君と酒を酌み交わす
君と酒を酌み交わす 1
仕事終わりに酒場で親友と酒を飲む。他愛のない会話を楽しみ、少しばかりの愚痴を聞いてやる。真面目に情報の交換をしたと思えば、親友は面白半分に聞くべき噂話に
これがロウゼンの日常であり、そう思うこそ尊い時間の一つでもあった。
「マジでよぉ〜、依頼料をケチったり追加報酬無しでさらに仕事をさせたり、挙句の果てに暴言吐くような依頼人はさぁ〜、完膚なきまでにボコしていいって法律になんねぇかなぁ〜?」
酔いが回り、顔を赤くしてたどたどしい話し方になった青年。彼が“天下無双”の異名を持つ、腕利きの冒険者であると信じられる者は少ないだろう。
その青年、マクベスは通りがかった店員に追加の酒を注文し、泡が溢れるジョッキを手にすると一気に飲み干した。テーブルに突っ伏し、長く深い溜め息をつく。
ロウゼンはマクベスの右腕を見やった。袖の下で巻かれた包帯の奥には、依頼人が人並みのモラルを持ち合わせていれば、名誉の負傷と胸を張って言えた傷が隠されている。
「ったく、きな臭ぇ商売をやってる奴なんてあてにならねぇぜ」
「ギルドを介した依頼を受けないからこうなるんじゃないか」
「……ごもっともでございますー! ギャハハッ!」
いつもより高い声音で、癪に障る笑い声を上げた。
「まぁいいや。今頃アイツ、
報復はきっちりとしたらしく、マクベスは満足げな笑みを浮かべた。どうやら喋り疲れたようで、大きなあくびをしてテーブルに突っ伏し、次の瞬間には寝息を立てていた。
相変わらず自由奔放な親友に微笑むと、ロウゼンはグラスに残っていた柑橘類の酒を飲み干した。
親友の寝息と他の客たちの世間話、ピアノの演奏を背景音楽に窓の外を見る。薄暗い王都に白い線が無数に降り注がれる様子を、等間隔に設置された街灯が照らしていた。
「…………」
視線を雨から空になったボトルへ移し、目を閉じて思い出に浸る。
それは約二年前。その日も今のように空は灰色の雲に覆われ、雨が降っていた。
* * *
知人が亡くなる際に嫌な予感だとか、その人の所持品にヒビが入るだとか、そういった予兆など実際には有りはしないのだとロウゼンは理解している。
先日、同じテーブルで同じ飯を食べていた冒険者の
喪服をクローゼットから引っ張り出し、急いで支度を終えると遺体が安置されている教会の一室に向かった。
扉を開けると、少し肌寒い冷気に包まれた。壁にかけられた燭台の火が室内を照らしており、部屋の中央に棺桶がある。その
ドルファは葬儀の準備で忙しかったのか、灰がかった深い緑の髪はあまり整えられておらず、顔のしわがいつもより多い気がした。右脚はいつもなら騎士靴のデザインをした下腿義足を付けているが、今は墨のように真っ黒な、喪服に合わせたものになっている。
「来てくれたか」
ドルファはロウゼンに気づくと、棺桶から離れ壁に背中を預けた。棺桶の中は様々な種類の白い花々に囲まれた、青年の遺体が安置されていた。顔には白い布がかけられており、白い手袋をはめた手は胸元で組まれている。子供を救うために身を
昨日まで言葉を交わしていた相手と、もう喋ることは叶わない。その揺るがぬ現実にロウゼンは
こればかりは慣れないなと、憂いに沈んだ声でドルファがつぶやき、ロウゼンも頷いて同意する。
冒険者という職業柄、同業者が突然この世を去ることは決して珍しいことではない。もとより人の死に直面する機会が多いとはいえ、それでもその現実を受け止めるのにかなりの時間を要した。
冒険者ギルド“流星雨”に所属していたその青年は、数人の同業者と包帯を巻いた子供、その両親と神父に見送られながら、遺品と共に埋葬された。しとしとと降り出した雨は、その場に居る者たちと墓石を濡らしていく。
最初に献花を添えたのは子供とその両親だった。雨で聞き取れなかったが、土の下で眠る青年に何か言葉をかけている。隣に立つ冒険者が、あの子供を護って青年は命を落としたのだと教えてくれた。次にドルファとロウゼン、冒険者たちが花を添えた。
神父の追悼の言葉と雨の音だけが共同墓地に響く。葬儀が終わると、墓地から人の姿が少しずつ消えていった。
「いい奴だったのにな……」
ロウゼンの隣に立っていた冒険者が、ぽつりと声を漏らした。死した青年は冒険者仲間の言うとおり、優しい人だった。
その人はいつも眉をハの字にして、怯えるように何かを警戒しているという、少々近づき難い印象だった。しかし、困っている人がいれば必ず声をかける気の利く人物でもあった。他にも、必ず週に一度は教会の神官と共に
ロウゼンは彼に、その教会の信徒なのかと尋ねたことがあった。それは昨日の朝のことだった。
青年は首を横に振ると周囲を窺い、近くに誰もいないことを確認すると、声量を下げて答えた。
「僕はただ、
青年は目を閉じ、息を吐く。仕事に行くからと遮るように話を終わらせ、そそくさと流星雨から出ていった。
この日も青年はやはりどこか怯えた様子であり、玄関扉が閉まる直前に見た背中が、ロウゼンが最後に見た生前の青年の姿だった。
「ロウゼン、雨が強くなる前に帰るぞ」
ドルファに声をかけられ、墓石を見つめていたロウゼンは我に返って振り向いた。既に他の者は帰ったらしく、ドルファ以外の人の姿は無い。ロウゼンは父親と共に帰路につくことにした。
流星雨への帰り道はいつもと変わらなかった。傘をさして街を行き交う人々は、住み慣れたこの街で日々を
「父さん」
「なんだ?」
綺麗に舗装されたレンガ造りの道を、うつむき加減に歩きながらロウゼンが問う。
「あの人が好きな酒って知ってる?」
青年は酒をよく
「すまんが儂は知らんな。酒ならなんでも飲む男だったからのう」
ドルファの返事を聞いたとき、ロウゼンは妙な感覚に襲われた。少し息が詰まるような、あるいは心臓を掴まれたような心苦しさに思わず立ち止まる。
「どうした?」
「……いや、なんでもないよ」
心配させまいと微笑んでみせ、再びロウゼンは歩き出す。これまでに何度か同業者の死を見てきたが、時折胸をざわつかせるこの感覚の正体を掴めないでいた。人の死に傷心しているからだと思っていたが、何か違うような気がしていた。
次第に雨が強くなり、流星雨の看板が見えてきたので二人は小走りで玄関に駆け込んだ。ロウゼンは冒険者たちが寝泊まりしている、三階建ての宿舎に続く渡り廊下を通ると階段を上がっていく。三階の手前から三番目の部屋がロウゼンの使っている部屋で、鍵を開けて中に入った。
部屋は整理整頓されて掃除も行き届いていた。本棚は様々な学術書が並び、埃一つかぶっていない。
喪服を洗濯かごに入れると濡れた緑の髪をタオルで拭き、着替えて椅子に腰かけた。頬杖をつき、まぶたを閉じる。
窓を叩く雨の音に包まれながら、ロウゼンはしばらく物思いにふけっていた。胸をざわつかせる感覚は、今もまだ残っている。
* * *
二日後。ロウゼンは流星雨のキッチンで皿を洗っていた。
ドルファは急用で出かけており、給仕も用事があって流星雨から離れなければならなかった。なので、朝から二人の代わりにロウゼンが配膳をしていた。
小雨が降っているにも関わらず、朝食を食べに来る客の数はいつもと変わらなかった。腹を満たした冒険者や客がいなくなると、大量の食器を全て洗う。水気を拭き取り、食器棚に戻していく。
キッチンの出入り口はロビーの、いつもドルファが事務作業をしているカウンターの脇にあり、玄関から誰がやってきたのか一目見てわかる。
ロウゼンが丁度ロビーに戻ったタイミングで、扉に付けられた訪問者を告げるベルが鳴った。力任せに、乱雑に開け放たれた扉は甲高い金属音を立てる。
「おかえり。どうやら災難だったようだね」
数日ぶりに見る親友の顔は、不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。仕事を終えて帰ってきたエルフの青年──マクベスに労いの言葉をかける。ロウゼンに気づいたマクベスは、
「ああ、全く酷いもんだぜ。下位の魔物をぶちのめすはずが、とんだ大物の相手までさせられちまってさ。オレじゃなかったら村が一つ、地図から消えるところだったぜ」
最後のセリフは冗談なのか本当のことなのか──判断しかねる愚痴を溢しながら、マクベスはロビーの椅子に座る。
「あれ、ドルファは?」
背負い袋からタオルを取り出して、雨粒を拭いながらマクベスが訊いた。
「各ギルドで緊急の会合が行われることになったみたいで、しばらく戻ってこないよ」
「ふーん。あのオッサンも大変だな」
マクベスはタオルをしまうと硬貨を取り出し、親指で弾いてロウゼンに渡した。
「何か飯くれ」
ロウゼンは硬貨を掴み取るが、それを軽く投げて返した。
「すまないがもう料理は残っていないんだ」
弧を描きながら飛んでいく硬貨をマクベスは受け取ったが、
「だとしても余ってる材料くらいあるだろ? 有り合わせでいいからテキトーに作ってくれよ」
再び硬貨を弾く。ロウゼンは貯蔵庫の中身を思い出しながら宙を舞う硬貨を掴んだ。
「パンと野菜スープ、あとは卵焼きでいいかい?」
「じゃあそれで。あと水に氷を三つな」
「わかった。少し待っていてくれ」
ロウゼンはマクベスの
出来上がったスープとパン、綺麗に焼けた卵焼き、氷が入った水をトレイに乗せた。キッチンから出てテーブルに置いてやると、
「サンキュー」
マクベスはパンを手に取ってかじった。次に野菜スープを口に運ぶ。よほど腹が減っていたようで、卵焼きも凄まじい速度で胃の中へと消えていく。
ロウゼンは向かい側に座り、先ほどの話について訊いた。
「ところで、君が受けた依頼はどんな魔物と戦う羽目になったんだい?」
マクベスはよく冷えた水を飲んでから答えた。
「スキュラだぜ」
まるで大したことでもないようにその魔物の名前を言い、満面の笑みで料理を口に運んだ。
「スキュラか……って、スキュラ!?」
ロウゼンは驚いて目を丸くした。
スキュラというのは水棲の魔物で、魔物の中でもかなり凶悪なことで知られている。騎士や傭兵が数人がかりで相手をしても敵わない場合も珍しくない、危険極まりない魔物だった。
「まさか一人で
「当たり前だろ。このオレを誰だと思ってるんだ? この王都レクスタリアで最強の冒険者、天下無双のマクベスだぜ? 海の魔物だろうが肝心の水を凍らせちまえばこっちのもんよ!」
ギャハハ! と、癪に障る笑い声がロビーに響く。
「あ、あのなマクベス。君はたしかに強いけど、一人で上位の魔物を相手にするのは止めた方がいい。万が一のことが──」
そう言いかけてロウゼンは口をつぐんだ。万が一のことが起きてからでは遅い。いつか痛い目に遭うぞといつもの説教を飛ばすつもりだったが、無言で視線を落とす。いつもと雰囲気が異なるロウゼンに面食らい、マクベスは残り一切れとなったパンを頬張ってから問う。
「どうした? おーい」
ロウゼンの耳にマクベスの声は届いていなかった。二日前と同じように胸騒ぎに似た感覚に襲われ、それどころではなかった。間違いなく自分の心が何かを訴えているのだが、肝心の内容がわからない。
「おーいロウゼン。ロウゼーン?」
マクベスはスプーンを振りながら、赤と青の
「……君は」
その言葉は自然と紡がれていた。
「君は死んでくれるなよ」
予想外のセリフに固まったのはマクベスだけではなく、ロウゼン自身もだった。思わず零した本心は、胸中に渦巻いていたざわつきの正体を紐解いていた。
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