第50話:ドラゴン⑦

 優香は思いっきり跳んだ。周囲はドラゴンに焼き尽くされており、もはや焼けるものもなく、爆発によって吹き飛ばされていた。

 優香はドラゴンの鼻先を通り過ぎるついでに散弾銃を撃つ。


 文字通り豆鉄砲のような威力だったが、気を散らすには充分だった。


 炎を吐くのすら億劫なのか、翼をバサリと動かす。


「うぁっ?!」


 それだけで凄まじい風が巻き起こり、風圧だけで優香が吹き飛んだ。


 優香はなんとか、地面に叩きつけるように自分の体を地面に押し付けた。


(思ったより……やばいですね……)


 想像以上の力を持っている。


 先ほどからうるさいハエをあしらうように炎を吐いていたから、ちょっと挑発すればこちらにも吐いてくれるだろうと思っていた。


 しかし今度は埃を払うように、ちょっと翼を振って吹き飛ばされた。


 優香のことを歯牙にもかけていない。

 優香は地面に腹ばいになったまま、散弾を撃ちまくる。


 鋼鉄に石つぶてを投げてるような気分だが、今度は目を狙った。大きい目に、散弾なら大雑把な狙いでも当たるはず。


 目にすら弾かれたのか、血飛沫は見えなかった。しかし突然、ドラゴンは起こったように吠えた。


「ぅぁ……っ!」


 爆音に耳が痛くなる。止んだと思ったら、キーンとする世界の中、炎が迫ってきた。


*****


(優香、あれ大丈夫よね……?)


 その様子を少し離れたところから見る彩。


 耳が痛くなったので手で耳を塞ぎ、思わず目をつぶっていたら優香の姿があった場所は爆炎に包まれていた。


 どんな状況でも目視できるなら目を逸らさないという教訓は頭の片隅に置いておく。


 ドラゴンは疲れたのか、またぐったりと体を地面につけた。


 優香のことは心配だが、やるべきことは変わらない。あのドラゴンを倒すために、剣に飛び付かなければならない。


 ドラゴンが目を閉じているかはわからない。優香が彩から見て奥側にドラゴンを誘導したため、ドラゴンの首も奥に移動した。


 つまり、ドラゴンの視界に彩は映っていない。


「行くしかないわね……!」


 彩は駆け出した。


 走ることに関しては一般人と全く変わらない。とにかく必死に走る。


 足元は炭化した木々が、細かく敷き詰められるように散乱していた。足場は不安定だが、足音が気持ち少ないように感じる。


 とにかく、こっちに気づかないでくれ。気づいても鬱陶しいハエ程度に思って気にかけないでくれ。そう思いながら走る200メートル。


 首に刺さっている剣はもう目前だ。


(高い……!)


 地面から3メートルほどの高さだろうか。彩の身長では全く届きそうにない。


 ただ、ここに来て諦めるという選択肢はない。逃げても逃げれるかわからないなら、やるしかない。


「りゃぁぁぁぁ——!」


 気合いを込めて、助走がわりに走ったまま鱗に手をつける。素手に食い込むようほどに硬く、痛い。


 鱗と言ってもただの魚の鱗とは違う。厚さは数センチあるし、短い方でも数十センチの大きさだ。


 したことのないパルクールを意識して、勢いだけで登っていく。そして最後は思い切り鱗を蹴って剣に飛びかかる。


(掴んだ!)


 剣を掴んだ瞬間、体と剣がつながったような感覚が芽生える。体から剣に、自分の温度が、血が流れていくような感覚。


 魔力を剣に吸われている。


 剣が震え、周りについた泥が跳ね落ちる。


 間違いなく剣に力が集まっていく。


「っあ……!」


 ドラゴンが吠えた時、鼓膜が破れたかと思った。


 次の瞬間、体が持ち上がったかと思えば右に左に揺らされる。


 痛みで体を振り回すドラゴン。


 何が起きたか全くわからない中、彩は手だけは離すまいと必死に力を込めた。


(血が出てきてる……!)


 揺れる視界の中、必死に現状を掴もうとすると、剣が埋まった先から血が滲んできている。間違いない、ドラゴンにダメージを与えている。


(でも、全然切れない!)


 彩という重石が剣の先でぶらぶらしているのにも関わらず、剣はびくとも動いていなかった。


 抜け落ちたりしないのは幸いだが、現状では首に爪楊枝が刺さっているのと変わらない。


「このっ! 切れろっ!」


 彩は必死に体を上下に揺らし、剣を動かそうとするが、それでも切れる気配は全くない。


 しかし痛みにはなっているのか、揺らすたびにドラゴンが叫び、さらに彩の体が振り回される。


 このままだと、ドラゴンと我慢比べになってしまう。60メートルのドラゴン対女子高生。ずいぶん分の悪い我慢比べだ。


 派手に振り回され、もう腕も限界に来ている。


 最後の力を振り絞って魔力を込め、賭けに出ようか。そう考えた時だった。


「ぁぁぁぁぁあああ……!!」


 その音が——声が最初何かわからなかった。急に手に何かが挟まるような衝撃があったかと思えば、何かが体にぶつかった。


「……優香?!」


 優香が剣に捕まっていた。飛んできたのか、勢いよく彩にぶつかった。彩の手の上から剣を掴んでいる。

 優香という衝撃が来たためか、ドラゴンはまたしても苦痛に喘いで右に左に首を揺らす。今度は優香がぶつかる感触が増えた。


 揺れる中、優香が言った。


「あ、彩さん……! せーの、で、行きます、よ!」


 しかし彩には、脳と視界が揺れる中で優香が何を言っているか、耳に入っても理解できなかった。


 彩が横を見ると、優香と目が合う。目の前に優香の顔があって、光っていないただの目が真っ直ぐ彩を見ている。


 何を言っていたかは忘れたが、何をやりたいかはその瞬間にわかった。


 彩は頷く。そして。


「「……せーのっ!」」


 思い切り体を縦に揺らした。


 ガクン、と体に不自然な縦方向の力が加わる。ドラゴンは吠えながら首を振り回すが、それ以上に強い力が彩達を包み、体を下へと押し込んでいく。


 優香は自身のサイコキネシスを全力で自分自身に叩き込んでいた。


 彩は目を瞑り、全力で剣だけを意識する。


 体から血の気が引くような感覚、温度が失われていくような感覚とともに、手から魔力が流れていく。


 貧血に近い感覚に自然と目が開く。眩しいほどに剣が輝いていた。


(光ってる……)


 ぼんやりとそんなことを考える。


 そして突然、人ごみの中から防音室に移った時に訪れる突然の静寂のように、彩は全てから解放されたような感覚に包まれた。


 否、落ちている。横に振られる力、縦に押し込まれる力、そう言ったものから解放されて、今はただ重力だけが彩を包んでいる。


「へあ?」


 間抜けな声が出るもんだな、と他人事のように思う。


 地面にぶつかる直前、一瞬だけふわりとした感覚があったと思えば、どすんと落とされる。

 地面に叩きつけられるのを優香が防いだが、彩はそれに気づかなかった。そんなことを考える前に、地面に落ちた彩の上に優香が落ちてきたからだ。


「いたいぃぃ……」


 優香が上に落ちてきても、彩は緩慢とした力でしか動けなかった。ドラゴンの首から離れてしまったというのに。


 ドラゴンが怒り狂って炎を吐こうとしてももう知らない。どうにでもなれだ。今日は疲れた。


 やるべきことはやったし、やれることはやった。結果がどうなったかは知らないが。


 頭がぼんやりとしている中、のそのそと上体を起こす。優香も同じように、動きが緩慢だ。


 そして目にしたドラゴンは体そのものを大きく振り回して、首から血を撒き散らしていた。


 血をスプリンクラーのように撒き散らしたかと思うと、今度は啜るような音を立てて血が首の中に吸い込まれていく。


 気道が切れたのだろう。息をしようとして、血が撒き散らされる。そうして首を何度か揺らした後、吠えることもできずに倒れた。


 どしん、とした衝撃に体が揺れる。彩と優香の隣に頭が落ちてきた。


「……わぁ」


 それしか言えなかった。優香も静かに驚いている。


 ドラゴンはなんとか生きようと息を吸おうとしたが、どうにもできない。やがて目がぐりんと上を向き、動かなくなった。


「死んだ……?」

「おそらく……」


 彩が呆然と声を出すと、優香も呆然と声を返した。

 彩も優香も、煤まみれだった。顔や服がところどころ黒く汚れている。


「はは……」


 彩は足を投げ出して、手を後ろに立てて体を支えた。もう立ち上がる気力がない。


「あぅ」


 優香が変な声を出したと思ったら、突然彩の胸に頭を乗せてきた。こんな時に甘えてくるのは優香のキャラじゃない。


「……どうしたのよ、急に」

「すみません……立とうとしたら、腰が抜けて……コケました」

「何それ、ちょっと……ふふっ」


 彩が吹き出すと、優香も釣られて笑いだす。なぜだか腹の底から笑えてきて、そのままの姿勢で笑い合う。


 それは下から煤だらけの正面チームが様子を見に来るまで続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る