深雨の中の旋律

深雨の中の旋律 1

 バケツをひっくり返したかのような豪雨。その表現はまさに、今の状況を表すためにあるようだとロウゼンは思った。

 暗闇の森を照らすのは、マクベスが魔剣にかけた魔法の光だった。前方を走るマクベスはマントを雨除けにしているが、この豪雨ではほぼ無力だった。ピンと跳ねた髪は水の重さでしおれた花のようにくたびれている。それはロウゼンも同様で、このままでは雨水で体温を奪われ体調を崩すのは時間の問題だった。

 二人は泥濘ぬかるんだ道を駆け抜け、地面を踏む度に水飛沫と泥を撒き散らす。


「ギャハハ! こんなにも天気が崩れるなんて予想外だぜ!」


 マクベスは言葉の最後に「クソッタレ!」と叫んだが、どこか遠くで落ちた雷の轟きで掻き消された。

 どこか雨宿りできる場所はないかと、二人は走りながら探している。


(本当にまずいな。最寄りの村まで一時間はあるし……)


 どこか雨をしのげる場所を──そう思いながら視線を横に移動させた瞬間だった。


「マクベス!」

「ん?」


 ロウゼンに呼び止められ、マクベスは振り返る。


「どうしたんだよ?」

「何かの明かりが見えるんだ。室内灯かもしれない」


 ロウゼンが指を差した方向には、確かに小さな粒のような光があった。炎のような揺らめく赤ではなく、どこか冷たさを感じる白に近い色をしている。それは太陽光を吸収する、特殊な鉱石から放たれる光によく似ていた。その鉱石は室内の明かりや街灯によく使われており、この光の先に住居があることを示していた。


「よし、行くぜ!」

「ああ!」


 室内の明かりだと信じて、二人は光源の元へと急ぐ。草木をうように走り抜けていき、しかし突然に光が消えた。構わずに進んでいくと、


「洋館……?」


 二人の前にあるのは、レンガ造りの洋館だった。蔦は伸び放題でいくつか窓ガラスが割れている。雨風にさらされた三階建ての洋館に、もう人が住んでいないことは火を見るよりも明らかだった。

 住居として長らく使われていないはずの建物で、確かに二人は光を見た。マクベスは魔剣の光を消すと腰に吊り下げているホルダーにしまい、玄関の大扉に近づいて周囲の様子を窺う。

 かなり広く作られた、軒天井のある玄関口には泥や雨の跡は無く、雨が降っている間は誰も訪れていない。次にマクベスは扉に耳を当てる。雨の音で消えている可能性もあるが、物音はしなかった。


「どうする?」


 洋館にあった光源を消した者──先客がいるのは間違いなく、ロウゼンが洋館に入るかどうかを問う。


「いるとすれば野盗の類じゃねぇの? まぁ先客が誰であれ、やることは変わらねぇけどな」


 マクベスはニヤリと笑みを浮かべ、ロウゼンはなんだか嫌な予感がして目を細めた。


「つーわけで……お邪魔しまーす!!」


 その予感は的中し、マクベスは爽やかさを内包した満面の笑みを浮かべ、蹴破るような勢いで両開きの大扉を開けた。


「ばっ、馬鹿!!」


 自ら野盗の可能性を提示しておきながら、最もやってはならない行動を平気でやってのけたマクベスに、ロウゼンは思わず叫んだ。だが彼は意に介さず堂々と洋館の中へと入っていき、渋々ロウゼンも続いた。

 二階へ続く階段のあるエントランスは、朽ち果てる前は立派なものだったことが窺える。落下して放置されたままのシャンデリア、恨めしそうに二人を睨んでいるように見える男の肖像画、武器を掲げた騎士の胸像、埃だらけの絨毯じゅうたん──その他の様々な調度品が、見るも無残な姿となってあちこちに散らばっている。

 廊下とエントランスはほのかな光を放つ鉱石が一定の間隔で壁に埋め込まれているが、これらは外から視認できないほどに弱々しいものだった。それでも割れた大量のガラス片が光を反射し、廊下は少しだけ明るく見える。一直線の廊下の最奥にも階段があり、二階へ行けるようになっていた。

 玄関付近をじっと観察し、マクベスは両手を腰に置いて胸を張ると、仁王立ちのような堂々としたポーズをとった。


「いきなりボウガンの矢が飛んでくることも、変な魔法陣を踏んだりもしねぇ。やっぱり罠なんて無かったな!」

「大丈夫だからこんな真似をしたのか……いったいなんの確証が?」


 無謀としか思えないことをやったのは、玄関の周辺に仕掛けが施されていない証拠を見つけたからなのだとロウゼンは思っていたが、


「勘だぜ!」


 そのあんまりな理由に、その場ですっ転んだ。


「どうしたロウゼン、バナナの皮でもあったか? ガラス片あるから危ねぇぜ?」

「違う! 君の当てずっぽうで命を落としかねない現実に危機感を覚えただけだよ!」

「ギャハハ! 冒険者ってやつは勘が大事なんだ、それを鈍らせちゃならねぇんだぜ?」

「どうやら俺と君の冒険者論には、海と山ほどの違いがあるようだね!!」


 ロウゼンはマクベスと異なり慎重に行動をするタイプで、勘といった不確定なものに頼ることは余程のことがない限りしなかった。わざとらしく大きな溜め息を吐き、頭を抱える。


「俺はそういった鍛錬できないものに頼りたくはないんだ」

「勘は鍛えられるぜ?」

「どうやって?」

「カジノ!」

「本当にそうなら君は大金持ちのはずだ!」


 マクベスの話に付き合っていると、ロウゼンの体がやけに重く感じた。雨水を吸った服が、さらにのしかかってくるような錯覚すら覚える。茶番をする暇などないことは相手マクベスもわかっているはずなのにと、げんなりしてまた息を吐く。


「とにかく、誰かがいるのは確かなんだ。慎重に行動してほしい」

「えー、今さら静かにしても遅いって」


 マクベスは腰の魔剣を二本とも抜き、


「ギャハハ! 盗賊ならどこからでもかかってきやがれー! まともな人ならこんばんはー!」


 洋館の全室に響き渡るような大声で、着替えもせずに挑発をした。癪に障る笑い声を上げながら廊下を歩き、片方の魔剣をバトンのように回す戦友の姿に、ロウゼンは呆れて何も言えなかった。まともな人なら君のような態度の不審者と絶対に関わりたくないだろう──そう言ってやりたかったが、声を発する力すら惜しいと感じたので止めた。

 せめて自分は真面目に調査をしようと、まずはエントランスの影に身を潜め、水に濡れた緑の髪を拭いてから着替えた。そして片手を前に突き出し、魔法を唱えると愛用の得物である魔斧まふを出現させた。

 準備を整え、マクベスが通った廊下とは反対方向の部屋を調べ始める。廊下に散らばるガラス片を踏み潰す音は、雨で消されて聞こえない。それでもわずかな音を聞き逃さないよう神経を尖らせる。

 ほとんどの部屋のドアは蝶番ちょうつがいが外れていたり強い力で叩き壊されていたり、何かが書かれていたらしいインクの滲んだ紙束が散乱していたりと、荒らされた形跡以外に目ぼしいものは残っていない。それすらも埃かぶっていて、全てが過去の出来事であることを教えてくれた。

 いくつかの部屋を見て回っていると、ふと目に留まったものがあった。床に散らばった本の中に埋もれていた紙を数枚拾い、中身を確かめる。


「楽譜?」


 横に引かれた数本の線と様々な記号が記入されたそれは、ロウゼンが知らない曲名が書かれた楽譜だった。


(この洋館は音楽家が住んでいたのだろうか)


 気になったが、今考えるべきことではなかったので楽譜を机に置くと部屋を出る。階段を上り、すぐそばの部屋で人の居た痕跡を探していると、


「なぁロウゼン、本当に先客なんているのかよ?」


 つまらなそうな物言いでマクベスが入ってきた。いつの間にか着替えており、雨で崩れた髪型もある程度整っている。


「あんな入り方をされたら身を隠すに決まってるじゃないか」

「それがさ、どこも埃だらけで人のいた形跡が一つも見つからねぇんだよ」


 マクベスはあごをさすり、赤と青の双眸そうぼうを天井に向けてうーんと唸った。


(ちゃんと調査していたんだ……)


 きちんとやるべきことをこなしているマクベスに、ロウゼンは表情には出さずに少しだけ安堵あんどした。


「洋館の中がこんな状況なら、金目の物なんてねぇって一目見てわかるはずだぜ。野盗だとしても長居する理由がねぇ」

「入ってきたばかりとか? それなら罠を仕掛けられなかった理由にもなると思う」

「そうだとすれば、玄関が濡れてねぇのはおかしいだろ?」


 洋館にたどり着く二十分ほど前にこの豪雨は降り始め、一度もその勢いが途切れることはなかった。マクベスの言うとおり、洋館の玄関周辺は雨に濡れてなどいなかった。何者かがいるのであれば、雨が降る前からこの洋館に滞在していることになる。


「先客が野盗じゃないとしても、何者かはわからないんだ。君はもう少し真面目になってくれ」

「はいはい、わかりましたよっと」


 敵なら暴れてやろうと画策していたマクベスは、残念そうに肩をすくめてロウゼンに従う意志を示した。二人は協力していくつもの部屋を覗き、しかし人の姿を確認できないまま二階で最後の部屋を調べていると、

 

「ん?」


 廊下で見張りをしていたロウゼンは耳を澄ませる。


(今のは……ピアノの音?)


 雨音に紛れて綺麗な楽器の音が上の方から発せられていた。それは数小節ほど奏でられ、今はもう聞こえない。


「どうしたんだよ?」


 老朽化した机の引き出しを調べていたマクベスが、顔を向けずに問う。


「気のせいかもしれないけど、三階からピアノを弾いている音が聞こえた」

「ピアノ? ……なんだ、オレの勘違いじゃなかったんだな」


 引き出しを閉じると、両腕を頭の後ろに回してマクベスはそう言った。


「君も聞いていたなら間違いない。三階に誰かがいるはずだ」

「ああ、先客の顔を拝みに行くとしようぜ」


 二人はすぐに階段を上り、廊下の様子を探る。角から顔を少し覗かせ、真っ直ぐ伸びた廊下に人影が無いことを確認した。ロウゼンは魔斧の柄を握り締め、なるべく音を立てないようにゆっくりと歩く。

 三階は扉が一つしかなかった。廊下の中央にたたずむ、両開きの扉に耳を当てる。


(何も聞こえない……)


 扉の奥からは物音一つしなかった。マクベスにもピアノが聞こえていたのだから、聞き間違えではない。何者かがここにいるはずだと、そう思いながらロウゼンは片側の扉を慎重に開いていく。三階で唯一ある部屋は小規模のホールになっており、ステージにはグランドピアノが一つだけ置かれている。そんなステージを囲むように、椅子がずらりと配置されていた。床まで届く壁一面のステンドグラスは無残に割れていて、わずかに残った破片が散らばり、雨で濡れている。


「うーん? 誰もいねぇぞ」


 ホールに人の姿は無く、マクベスは堂々と入っていく。無防備に見えるが奇襲に備えてしっかりと視線をあちこちに向け、魔剣を握る力を緩めなかった。


「あれ、おかしいな……」


 納得がいかず、ロウゼンはホール内を調べ始める。しかし隠れられそうな場所などどこにも無かった。


「…………」


 そんな中、マクベスはピアノに近づきじっと眺めた。


「へぇー。これはなかなか」


 マクベスはどこか懐かしむように、埃かぶった鍵盤を優しく撫でる。何をしているのだろうとロウゼンは疑問に思っていると、マクベスが鍵盤に指を沈めた。綺麗なピアノの音が、雨音を押しのけてホールに響く。


「おお、コイツはすげぇな」

「すごい?」

「ピアノって放置してると綺麗な音が出ねぇんだ。なのに、コイツは調律したばかりのような音が鳴りやがる。魔法か何かで手入れしなくてもいいように作られた超高級品だぜ」


 楽しそうに話し、鍵盤蓋をゆっくり閉めた。


「まぁそんなことはどうでもいいや。奏者の行方を気にした方がいいな」

「そうだね。きっとこのピアノから音がしていたんだ、誰かが居るのは間違いない」

「よし、もう一度見て回ろうぜ」


 二人は見落としの無いように今度は三階から順に見て回ったが、人の姿はやはり無かった。一階のエントランスに戻ってくると、マクベスは玄関に変化が無いことを確認して、階段に腰を下ろした。そして大きなあくびをして目をこする。


「ねみぃ……」


 ロウゼンはエントランスの壁に掛けられた時計を見る。いつの間にか深夜と呼べる時間になっていた。結局、ピアノを弾いていた者を探し出すことは叶わなかった。


「どうしようか。先客の居場所がわからないままになってしまったね」

「これだけ探しても見つからねぇなら、向こうから出てくるのを待つとすっか。そっちの方が楽だしな」


 敵なら返り討ちにしてやればいいからと、探すのが面倒になったマクベスは腰を上げて二階を指差す。


「東側の部屋が使えそうだったから、見張りを交代しながら寝ようぜ。つーわけでおやすみ!」

「ああ、おやすみ」


 マクベスはもう一度大きなあくびをして二階へ上がると、使用できそうな部屋──階段を上ってすぐ曲がったところにある部屋に入っていった。ロウゼンはエントランスと二階の廊下が見渡せる場所に位置取りして、見張りにつく。

 壁に背中を預け、周囲の警戒にあたる。雨がガラスや壁を叩く音が鳴り止むことはない。雨はさらに強さを増し、より多くの雷が落ちても不思議ではなかった。さらに強い風も吹いてきて、割れた窓から入ってきた雨粒が廊下を濡らしていく。

 何度か見張りを交代し、そろそろ朝日が昇ってもおかしくない頃に、ロウゼンは異変に気づいた。豪雨にまぎれて別の音が響いてきたのだった。今度は確信を持って言える。今の音は、間違いなく三階のピアノから発せられたものだと。

 雨音でも掻き消されることのない力強い旋律にマクベスも気づいたようで、部屋から物音がした。その直後には扉が開かれていた。


「ロウゼン!」

「ああ、行こう!」


 ロウゼンは魔斧を構え直し、マクベスは双剣のグリップを握る。二人はやけに寒気のする階段を駆け上がり、三階のホールへ飛び込んだ。


「これは……」


 ホールの光景に思わずロウゼンは目を丸くし、


「…………」


 マクベスはいつでも動けるよう身構えた。

 ホールのステージで、人間の子供をかたどったらしい真っ白な人影が、グランドピアノで演奏をしていた。しかし指先は鍵盤をすり抜けて叩けていない。だが何故か音は鳴っていた。


「幽霊……」


 ロウゼンがぽつりと言葉を溢す。豪雨の中、男か女かもわからない幽霊は二人に気づいていないのか、無視しているのか演奏を止めることはなかった。

 突然、幽霊の演奏はぎこちないものへと変わっていき、ついには手を止める。頭を押さえ、すすり泣き始めた。


「どこに隠したの、お父さん……返してよ……私の楽譜……」


 幽霊は哀調を帯びた声で、懇願するようにうめいた。譜面台を掻きむしるように触れ、鍵盤に顔を突っ伏した。絶望を示すように不協和音がホールに響く。

 幽霊から感じる異様な胸のざわめき。近づくべきではないと本能が警笛を鳴らす感覚。冒険者であるロウゼンとマクベスは、その感覚を何度も経験したことがあった。

 幽霊の異常な様子に戸惑うロウゼンを我に返したのは、マクベスが双剣に魔力の風と冷気をまとわせた音だった。

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