陰り

 この日は廃墟での襲撃以外に武器を使う機会は訪れず、太陽が沈む前に大きな街に到着した。さすがに王都ほどとはいかないが、活気溢れる街だった。


「今日はこの街で一泊するであります。では、宿を取りに伺いましょう!」


 ケリューとロウゼンは街の入り口からほど近い、高くも安くもない宿に泊まることになった。ロウゼンがチェックインの手続きをしていると、二人組の客が二階から下りてきた。

 一人はいかにも商人といった風体の女で、もう一人は商会のバッジを胸元につけた護衛剣士の男だった。女はロウゼンの姿を見ると、小声で男に話しかける。ケリューの耳にははっきりと、ロウゼンに対する黄色い声と男のげんなりとした返事が届いていた。それと同時に、オートマタに対する嫌悪の言葉も聞き取った。


(うーん、やっぱり嫌われているであります)


 ケリューは呑気のんきに、どう話せば商人と仲良くなれるだろうと考えあぐねる。そうしている間に客の二人は外へ出ていき、ロウゼンから部屋の鍵を渡された。


「俺は今から食事するけど、ケリューはどうする?」


 オートマタは他の種族と違い食事を必要としないため、食事の場に同席することはほとんど無い。人差し指を頬に充て、悩む仕草をした。


「私は……そうですね。せっかく知らない街に来たので、少し雑貨店を見て回ろうと思うであります!」


 ケリューは雑務に使う道具にこだわりを持っていた。良い品を使えば良い仕事ができるという考えのもと、様々な道具を購入しては使い勝手を試し、私室に物を溜め込んでいる。


「わかった。気をつけてね」

「了解であります!」


 ケリューは手を振り、駆け足で外に出た。離れすぎない位置で店を探し、雑貨屋の看板を見つけると、何かいい物はないかと期待して扉を開ける。取り付けられていた小さなベルが、来客の存在を店員に知らせた。


「いらっしゃいませ」


 そう言うと店員は空いた棚に商品を陳列し始める。この雑貨屋の商品は、シンプルだが可愛らしさのある装飾が施された品々が並べられている。ケリューは店内を見て回り、掘り出し物はないかと探す。


「むっ?」


 ケリューの瞳に留まったのは羽根ペンだった。薄い赤の羽根が美しく、持ち手部分は滑らかな木で作られていた。まるで芸術品のようだと思い造形に惹かれていると、あることを思い出す。ドルファが愛用しているペンは年季が入っており、最近書き辛いとつぶやいていたことだった。


(そうだ、これをプレゼントするであります!)


 善は急げという言葉が脳裏をよぎり、羽根ペンの値札を確認すると財布を取り出した。


「これをくださいであります!」


 金額は想像よりも高くなく、品物をカウンターに置いた。金を手渡し、店員が慣れた手つきでプレゼント用の包装をした。それを大事に抱えながら礼を言って雑貨屋を出る。

 いい買い物ができたと喜んでいると、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。互いに尻もちをつくが、幸いなことにプレゼントは潰れなかった。安心した瞬間、舌打ちの音がしてケリューは顔を上げる。


「前くらい見なさいよ」


 先ほど宿屋ですれ違った、商人の女が眉間にシワを寄せたまま低い声音で言った。隣にいた剣士が、


「いや、お前だって前を見てな──」


 何かを言おうとしたが、商人に睨まれて口を閉ざす。


「申し訳ないであります!」


 不注意だった自覚はあり、即座に立ち上がってケリューはぺこりと頭を下げた。


「ったく。よりによってオートマタが破壊王と一緒にいるなんて信じられない」


 商人は吐き捨てるように言い、


「そもそも──」


 何かを言いかけるが、


「おい、もういいだろ」


 面倒だと言いたげな表情を隠さず、剣士が商人の腕を引いてケリューから離れた。


「だってそうじゃない、あの人はオートマタに家族を殺されてるのよ。同族が何食わぬ顔で隣にいて何も思わないわけないじゃない。本当にムカつくわ」

「あのさぁ、それはお前が気にすることじゃないだろ……」


 去り際に言い放った話に、ケリューは目を見開いた。


「……え?」


 ケリューは棒立ちになったまま、口喧嘩をし始めた商人と剣士が消えていった道を見つめることしかできなかった。殴られたような衝撃と同時に全ての思考が鈍る。

 ケリューはロウゼンの父親がドルファであること、母親は行方不明で二人が行方を追っていることは知っていた。となれば、殺されたという家族は誰を指しているのか──答えは一つしかなかった。

 その者は既に他界しており、その死因をケリューは聞いていない。殺された家族というのは、ロウゼンの妹の他なかった。

 頭の中で、何度も商人の話が反芻はんすうした。宿屋にたどり着いても、商人の声がこびりついて離れなかった。



* * *



 夕食を終えたロウゼンは、宿屋の隣にある公衆浴場で汗を流し終え、部屋へ戻ろうとしていた。階段を上ると、部屋の前に誰かが立っていた。壁に掛けられた、ほのかな光を放つ魔鉱石のランタンに照らされているのはケリューだった。足下に視線を落とし、どこかそわそわとしている彼女を見るのは初めてで、ロウゼンは首を傾げた。


「いい物は見つかったかい?」


 明るく声をかけるが、ケリューは彼の存在に全く気づいていなかったようで、「わっ!」と驚いて目を丸くした。驚いたのはロウゼンも同じで、彼女に何かあったことは明白だった。


「どうしたんだい?」

「えっと、ロウゼン殿……その……」


 一度向けられた顔はまたうつむき、人差し指の腹と腹を合わせ、何かを言おうとしているがそれをできないでいる。どこか気遣きづかわしげな表情だったが、勢い良く顔が上げられる。


「し、就寝前のご挨拶に伺ったであります!」


 後頭部を掻き、引きった笑顔を浮かべてケリューは言った。


「ということで、おやすみなさいでありますロウゼン殿! それでは!」

「ちょっと待って──」


 ケリューはロウゼンが言い終わらないうちに手を振り、逃げるように──否、転がるように隣の部屋へと入った。鍵がかけられる音がして、その後は物音一つしなくなった。


(何かあったみたいだけど……)


 明らかに様子はおかしかったが、脱兎のごとく去っていったので引き留めることができなかった。



* * *



 翌日。ロウゼンはケリューが泊まっている部屋で、はたから見ればいつもと変わらぬ様子に見えるケリューの髪を三つ編みにしてあげた。鼻歌を奏でるケリューだったが、その歌は少し音程を外している。


「ケリュー。やっぱり昨日の夜に何かあったんじゃないか?」

「え、えっと……別に大したことではないのであります! お気になさらず!」


 ロウゼンが話した瞬間、鋼鉄の体が強張ったように見えた。 


「本当に?」

「ほ、本当であります! 大丈夫であります! いたっていつもの私でありますよ! だからどうか、気にしないでほしいであります!」


 頑なにそう返されてはこれ以上の言及はできず、


「そうか、それならいいんだ」


 無難なことしか言えなかった。話したくないことを無理に聞き出すのは気が引け、ロウゼンには相談し辛い内容である可能性も考慮してのことだった。

 もし流星雨に帰った後も同じような様子であれば、そのときは彼女と仲の良いサティアに悩み事を聞いてもらうよう頼むことにした。

 準備を終えると出発し、街から離れるとケリューはロウゼンの少し後ろの方を歩く。


「えっーと、あと一時間ほどで到着するはずであります!」


 地図とにらめっこをしていたケリューが、バツ印を付けた場所と現在地を測ってそう言った。


「森を通った先にある、断崖の洞窟の中に研究所があるんだよね?」

「そのとおりであります。詳しい場所は調べてありますので、森が見つかればすぐにでもご案内できるであります!」


 二人は草原を横断するように作られた街道を歩き、ケリューの言葉どおり一時間ほどで森を見つけた。縦半分に切り取られたような断崖絶壁の山。それを囲むように森が広がっていた。森の入り口には簡素なログハウスが建てられている。しかしかなり老朽化していて、木こりの道具は打ち捨てられており誰も住んでいなかった。一歩でも踏み入れれば崩壊しそうな危うい状態で、雨避けにもならない。


「もうすぐ研究所へ到着しますね。翼が私を今か今かと待っているでありますよー!」


 目的地が目の前にあり、いても立ってもいられなかったのか。ケリューは無駄のない美しい動きで森の中へと全速力で入っていった。


「ま、待ってくれケリュー!」


 置き去りにされるわけにはいかず、慌ててロウゼンが追いかける。見失わないようにケリューを追い、断崖の目の前でようやく一息つくことができた。


「おやおや、どうしたのでありますか? 私は怖くないでありますよー」


 断崖を抉り取るように作られた洞窟。その入り口付近に数頭の馬がいた。鞍は無いが手綱はつけられたままの馬たちに、ケリューは笑顔で話しかけ、両腕を広げていた。しかし馬は皆、怯えた様子でケリューをじっと見つめるだけで、その場から動こうとしなかった。友好的であることを示すため、ケリューは頭を撫でようと手を伸ばすが、後退あとずさりされてしまい、悲しげに肩を落とした。


「やっと追いついた……こんな森の中でいきなりはぐれたりしたら、洒落にならないよ?」


 なんとか息を整え、馬に夢中になっているケリューに声をかける。「あっ」と焦燥の混じった声が上がり、ケリューは振り返ると何度も頭を下げて謝罪をした。


「もっ、申し訳ないであります!」

「わかってくれたならいいんだ。それよりもこの馬たちは?」

「わからないであります。どうしてこんなところに……研究所に誰かが来ているということでありますか?」

「もしそうなら、なんの用事があって来たんだろう」


 ロウゼンは先客の存在を気にしながら馬を観察する。馬たちはやはり怖がっており、警戒を解くことはなかった。


「ロウゼン殿?」


 ケリューは真っ黒な馬の瞳をじっと見ているロウゼンに声をかけた。


「少し待ってて」


 ロウゼンはそう言うと左のまぶたに手を触れ、魔力を込める。すると左眼を覆うように魔力の紫炎が宿った。突然のことにケリューがあたふたする。驚く馬の瞳を見つめると、ロウゼンの脳裏にとある光景が描き出される。

 雲一つ無い青空の下、どこかの街道をその馬は歩いていた。隣には同じような美しい毛並みを持つ屈強な馬。すぐ後ろにも二頭の馬がいて、王都にある駅馬車の紋章が掘られた鞍が取り付けられていた。四頭の馬は幾人もの商人や旅人を乗せた馬車を動かしている。後方にも同じように人を乗せた馬車がある。

 しばらく馬たちが歩いていると、突然に手綱を引っ張られて立ち止まる。男女の悲鳴が上がり、振り向けばフードをかぶった男たちが乗客からいくつもの荷物を強奪していた。後ろに続いていた馬車も同じような目に遭っており、引きずり降ろされた御者ぎょしゃの背中には短剣が突き刺さっていた。

 盗賊たちは奪った荷物を持つと馬車を繋ぐストラップを斬り落とし、馬に乗った。慣れた手つきで走らせ、草原を駆ける。

 馬車の方から誰かの怒号が飛び、盗賊の一人が放たれた魔法の刃で背中を裂かれて落馬する。地面に叩きつけられた荷物から宝石や香辛料、硬貨等いろんな物が散らばった。手綱を握り直し、盗賊たちは負傷した仲間を見捨て、馬をさらに走らせこの場を去った。そして視界は暗転し、何も見えなくなった。

 ロウゼンが左眼の紫炎を消すと、脳裏に映る光景──馬の記憶も覗き見られなくなった。


「この馬は数日前、襲撃に遭った駅馬車の馬だ。盗賊が荷物を強奪した際にさらったようだね」

「えっ、どうしてわかるのでありますか?」


 ロウゼンは自身の左眼を指差す。ケリューから視線をそらすと、先ほどと同じように魔力の紫炎を宿らせた。


「……こうすると、動物の記憶や思考していることがわかるんだ」


 少し言葉を濁して説明し、紫炎を消してからケリューと目を合わせる。ぽかんとした表情をしたが、


「す、すごいであります! 私も使いたいであります!」


 憧れの人物を前にしたかのような、キラキラと眩しいほどの目の輝きで訊いてきた。


「これは生まれ持った能力で、誰かに教わったわけじゃないんだ。鍛えて得られる力じゃないよ」

「むむ、そうでしたか。私もできるようになりたかったのですが、仕方ありません」


 ケリューは残念そうに少しばかり目を伏せるが、首を左右に振って気を取り直し、馬に近寄るとゆっくり手を伸ばす。


「おいででありますー。私はあなたたちを攫った盗賊ではありません、安心してほしいでありますー」


 しばらく膠着状態が続く。ロウゼンは万が一に備えて、ケリューを護れるよう彼女の傍から離れなかった。たとえ頑丈な鋼鉄の体であっても、馬の蹴りが当たれば無事では済まない。

 馬をなだめられないのかとロウゼンが諦めかけたとき、馬が恐る恐るケリューの手を嗅ぐ。すると横並びになるように移動し、じっとしてケリューを見つめた。敵意は感じられず、ケリューはそっと優しく頭を撫でた。馬は何もせず、触れられることを拒まなかった。


「おおー……いい子いい子、であります。いきなり知らない人にさらわれて怖かったと思いますが、もう大丈夫でありますよ〜」


 優しく声をかけると、馬は完全に警戒を解いてケリューに懐く。他の馬も続き、二人に顔を近づけて友好的な態度を示した。

 ロウゼンは優しく馬を撫で、尻尾を高く揺らしていることに気づき口元がほころんだ。


「きっと用済みになって、どこかで盗賊たちに乗り捨てられたのですね。まったく、酷いことをするであります。ロウゼン殿、この子たちはどうするでありますか?」


 スキンシップを終え、ケリューはロウゼンに相談した。


「近くの町か、駅馬車の停留所に連れていくべきだね。地図だとたしか……昨日、俺たちが一泊したあの町が一番近いはずだ」


 ロウゼンは馬の頭を撫で、話しかける。


「俺たちは用事があるからしばらく離れるけど、必ず君たちを町へ送り届けるから、ここで待っていてくれるね?」


 言葉を理解していなくとも、馬たちは二人が見捨てるような真似はしないとわかっているらしく、おとなしく従った。彼らは呑気に足下の草を食べ、寝そべり始めた。


「まずは俺たちの目的を果たすとしようか」

「了解であります! では、いざ研究所へ!」


 ケリューは山の頂を目指す登山家のように、ビシッと洞窟の出入り口を指差す。ロウゼンも続こうとするが、出入り口についた足跡を見つけて立ち止まる。


「すまない、少し待ってくれ」


 ケリューを止まらせると、屈んで地面を見る。柔らかな地面には複数の足跡があった。もちろん一つはケリューのものだが、目を凝らすと他にも数人分の足跡があることがわかる。戻ってきたケリューも隣でしゃがみ、それに気づいた。


「おや、比較的新しい足跡でありますね。こんな廃墟に訪れるなんて……ひょっとして、トレジャーハンターがお宝目当てに来たのでしょうか?」

「トレジャーハンターが廃墟を捜索するのはよくある話だけど、これは盗賊のものだ」


 ロウゼンは重なった足跡の中に埋まった、砕かれた宝石の欠片を拾い上げて答える。


「うーん? つまり盗賊は馬車を襲撃したあと、追っ手から逃れるためにしばらく研究所で身を隠した。ということでありますか?」


 上を向きながら、盗賊たちの行動を予想するケリュー。


「そうだと思ったけど、それならおかしな点がある。盗賊たちはこの洞窟から出ていないんだ」


 ロウゼンは地面を指差す。複数の足跡はどれも洞窟へ入ったもので、出ていったものは一つも無かった。


「つまり、まだ盗賊は研究所にいるということでありますか……?」


 ケリューは不安そうに声を震わせた。無人の研究所で物探しをするだけのはずが、突然に盗賊という危険な存在が判明したからだろう。


「それはわからない。他にも出入り口があって、そこから出ていっただけかもしれない。もしそうなら、馬が乗り捨てられたままなことの説明はつくけど……」


 ロウゼンはうつむき加減になって考え、一つの決断を下す。


「どちらにせよ、警戒するに越したことはない。俺が様子を見てくるから、ケリューは隠れていてくれ」


 洞窟の入り口は広く、長柄武器を扱うには充分だった。魔術で出現させた得物を構え、一歩進む。が、突然に体が後方に引っ張られた。ケリューがロウゼンの服の裾を掴んだからだった。


「あの、私も行くであります」

「盗賊がいるかもしれないんだ、君を連れていくわけには──」


 ロウゼンは、服の裾を掴むケリューの手が震えていることに気づき、


「……わかった。俺が先行するから、ケリューは後ろからついて来て」


 理由は訊かずに承諾した。


「感謝するであります」


 安堵したケリューがロウゼンの後ろに隠れるように移動する。盗賊が潜む可能性のある、廃墟と化した研究所。二人はその入り口である洞窟へと入っていった。

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