人魚 2

「マクベスさん、その依頼を受けるんですか?」


 王都レクスタリアにある冒険者ギルド、流星雨。そのロビーには依頼書が掲示されたコルクボードがあり、一枚の依頼書を手に取ったマクベスは、後ろから声をかけられた。そこにいたのは紫の長い髪を緩く束ねた、シスター服を着た若い女だった。腰からコウモリのような翼が生えており、細長い尻尾を揺らしている。


「クレディアか。そうだけど何かあんのか?」


 クレディアと呼ばれた女は内容を覗き読むと、腰に手を当て人差し指を立てた。


「それって悪霊退治の依頼ですよね。でしたらあたしが助力しますよ!」

「えー、分け前が減るからヤダ」


 マクベスは断り、依頼書をカウンターへ持っていこうとするが袖を掴まれた。


「ち、ちょっと待ってください! 悪霊って本当に危険なんですよ!? 生者を異空間に閉じ込めて──」

「体を乗っ取るために殺すんだろ?」

「そのとおりです。悪霊を倒すには霊魂を破壊しないといけないし、ただの魔物と違って凶悪なんです。ねっ、どう考えても一人では危ないでしょう? なのでここは神官たるあたしがお手伝いします!」

「えー、分け前が減るからヤダ」

「よっぽど金欠なんですね!? 全く同じことを言うなんて!」


 断られてしまい、思わず声を荒げたクレディアをなだめようと、カウンターで作業をしていた灰がかった深い緑色の髪を一つに結んだ初老の男──ギルドマスターのドルファが声をかけた。


「クレディア、マクベスは長年冒険者をやっておる。悪霊の恐ろしさはよくわかっているから安心せい」

「うぅ、それはそうですけど……」

「悪霊退治を聖職者ではなく冒険者に依頼するということは、これはただの悪霊退治では終わらないだろう。クレディアを危険な目に遭わせたくないんだろう、マクベス?」


 クレディアは驚いた顔をしてマクベスを見る。


「だーかーら、分け前が減るから嫌だってさっきから言ってるだろ。今月の家賃払わなくていいなら話は別だけどよ」


 先ほどから変わらぬ態度でマクベスは否定し、何故か口元をほころばせているドルファに依頼書を渡した。


「ああもうわかりました! だったらせめて祝福だけでもかけさせてください」


 同行を諦めたクレディアは手を差し出した。マクベスはベルトからホルダーごと双剣を手渡し、それを受け取ったクレディアは目を閉じると魔法の詠唱を始めた。それはただの詠唱ではなく賛美歌のようで、何かのメロディーに乗って言葉を紡いでいる。すると双剣が淡い光に包まれ、光は双剣に溶け込むように沈んでいき、消えていった。


「どうぞ。これで少しは戦いやすくなったはずです」

「ったく、そんなことしなくたって大丈夫だっての。このオレがなんて呼ばれてるか知ってるだろ?」

「……レクスタリアの問題児」


 目を細め、舌を出してクレディアが答える。


「浪費癖があり女癖も悪く、癪な笑い方をするエルフの男。あと最近は“万年金欠のマクベス”とも呼ばれておったな?」


 ドルファがさらに不名誉な呼ばれ方を言うので、


「そっちじゃねぇよ! “天下無双”のマクベス、だ!!」


 マクベスは怒りながら訂正し、ホルダーをベルトに取り付ける。


「お礼はケーキでいいですよ」

「おい待て、無料タダじゃねぇのかよ。アンタの善意はどこいった?」

「冗談ですよ。えへへ」


 マクベスは満面の笑顔のクレディアに、「わけわかんねぇ奴」と正直に告げた。ドルファから手続きを済ませた依頼書を受け取り、


「それじゃあいってくるぜ」

「おう、気をつけてな」

「いってらっしゃい、マクベスさん」


 ドルファとクレディアに見送られ、マクベスは手をひらひらと振って流星雨から出る。

 王都レクスタリアの空は薄暗く、純白の雪が降っていた。一センチほど雪の積もった大通りを歩きながら、マクベスはドルファのセリフを思い出していた。


──クレディアを危険な目に遭わせたくないんだろう、マクベス?──


「ちぇっ。ドルファの奴、余計なこと言いやがって。一人でこなせる仕事なんだから当然だろーが」


 人知れずぼやき、ねるその姿はまるで年頃の子供と変わりなかった。

 雪が降っているからか、昼下がりだというのにレクスタリアの南部、城下町を囲う高壁の外に位置する街はやや閑散としていた。白い息をつき、マクベスはある一軒家の前に立つと玄関扉をノックした。


「はい」


 家の中から若い男の声がして、廊下を歩く音が聞こえる。頭についた雪を払っていると、扉がわずかに開いた。その隙間から気弱そうな印象を受ける、そばかすのある若い人間の男の顔が覗く。マクベスはその男に一枚の紙を見せた。その紙──依頼書には、受諾を示すギルドの赤い印が押されている。


「冒険者ギルド、流星雨に所属しているマクベスだ。この依頼を出したのはアンタだろ?」

「! 貴方があの……。ええ、僕が依頼主のエディンです」


 扉を大きく開き、エディンと名乗った若い男は家へと招き入れた。暖炉のついたリビングに通され、マクベスは椅子を引いて座る。エディンは「どうぞ」と言って茶を淹れて差し出した。柑橘類の甘い香りが鼻腔びこうをくすぐり、


「サンキュー。これ好きなんだよな」


 好みの茶だったので気分が高揚し、マクベスは貴族と見まごう美しい所作でティーカップを持ち上げて飲んだ。冒険者という者に多少野蛮なイメージを持っていたエディンは、マクベスの絵になるような姿に驚愕するが、失礼にならないよう顔には出さなかった。向かい側に腰かけ、依頼の詳細について話し始めようとしたが、


「にゃーん」


 猫の鳴き声に遮られ、二人は声のした方を見る。リビングの入り口に一匹の老いた黒猫が、先端が白い毛に覆われた尻尾を揺らしながら二人を見ていた。


「あぁ、そういえばご飯の時間だったね。でも少し待っていてくれ、大事な話があるんだ」


 エディンは立ち上がり、片膝をつくと猫の頭を撫でてやった。猫は嬉しそうに喉をごろごろと鳴らし、手をぺろりと舐めた。エディンは笑顔で猫を抱きかかえると椅子に座る。


「猫か。名前は?」

「ジーナと言います。……元々の飼い主がいなくなり、僕が引き取ったんです。とても可愛い子ですが、なんでも食べたり飲んだりしてしまうのでお世話が大変なんですよ」


 また頭を撫でてやると、ジーナという猫はうっとりとした顔を見せた。


「動物は好きなんだけどなぁ……」

「?」

「どうも動物はオレのことが嫌いらしい。犬や猫、馬にも噛みつかれそうになったぜ」

「そうなんですか。でもジーナは猫には珍しく人懐っこいから、きっと大丈夫ですよ。初めて会った人でも警戒しないんです」


 エディンは再び立つとマクベスの隣に行く。ジーナがマクベスの顔をじっと見つめるが、


「フシャーッ!!」


 歯を剥き出しにして威嚇した。マクベスは苦笑いを浮かべて「だろ?」と肩をすくめる。


「あれ、おかしいな……すみません、今は虫の居所が悪いのかもしれません」

「動物相手だといつもこんなだから気にすんな。それよりも依頼のことを話してくれ」


 エディンが謝罪し、椅子に戻ればジーナはすっかりご機嫌になっていた。


「依頼書に書いてあるとおり、お願いしたいのは悪霊退治です。この住宅街の南側にある森を通り過ぎた先に、とある女魔術師の家があるのですが……一週間ほど前に火事が起き、その日を境に魔術師の姿を見る者はいませんでした」


 エディンはうつむき、目を閉じた。


「遺体を回収しに来た葬儀屋が、おぞましくてこのままでは無理だと言って、半壊した家に入れないでいるんです。おそらく魔術師の悪霊が居座っているのでしょう。……変な噂もありましたから、腕の立つ者にお願いすべきだと思い、僕が独断で依頼を出しました」

「変な噂?」

「素性の知れない魔術師によくある法螺ほら話ですよ。近隣住民が怖がって、あることないこと吹聴したに過ぎません」

「ふーん。まぁ、住民の気持ちはわからなくもねぇ。正体不明の魔術師って奴は、だいたいろくなことしねぇからな」


 今回みたいに。と言いながら、マクベスは両肩を上げる。


「どんな話でも聞いておきてぇ。知る限りのことを話してくれ」

「……その魔術師はどんな手段も厭わず、ただひたすら取り憑かれたように何かを追い求め……人を手にかけたのではないかと言われています。実際に身寄りの無い者が時折、行方不明になっていましたから住民たちが噂を信じるのも無理はありません」

「そうか。そりゃあ近づきたくもないな、火の無いところに煙は立たねぇし」


 マクベスはあごをさすり、エディンの顔をじっと見る。


「で、その魔術師の話をするときに、アンタの目がわずかに泳ぐ理由はなんだ? あまりその魔術師のことを悪く言いたくねぇってか?」

「! いえ、そんなつもりは──」


 否定しようと口を開くエディンだったが、目の前の青年の鋭く突き刺さる視線に思わず身震いしてしまった。嘘を言えば瞬時に見破られてしまうような、そもそも嘘を言わせまいとする空気感に気圧される。


「わりぃけど悪霊との戦闘がある以上、こっちも命懸けなんでね。何か隠してることがあるなら正直に言ってくれ。別に責めたりはしねぇよ」


 隠し事があることを見抜かれ、エディンは正直に話すことにした。


「……その魔術師は、カレア師匠は異常だったんです」

「カレア? ひょっとして魔術師ギルドにいた、あのカレアかよ?」


 カレアの名が出た瞬間、マクベスが目を丸くした。エディンは頷いて肯定する。

 魔術師カレアは、かつてこの王都レクスタリアの魔術師ギルドに所属していた優秀な魔術師だった。彼女はある日、愛弟子とペットの猫と共に魔術師ギルドから姿を消し、つい最近まで捜索願いが出されていた。

 エディンは一瞬だけ横に視線をそらし、長い息をついてから顔を上げて答えた。


「師匠は人魚の肉を作ろうとしたんです」


 マクベスは怪訝けげんそうな顔をした。


「人魚の肉、か。ひょっとして人魚を食えば不老不死になれるって伝承でも信じてたのか? 馬鹿げてやがるぜ」

「僕も今はそう思います。ですが当時の僕も正気ではなかったんです。師匠が調達してきた死体に手を加えることに、なんの躊躇ためらいもありませんでしたから……」


 苦しそうなエディンの声に、ジーナが心配そうに下から顔を覗き込み、短く鳴いた。


「僕らは家族のように愛していた、この子の世話すら投げ捨てて研究に没頭していたんです。ジーナは見てのとおり老猫で、今は元気だけど少し前まで日に日に弱っていって……ある日、棚にしまい忘れた劇薬を飲んでしまったようで、ジーナが倒れていたんです。看病をしてなんとか一命を取り留め、安堵で胸を撫で下ろしたそのとき、やっと我に返りました。身近にいる大切な家族をないがしろにし、犠牲を払ってまで不老不死になれたとしても……心無い化け物になるだけだと」

「愛猫のおかげで正気に戻ったってわけか。アンタに良心が残っていて何よりだぜ」


 マクベスは師匠やその弟子に言及することもなく、ただ正直にそう言った。エディンは礼代わりに微笑み、ジーナを抱きしめた。


「僕はすぐ、師匠に研究を止めるよう説得を試みました。ですが師匠は人魚の肉の試作品が無いと騒ぎ、聞く耳持たずで……それどころか、何故かジーナを殺そうとしたんです」

「それで、アンタはどうしたんだ?」

「ジーナを守るために師匠を突き飛ばしました。その拍子に戸棚にしまっていた薬品がいくつか落ちて……運悪く反応してしまい、炎が上がりました」


 エディンは懺悔室で告白するかのように、今後忘れることはない記憶を呼び起こしながら、詳しく話を続ける。


「驚いたジーナは地下室へ逃げ、師匠が追いかけていきました。僕も行こうとしたのですが、燃え広がる炎に行く手を阻まれてしまいました。しばらくして、炎の隙間から飛び出したジーナを抱きかかえ、師匠に戻るよう叫んだのですが返事は無く……脱出した僕は、燃え上がる家を呆然と見つめることしかできなかったんです。それが一週間前の出来事です」

「なるほど。それで魔術師カレアの怨念が残ってやがるんだな」


 こくりとエディンが頷いた。


「悪霊退治を冒険者に頼むなんておかしいとは思っていたけどよ、研究の証拠隠滅も含まれてるってことでいいな?」

「はい。実は明後日に神官が捜査に来るらしいのです。それまでになんとしてでも、師匠が保管していた研究レポートを抹消しなくてはなりません……こんな世の中ですから、あんなものを見つけて悪用しない者なんてそうはいません」


 エディンは奥歯を噛みしめる。人によってはカレアのように、何かに取り憑かれたように不老不死といった超常的な力を欲するだろう。この世界は平和とは言い難い状況下にあり、それが更なる拍車をかけている。


「僕はこの手で研究内容を消し去りたい。人の手に余る力なんて、いつか自分自身だけでなく、周りをも滅ぼしかねないから……」


 冷静になろうと、エディンは愛猫の頭を撫でる。


「……マクベスさん。僕のこと、憲兵に突き出します?」


 エディンの言葉にマクベスはしばらく考え込む。そして首を横に振って否定した。


「アンタの証言だけじゃ、お忙しい兵士連中は動いちゃくれねぇよ。ただの火事で処理したいだろうし。何より──」


 マクベスは一瞬、ジーナを見やる。が、すぐに視線をエディンに戻した。


「いや、なんでもねぇ。そんなことよりも、オレが研究成果を盗む可能性は考えねぇのか? 自分で言うのもアレだけどよ」

「ふふっ、僕がなんのためにわざわざ流星雨に依頼を出したと思います?」

「……ギャハハ! ドルファが聞いたら泣いて喜ぶぜ!」


 流星雨のギルドマスターの老人が、感激のあまり涙を流す姿を妄想し、マクベスは笑い声を上げた。流星雨の評判の良さは、たとえ王都の離れでも知れ渡っていたらしい。


「とにかく、カレアをたおして不老不死の研究レポートとやらを持ち帰ればいいんだろ? それじゃあ行くとすっか」


 そう言いながら立ち上がったマクベスを、エディンは慌てて引き止めた。


「お待ちください! もう一つお願いしたいことがあるんです」

「お願いしたいこと?」


 頭の後ろで手を組み、マクベスが問う。


「その……悪霊となった師匠は話せるような状態ではないかもしれません。ですがもしも対話が可能であれば、師匠にとって大切なものがなんだったのか訊いてほしいんです」

「おいおい、そんなわかりきったこと質問してなんになるんだよ?」


 エディンは視線を落とし、それに気づいたジーナと見つめ合う。


「……僕にとって大切なものはジーナです。それはかつての師匠も同じだったはず。だからあの日に僕が気づけたように、師匠も死した後でなら大切なものが何か思い出してくれるのではないかと……そんな希望にすがりたいだけです」


 お願いしますと言って、エディンは必要以上に頭を下げた。


「まぁ、アンタがそれを望むなら努力はするぜ」


 マクベスは「また後でな」と言って家を出た。エディンとジーナに見送られ、森へと向かう。相変わらず雪は降り続けていた。

 住宅街をさらに南へ行き、馬車のわだちの跡が残る道を通る。森を抜けると分かれ道があり、右の道の先にある小高い丘に、かつて二階建てだった家があった。焦げた支柱は剥き出しになり、外壁が黒ずんでいる。

 半壊した家に足を踏み入れることは、悪霊の存在の有無を問わずに危険だが、依頼のためにそこへ向かわなければならなかった。


「!」


 丘を登ると、身を切るような悪寒に襲われ思わずマクベスは立ち止まった。それは雪のせいではなく、この家に囚われているカレアの悪霊の仕業だった。これ以上進んではならないと、本能が警笛を鳴らしている。現に一歩踏み出すのにわずかな時間がかかってしまった。


「葬儀屋も近づきたがらねぇわけだ」


 クレディアを連れてこなくて正解だったなと思いながら、マクベスは家へと足を踏み入れる。より強い気配は地下の方からしていた。雪の積もった階段を、滑らないように細心の注意を払いながら下りていく。すると、短い廊下の先に黒焦げた鉄扉があった。マクベスはカレアの悪霊が待ち構えているであろうその扉を、勢い良く蹴破った。


「……入り口か」


 蹴り飛ばした扉は真っ白な空間に吸い込まれ、床に落ちる音がしなかった。悪霊が作り出した異空間──現世うつしよ幽世かくりよの境界に、マクベスは堂々と入っていく。何もない空間が広がっており、何歩か進む。入り口が音を立てずに掻き消えた瞬間、目の前の景色が一瞬にして変貌した。

 果てしなく広がる水面に映るのは、雲一つ無い空だった。空は朝焼けに似たほのかな明るさを湛えており、星々がわずかに光を放って存在を示している。たとえそれが悪霊の生み出した幻覚のようなものであったとしても、思わず感嘆の溜め息を溢す。


「…………」


 マクベスは水面に触れ、沈まないことを確認すると水の上を歩いていった。悪霊が、カレアがその姿を現すまでひたすら進む。そして数十分が経過した頃、


「何も無いつまんねぇ場所だな。アンタも暇で仕方ねぇだろ?」


 死という現実を受け入れられなかったのか、それとも死んだショックからか──記憶を失くした状態で、彼女は姿を現したのだった。

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