君と酒を酌み交わす 2

「おいおいどうしたロウゼン、このオレが簡単にくたばるように見えるかよ? そんなに心配なら一人でドラゴンの一匹や二匹、退治してやってもいいんだぜ?」


 スプーンを置いたマクベスは冗談めかしてそんなことを言う。


「! な、なんでもない! 変なことを言ってすまなかった!」


 ロウゼンは空になった食器を片付けようとしたが、マクベスにトレイを取り上げられてしまった。


「ちょっとストーーーップ! 帰ったときから思ってたけどよ、アンタ何かあっただろ? 話してみろって」


 椅子をバンバンと叩き、座るよう促した。


「…………」


 ロウゼンは観念して再び椅子に腰かける。マクベスは体を少し倒しながら、隣のテーブルに手を伸ばして水差しを掴み取り、グラスに注いだ。


「……亡くなったんだ」

「誰が?」


 命を落とした青年の名と死因を告げると、


「ああ、アイツか」


 マクベスは目を伏せ、何度か仕事をしたことがある青年の姿を思い浮かべた。


「そいつと揉め事でもしてたのか?」

「いや、何かあったわけじゃない。ただ、俺は……あの人のことをほとんど知らないんだ」


 ロウゼンはテーブルに置いた手を握り締めた。


「教えてくれた名前が本名なのか、ここへ来る前は何をしていたのか……俺は何も知らない。もう知るすべが無い」


 マクベスはじっとロウゼンを見つめ、耳を傾ける。


「過去を詮索されたくないのはわかっている。それでも俺は、本当のあの人を知りたかったんだ。……知ったうえで、見送りたかったんだ」


 ロウゼンは胸中にあった違和感を吐露した。


「冒険者なんて大半が訳ありだぜ? 信頼を寄せてる奴が相手でも、素性を明かすことなんてそうねぇよ」

「そのとおりだ。だからこれは、俺の我儘な願いだ」


 ロウゼンは強く握り締めた手を解き、視線を落とす。マクベスは考え事をしながらグラスを持ち上げ、くるくると氷と水を回した。カラン、カランと涼しい音が鳴る。

 足を組み、水を飲んだところで、マクベスは名を呼ばれた。


「なぁマクベス」

「ん?」

「俺の願いを聞いてくれるかい?」

「…………」


 ロウゼンの要望にマクベスはすぐには返事をしなかった。結露したグラスを回して、氷がぶつかる音を鳴らすと一口飲む。

 先ほどマクベスが述べたとおり、冒険者というのは大半が訳ありで、素性を明かすことはほとんどない。それはマクベスも例外ではなかった。むしろ、かつて名を馳せた冒険者であるドルファ・エルドラドの息子という、揺るがない素性があるロウゼンの方が異例であった。

 戦闘となれば背中を預け、言葉にせずとも連携の取れる戦友。その人の過去も、教えられた名が本名か否かもわからない──今になって知りたいと願うのは、これまで無関心を装っていただけに過ぎなかった。

 詮索するべきではないとわかっていても、踏ん切りがつかないのは無理もなく、そんな親友に対してマクベスは追及する気などさらさら無かった。


「すまない、今のは忘れてくれ」


 目をつむり、頬を掻きながらロウゼンは言った。マクベスは一気に水を喉に流し込み、小さくなった氷が残るグラスを指の腹で軽く叩き、少しばかり思案する。足を組み直すと、


「ロウゼン」


 いつになく真面目な表情になって目の前の青年の名を呼んだ。真剣な顔をしたマクベスを見るのは久しく、ロウゼンは思わず息を呑んだ。


「オレってさ、実は……とある国の王子なんだよ」


 マクベスはその表情を湛えたまま、突然そんな突拍子もないことを言い出した。


「えっ」


 ロウゼンの裏返った声が、二人の他に誰もいないロビーに響く。いつもの砕けた調子に戻ったマクベスは、両肘をつくとつらつらと話を続けた。


「優しい両親に、優秀な姉ちゃんと二人の兄ちゃんがいるんだぜ。仲睦なかむつまじく暮らしてたんだけどさ、涙なしには語れねぇような出来事があってな。仕方なく故郷から遠く離れたこのレクスタリアの地で、一般人のフリして冒険者をやってるってわけ!」

「あ、あのー……マクベス?」


 放心状態に近いロウゼンを差し置いて、マクベスは軽い口調のまま話を止めない。


「それだけじゃねぇぞ。実はオレの体に流れる血には特別な力があって、これを欲しがるヤベー奴らに命を狙われ続け――」

「ちょっと待ってくれ! 君はなんの話をしているんだ!?」


 椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、思わず叫ぶ。


「オレのことを知りたいんだろ? だから教えてんじゃねぇか」


 法螺ほら話としか思えないことを平然とした態度で言ってのけるマクベス。そんな彼とは対象的に、ロウゼンは困惑の眼差しを向けた。


「そ、その話は本当なのか……?」


 とても信じられないが、事実かもしれないという疑念が拭いきれず、ロウゼンは笑い飛ばすこともできずに震える声で問う。

 マクベスは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、いつも以上に癪に障る笑顔をみせた。


「ギャハハッ!! んなわけねーだろ!」

「なっ──! 俺は真面目な話をしているんだぞ!?」

「いやー、まさかマジに受け取られるとは思わなかったぜ! 腹いってぇ! そんなんじゃあアンタ、いつか騙されて痛い目に遭うぜ?」


 顔を真っ赤にして怒鳴るロウゼンを、マクベスは腹を抱えて笑い飛ばした。


「既に君のイカサマで痛い目は見たよ! ああもう、相談する相手を間違えた……」


 疲労感に包まれ、ロウゼンは背もたれに体を預けて天井を仰いだ。このことは父親や年長の冒険者に相談すべきだったと後悔した。

 ひとしきり笑ったところで、マクベスは頬杖をついて、空いた片手をひらひらと振った。


「わりぃわりぃ。でも、こうやってオレがふざけないと冷静にならねぇだろ?」

「それはそうだけど、他にも方法はあっただろう……」

「これが一番手っ取り早いぜ」

「俺はそうは思わない」


 腑に落ちないロウゼンは不貞腐ふてくされて、目線を窓外の景色へと向けながら言った。そこには小雨に打たれている、いつもと変わらない大通りの景色があった。


「話を戻すけどさ、まぁアンタの気持ちはわからなくもねぇ。何度も顔を合わせて話したこともある同業者の、本当の名前も姿も知らないままじゃ、偲ぶに偲べねぇのはさ」


 マクベスは頭の後ろで両腕を組み、同じように窓越しから王都の街並みを眺める。


「あくまでオレの考えだけどな。もしオレが死んじまっても……ロウゼン・エルドラドにとってのマクベスは、浪費家で女たらしで、ムカつく笑い方をする同い年のエルフのままがいい」


 穏やかな語気で話すマクベスに驚き、ロウゼンは視線を戻す。そこには片八重歯を覗かせ、柔和にゅうわな笑顔をみせる親友の姿があった。


「もしもオレがどこかの国の王子で、人には言えない事情を抱えながら冒険者をしているエルフだと知ったところで、アンタの前にいたのは王子のマクベスじゃねぇだろ? 天下無双の異名を持つ、冒険者のマクベスだ。本来の姿の、王子としてのオレを偲べるかよ?」


 ロウゼンは静かに首を横に振る。


「だろ? だから気に病む必要なんてねぇよ」


 マクベスが立ち上がりトレイを片付けている間、ロウゼンは死した青年の姿を思い浮かべる。

 本名かどうかもわからない、おそらく何かを背負って生きていた同業者の青年。気弱そうな見た目とは裏腹にかなりの酒豪で、何度も飲み比べでマクベスを負かし、最後は笑顔でグラスを交わしていた。そのときの彼は偽りの姿だったのかと問えば、そうではないと断言できる。

 それは目の前の親友も例外ではないだろう。


「吹っ切れたか?」


 戻ってきたマクベスに、ロウゼンは頷いてみせる。


「ああ、おかげ様で。確かに俺にとってのマクベスは、浪費家で女たらしで、人の神経を逆撫でするような笑い方をして」

「うんうん」

「一人で出来るからって無茶して心配かけさせて、借りた金は設けた返却期限をほとんど守らないし」

「う、うーん?」


 話の雲行きが怪しくなり、マクベスはわずかに首を傾げる。


「見張り番だとすぐに起きるくせに、ただの就寝なら誰かが起こさないと滅多に自力で起きない、世話の焼ける冒険者のエルフだ」

「あのーロウゼンさん、さすがにもう少し良い印象を持って見送ってほしいのですが?」

「君の日頃の行いが悪いからこう思うしかないなぁ」

「ちぇっ!」


 自業自得だというのに、マクベスは機嫌を損ねた子供のようにそっぽを向いた。が、それは屈託のない笑顔のロウゼンに、安堵でほころんだ顔をみせないためでもあった。

 いつものおどけた態度に戻し、マクベスは両手を広げた。


「さっきは揶揄からかって悪かったな。お詫びにアンタの質問に一つだけなんでも答えるぜ。いやーオレって人が良いな! そりゃあモテるわけだ」


 腕組みをし、自画自賛しながらうんうんと頷くマクベス。


「いいのか?」

「ああ、男に二言はねぇよ」


 なんでも来いと、軽く胸を叩いた。ロウゼンは目線を上に向けるとしばらく考え、


「……君の好きな酒が知りたい」


 そう言った。


「おい待て、そんなのでいいのかよ!?」


 さっきの話は本当なのかと訊かれるとばかり思っていたマクベスは、予想外の質問に目を見張って声を荒らげた。


「ああ。どんな話をするにせよ、俺たち冒険者に酒は必要だろう? それに君は安い酒しか飲まないから、本当はどんな酒が好きなのか気になってね」

「アンタがそれでいいなら教えるけど、別の質問にしておくんだった! って後悔すんなよ?」


 マクベスは隅に追いやっていたメニュー表を手に取り、


「あったあった、これだぜ」


 酒の一つを指差した。



* * *



 マクベスが好きだと教えてくれた、少々値が張る銘酒。奢ってやったその酒の空瓶にロウゼンは目を向ける。茶色のガラスの奥で、ジョッキを片手に爆睡するマクベスは、二年前と変わらない姿だった。

 あまり強くないくせに酒は浴びるように飲む。どんな凶悪な魔物も一人で斃す。楽しそうに隣を歩く女は毎回異なる。緊急事態以外ではなかなか起きない──いつもの姿だった。


「マクベス、そろそろ帰るよ」


 雲の動きから雨はしばらく降らないと読んで、ロウゼンはマクベスの肩を揺らした。


「う〜ん……あと五十分……」


 お約束のセリフを寝言でつぶやきながら、ジョッキを握る手に力が込められた。ロウゼンは頬を軽くはたいて目を覚まさせる。起こされたマクベスは大きなあくびをして、寝ぼけ眼をさすった。

 泥酔しているマクベスを連れて、流星雨へ帰るのもロウゼンの日常の一つだった。だが、そんな日にも必ず終わりは訪れる。ずっと降り続けていた雨がいつかは止むように。そのときはいつなのか、告げてくれる者など存在しない。

 いつかその日が来るまでは、いつものように、こうして君と酒をみ交わそう──そう思いながら、ロウゼンは起き上がろうとしない親友に肩を貸してやった。

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