初めての冒険
二人は道を歩き、城下町を囲う門を
停留所は軽食を摂るスペースと休憩室が設けられており、幾人かの旅人や商人の姿がある。カウンターで事務作業をしていた駅員は二人に気づくと、困ったような顔をして頭を少し下げた。
駅員曰く、各地で駅馬車が盗賊や魔物に襲われてしまい、一部地域へ向かうことができなくなっているという。代理の馬車が到着するのは早くても二日ほどかかると言われ、ケリューは
二人は疲労している駅員に労いの言葉をかけてから停留所を出る。
「うーん、そういった事情ならば仕方ありません。ロウゼン殿には申し訳ありませんが、徒歩で向かうとしましょう!」
「わかった。だけど少し待っていてくれ」
ロウゼンは念の為、近くの店で
二人は街を通り抜け、一面に広がる小麦畑の道を進んで草原に足を踏み入れた。
「こうして王都の外へ出るのは久々であります。なんだかワクワクしますね!」
「そうだね。だけどピクニックに行くわけじゃないんだ、油断はしないようにね」
王都を離れると、国が管理する警備用ゴーレムや周囲の警戒にあたる兵士もいない。人の住む場所から離れたこの地では、様々な状況に己の力で対処しなければならない。ケリューは「もちろんであります!」と、親指を立てながら言った。
しばらく変わり映えしない景色を進み、ケリューが立ち止まる。手のひらを水平にして
「狼でしょうか? それとも魔物でありますか?」
「どうだろう。魔物でないとしても、野生の動物だって脅威になり得るから警戒した方がいい。盗賊団の件もあるし、あまり俺から離れないようにね」
ロウゼンは右手に魔力を込め、簡単な魔術で自身の背丈ほどある
次の日の早朝、ロウゼンは宿屋の食堂でケリューを待ちながら軽食を済ませていた。会計を終え、玄関口のソファーに腰を下ろして待っていると、
「おはようございますロウゼン殿! 早速出発するであります!」
元気な声が響き、ケリューは姿を現した。しかし今の彼女はいつもの三つ編みではあるが、髪の毛が跳ねたり大きく
「あはは……お恥ずかしい話、三つ編みはいつも結んでもらっているのです。何度も練習はしているのですが、なかなか上手くできないであります」
そう言いながらケリューはボサボサの後頭部を掻いた。ロウゼンは三つ編みを見つめ、顎をさする。整っていない髪型では外出したくないだろうと思い、助け舟を出した。
「俺が結び直そうか?」
ロウゼンの提案に驚き、ケリューは目を丸くした。
「えっ、いいのですか!? 是非ともお願いしたいであります!」
即座に申し出を受け、緑のリボンが付いたヘアゴムを渡して隣に座った。ロウゼンはガントレットを外し、ケリューの髪に触れる。彼女の髪が人とは異なる質感であることを初めて知り、少し戸惑いながらも髪を結い始めた。髪を構成する物質が人とは違うが、人と同じような滑らかな髪であることは変わらず、滞りなく結べていた。安堵し、束にした髪と髪を編み込んでいく。
ご機嫌な様子のケリューは、どこかで吟遊詩人から聞いたであろう歌を小さく口ずさんでいる。
(こうして接していると、人と何も変わりないとわかるのに)
闇市での、ケリューを見る者たちの表情をロウゼンは忘れられなかった。しかし彼らの心情を理解できないわけではない。再現不可能とされていたはずの
(あの人たちが悪いわけじゃない。俺だって……)
過去の自分を思い出し、感傷に浸る前に首を横に振って思考を切り替えた。
「どうかな?」
綺麗に結び終えると、ロウゼンは髪から手を離す。ケリューは恐る恐る、丁寧に結われた三つ編みに触れると、ぱあっと表情が明るくなった。
「おおー! いつもの私の髪型であります! ご厚意に感謝するであります、ロウゼン殿!」
笑顔で立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
「どういたしまして」
「それにしても、どうして三つ編みができるのですか?」
「えっと、それは──」
返事を待たず、ケリューはぱちんと指を鳴らした。
「わかりました、サティア殿のためでありますね!」
「えっ!?」
想いを寄せている者の名前を突然に言われ、ロウゼンは声が裏返ってしまった。
「サティア殿は以前、髪型を変えてみたいと
「い、いや全然違う……」
「またまた〜、恥ずかしがる必要はないでありますよ〜」
ケリューは井戸端会議をする夫人のように口元に手を当て、もう片方の手をひらひらと振った。
「そういえば人間の愛情表現の一つに、相手の髪に触れるというものがあるそうです。つまりお二人は……いわゆるラブラブというやつでありますね! ヒューヒュー! であります!」
「ち、違う! サティアとはまだそんな関係じゃ──というかヒューヒューって何!?」
「あれ、違うのですか? しかしまだということは、裏を返せばそう遠くないうちにそういった関係になるということ! 応援してるであります!」
「ああもう、
迷惑にならない程度の声量で叫び、ロウゼンは呼吸を整えて落ち着かせてから説明した。
「俺には妹がいたんだ。十年前に亡くなったんだけど……なにかと母さんの真似をするのが好きでさ。ある日、母さんみたいに長い三つ編みをするんだって言ってね」
視線を窓外の街並みへと移し、ロウゼンは語る。
「でも手先が器用じゃないから、全然結べなくて。だから代わりに俺が練習して結んであげてたんだ。三つ編みができるのはそういう理由だよ」
外の景色を眺めるロウゼンは追想にふけっていて、その茶色の瞳は穏やかさを
ケリューはロウゼンに妹がいることを初めて知ったので、どんな人なのか詳しく訊きたかったが、故人の話をさせるのは気が引けた。その結果、黙ったままになってしまい、返事に困ったと勘違いしたロウゼンが慌てて口を開く。
「すまない、しんみりさせるつもりはなかったんだ。ただの思い出話だよ」
申し訳なさそうにロウゼンは笑う。
「い、いえ! ロウゼン殿に妹がいたことを初めて知ったので、驚いただけであります!」
勘違いを訂正し、ケリューは綺麗な三つ編みをそっと撫でると、駆け足で玄関扉の前に立つ。
「お待たせしましたであります。それでは出発しましょう!」
「ああ、行こう」
ロウゼンが頷き、二人は宿屋を後にした。
町を出てから二時間ほど経過した頃。今、二人が通っているのは廃墟脇の道だった。四方八方のどこを見ても、
「元はどんな場所だったのでしょう? なかなか大きな街だったようでありますが」
ケリューはかなり昔に滅んでしまったらしい街に思いを巡らせる。
「気になるけど、こういう場所にこそ魔物は現れやすいから気をつけて」
ロウゼンはすっかり油断しているケリューをたしなめ、いつでも得物が振れるように魔斧の柄を握り締めたまま周りを見渡す。しばらく歩いていると、ロウゼンは壊れた家屋の間に、生き物の姿を一瞬だけ捉えた。それはすぐに身を隠し、どこへ消えたのかわからなくなった。
「ちょっと待って」
何度言ってもなかなか先頭を譲らなかったケリューは、鋭さのある声で呼び止められたので首を傾げながら振り向いた。
「どうかしたでありますか?」
駆け足でロウゼンの
「魔物の姿が見えた。俺の後ろへ」
ケリューの手を引き、背後に立たせた瞬間。崩れた家屋の屋根から瓦礫の山へと、一匹の獣型の魔物が降り立った。鮮やかな赤色の毛並みで筋骨隆々とした体躯の魔物は、捕食者独特の鋭い視線をロウゼンに向けている。おぞましさを湛えた眼光に、思わずケリューは蛇に睨まれた蛙のようにすくみあがってしまった。
ケリューは流星雨の給仕であり警備員でもあるが、相手をするのは意思疎通のできる人であり、言葉の通じない魔物の相手はもちろん、直接見るのも初めてだった。
「大丈夫、必ず護るから」
ケリューの姿が見えなくとも、恐怖していることを察して言葉をかけるロウゼン。その瞬間、魔物が瓦礫を蹴り上げ、一気に距離を詰める。ケリューは思わず目をつむり屈んだ。
ロウゼンは冷静に魔物の動きを見極め、単純なその動きに対し、駆け出すと魔斧を上段に構えて振り下ろす。渾身の一撃は魔物の胴体を上から真っ二つに叩き斬り、魔斧が真っ赤な地面に深々と突き刺さる。すぐに引き抜き、軽く振って血払いをすると、ロウゼンはケリューに振り返った。
「終わったよ」
ケリューはゆっくりと目を開け、より鮮やかな赤色の海に沈む魔物を捉える。
「あ、ありがとうございますロウゼン殿。助かったであります!」
安堵してホッと溜め息をついた。
「どういたしまして。立てるかい?」
「えっと……た、たぶん大丈夫かと!」
曖昧な返事に、ロウゼンは魔斧を持たない左の手を差し伸べた。ケリューはその手を取り、立ち上がる。
「かたじけないであります」
「他に魔物がいないとは限らない。早くここを抜けよう」
「了解であります!」
二人が廃墟の脇を通り抜けると、次に見えたのは川だった。川のせせらぎと森のどこかにいる鳥の鳴き声が心地良く耳に入る。
ロウゼンは荷物から水袋を取り出し川の水を汲むと、浄化の魔法が付与された小さな鉱石を一つ入れる。すると水袋が淡い光に包まれた。魔術師でない者が飲み水を確保するには、こうして魔法がかけられたアイテムを使って浄化する必要があった。
水の補給を終えると、二人は再び歩き出す。
「冒険者はすごいであります」
川辺を通っている最中、ふとケリューはそうつぶやいた。
「すごい?」
「ええ。先ほどの戦闘のことなのですが、私は初めて見る魔物に怯えて何もできなかったであります。しかしロウゼン殿は動じることなくひと振りで
輝く太陽のような煌めきを放つ真っ直ぐな瞳で見つめられてしまい、ロウゼンは気恥ずかしくなり頬を掻いた。
「魔物退治を
「そうだとしてもカッコイイことには変わりないであります! 私も──」
言いかけて、ケリューの明るい表情にわずかな影が落とされる。
「ケリュー?」
「な、なんでもないであります! それよりも早く行きましょう!」
ケリューは取り繕い、前へと一歩足を出した。が、その地面は何故か
「危ない!」
「ぷはっ!」
ロウゼンは川から顔を出し、口に入った水を吐き出して肺に空気を送り込む。
「だ、大丈夫ですかロウゼン殿ーっ!!」
慌てて駆け寄ろうとして、再びケリューは
「ふぎゃーっ!?」
ロウゼンのすぐ傍で派手な水飛沫が上がった。
(た、大変な数日間になりそうだ……)
慣れない旅のサポートが務まるのか──そんな一抹の不安を抱えながら、ロウゼンは「溺れるでありますー!?」と水中で叫ぶ、呼吸が不要であるはずのケリューの手を取り川から上がった。
二人は近くの茂みで着替えると、目的地へと向かっていく。
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