚われ、事実から目を背けていた。


「……申し訳ありません、ロウゼン殿。私はとんだ思い違いをしていたであります」


 嘘偽りのないロウゼンの言葉に、ケリューの胸元の動力部がわずかに熱を発した。


「もっと早く話して、誤解を解くべきでした。話し合えばわかり合えると言ったのは、他ならぬ自分だったのですから!」


 屈託のない笑みを浮かべるケリューは、いつもの流星雨の給仕に戻っていた。


「それにしてもロウゼン殿、良かったのでありますか?」

「うん?」


 なんの話をしているのかわからず、ロウゼンは頭上に疑問符を浮かべる。


「こういうのは、てっきりサティア殿にすると思っていましたので」


 ケリューはロウゼンに引かれた手を指差す。


「…………」


 手の甲に口付けたことを思い出し、ロウゼンの顔が見る見るうちに真っ赤になる。取り繕うにも、誰が見ても動揺しているのは明らかだった。手を離し、顔を隠すように背を向ける。


「すまない! これはその、騎士だった頃の名残で、誓いの意志を示すものなんだ!」

「あはは! わかってるでありますよ〜! マクベス殿のように揶揄からかっただけであります〜!」

 

 ケリューの笑い声が親友マクベスと重なり、恥ずかしさで赤くなった顔を下に向ける他なかった。これ以上マクベスから悪影響を受けてほしくないと、そんな願いを抱く。

 なんとか気を取り直し、ロウゼンは立ち上がる。


「さてと。探し物は見つからなかったし、ここを出ようか。盗賊の件を衛兵か自警団に知らせないとね」

「そうでありますね。近くの町へ向かいましょう!」


 ケリューも立ち上がり、二人は部屋を出る。出口へと続く道は壁によって塞がれたままだった。


「そういえば壁で通れなくなっていたであります。どうしましょう?」

「ああ、あの程度なら問題ないよ」

「問題ない?」


 ロウゼンがきょとんとするケリューの脇を通った瞬間、金属音がした。ガチャリ、ガチャリと何かが動くような音もして、二人が後ろへと振り向く。

 先ほどロウゼンが斃したはずのオートマタが、わずかに上体を起こして鋼鉄の翼を魔力で輝かせていた。破壊され、露出した胸部から暴走した雷撃が走る。


「危ない!!」


 ロウゼンはケリューを押し倒し、同時にオートマタの翼から光り輝く魔力の束が放たれる。マントをかすめた光線は天井や壁に直撃し、瓦礫が散る。ケリューはロウゼンが覆いかぶさっていたため無事であり、ロウゼンも運良く怪我を負わなかった。


「強制……開……」


 オートマタはその言葉を最後に仰向けに倒れ、今度こそ沈黙した。

 突然、天井から分厚い壁が下ろされオートマタごと床を押し潰す。今度は壁や天井の隙間から、何かが噴出するような音が聞こえてきた。


「あわわ、何事でありますかー!?」


 何が起きているのかと動揺するケリュー。落ち着かせようとロウゼンは声をかけようとするが、何故か立ちくらみがして眉間にシワを寄せた。頭痛も引き起こされ、息苦しさで動悸が速くなる。


「うぅっ……」


 壁に手を着き、もたれかかるが苦痛は増すばかりだった。足が思うように動かなくなり、体が蝕まれるような感覚の正体に気づく。


「これは……このままだと……」

「ロウゼン殿? いったいどうしたのですか?」


 異変に気づいたケリューが訊いても、ロウゼンは答えることができない。どれだけ呼吸をしても、空気以外の何かが肺を満たそうとしている。

 喉がひりつき、深く咳き込んだ際に、口から吐き出された赤い液体が壁と床を染める。

 隔離された廊下で聞こえる、空気を揺るがすような音。ロウゼンの身には起きて、ケリューには現れない症状。その正体にケリューも気づいたらしく、目を見張った。


「ひょっとして、毒ガスでありますか!?」


 呼吸器官が備わっていないケリューには、ロウゼンのように苦しむことはない。自由に動ける自分が何かしなければと、ケリューは辺りを見回す。


「えっと、な、何か役に立ちそうなものは!? 何かないでありますかー!?」


 しかし、他の部屋へ行こうにも壁の出現により閉ざされ、完全に手段が絶たれていた。


「ケリュー」


 ロウゼンは力を振り絞り、気が動転しているケリューに呼びかける。


「は、はいっ!?」

「壁の……近くに」


 ロウゼンは自身を指差した後、塞がれた壁に指を向ける。意図が伝わるかどうかわからなかったが、ケリューはきちんと察して肩を貸す。ケリューの力を借り、なんとか壁の前までたどり着く。


「少し、離れてくれ」


 小さな声だったがきちんと聞き取ってくれたようで、頷くとケリューがロウゼンと壁から離れる。

 ロウゼンは左眼に魔力を込めると、青白い炎と雷を纏わせる。すると、壁の中央が同じような色の炎が灯されているのが見えた。オートマタの脚を破壊したときと同じように、脆弱な箇所が炙り出された。

 ロウゼンは歯を食いしばり、拳を振り上げる。


「うぉぉぉおおおッ!!」


 普段の温厚さからは想像できないほどの、凄まじい剣幕のような叫び声を上げながら、ロウゼンは握り拳を壁に叩き込んだ。壁に亀裂が走り、次の瞬間には轟音と共に壁は崩壊し、大穴と瓦礫の山ができあがっていた。


「……へ?」


 ケリューは何が起きたのか理解が追いつかないらしく、間の抜けた声を上げていた。ロウゼンは自らの手で切り拓いた脱出路を通り抜け──視界がぐらりと揺れ、前のめりになって倒れた。

 全身が思うように動かない。咳き込む度に鉄の味と生温かい感触がこびりつく。ケリューが何度もロウゼンの名を呼んでいるが、その声と視界が遠のいていく。

 ケリューがロウゼンの脇の下に腕を通し、出口へと引きずっていく。その途中で、ロウゼンは意識を手放した。




* * *




 ロウゼンが目を覚ましたとき、目に入ったのは夜空を彩る数々の星と、そよ風で揺れる木々。そんな景色を照らす、焚き火の暖かな光だった。

 体は重石おもしを乗せられたかのようだったが、それでも無理矢理に上体を起こす。気づいたケリューが、焚き付けの枝を放り出して駆け寄った。


「ロウゼン殿!」

「ケリュー? ……そうか、君がここまで運んでくれたのか。助かったよ」

「いえいえ、当然のことをしたまでであります!」


 ケリューはほっとして胸を撫で下ろした。


「そうそう、彼らもロウゼン殿を見守ってくれていたであります!」

「彼ら?」


 ロウゼンが訊いた瞬間、頭上に生温かい風──ではなく、動物の鼻息がかかる。驚いて振り返ると、そこにいたのはロウゼンに顔を近づけた馬だった。研究所へと続く洞窟の近くにいた、盗賊に乗り捨てられた馬たちだった。


「君も心配してくれたんだ。ありがとう」


 頭を撫でると、馬は嬉しそうに顔をロウゼンにくっつけた。


「あ、あの……ロウゼン殿」


 ケリューの声がわずかに弱々しくなる。何事かと驚いて、ロウゼンはケリューに目を向けた。


「その、私……信じていなくて申し訳ないであります!」

「信じてない?」

「ロウゼン殿は本当にグーパンで壁を壊せるのに、私は勝手に嘘だと思い込んでいたであります!」

「…………」


 眉をハの字にして、叱られてしょんぼりとした子供のような顔のケリュー。あまりに深刻そうにしているので、ロウゼンは思わず腹を抱えるほどに笑ってしまった。


「あははっ! 簡単に信じられるような話じゃないから、無理もないよ」


 実際に見なければ信じられない話であるため、ロウゼンは特に気にしていなかった。

 とある都市が魔物の襲撃に遭い、城壁の向こう側にいる人を助けるため、やむを得ず壁を破壊した──破壊王と呼ばれるきっかけとなった出来事を説明すると、


「そうだったのですか。意味もなく破壊行為をするわけがないと思っていましたので、真実を知れて良かったであります!」


 納得したようで、うんうんと何度も頷いた。

 ロウゼンはケリューに軽い治癒術をかけてもらい、無理なく体を動かせるようにしてもらうとテントを設営した。火を絶やさないよう乾いた枝をかき集め、就寝の準備を整える。


「ロウゼン殿、私の話を聞いてほしいのであります」


 焚き火から少し離した場所に焚き付けの枝を置き終えたとき、ケリューが話しかける。ロウゼンは頷き、話に耳を傾けた。


「私がどうして翼のパーツを求めていたのかというと、それがあれば我が弟の……デーヴァの役に立てるのではないかと思ったからなのであります」


 指の腹を合わせ、ケリューは話を続ける。


「デーヴァもロウゼン殿と同じく冒険者。危険な目に遭って、いくらか破損して帰還することも珍しくはないのです。ですから私も、冒険者の皆さんのような力があれば……デーヴァと一緒に冒険者として働けると思ったのです」


 ケリューはしばらくうつむき、顔を上げる。悲しげに笑い、頭の後ろを掻いた。


「でも、やっぱり向いていなかったであります。酒癖が悪すぎて暴徒と化した客をすことはできるのに、魔物やオートマタに襲われたとき……私は後ろでぷるぷると震える他ありませんでした。翼のパーツが見つかったとしても、戦闘でお役に立つことはないでしょう。だからこそ!」


 ケリューは拳を握り、ガッツポーズを決める。


「私はこれまでどおり、流星雨で皆さんのサポートに徹するであります! ということでロウゼン殿、これからもよろしくお願いするであります!」


 ケリューはどこかスッキリとしたような、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔をしていた。握手を交わすために差し出された手は、焚き火に照らされ反射し、濃いオレンジ色に揺らめいていた。

 ロウゼンの脳裏に、初めてケリューに出会った日の光景が浮かぶ。あのときのロウゼンは戸惑ってしまい、ケリューの明るさに押し切られるような形で手を握ってしまった。


「俺の方こそ。これからもよろしく、ケリュー」


 ケリューがこれからも歩むと決意した道を応援するように、ロウゼンも笑みを湛え──今度は差し出された手をしっかりと握った。

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