第22話:帰る理由

 小休止を挟んだ二人は地下水路を進んでいた。


 優香のライトはかなり光量を落としている。あまりに明るいと遠くから発見されてしまうかもしれない。


 優香は慣れている上、ライトを持っている側なので歩くのに困らなかったが、女性はそうでもない。


 暗くて歩くペースが落ちそうだったので女性側から手を握られる優香。


 日常生活でも、ましてや委員会の活動でも、どんなシチュエーションでも誰かと手を繋ぐなんてイベントは発生しなかった。


 結果、優香は同性相手でもひどく緊張して手がプルプルと震え出す。陰キャのさがだ。


「ね、ねぇ。お名前聞いていいかな?」


 その優香の緊張を感じ取ったのか、女性の方から話しかけてきた。


「え、あ、えっと……サンドグラス、です……」

「サンドグラスって、お仕事する時の名前だよね? 私、Cobotって音楽グループのアリサって言うの」


 先ほどは見覚えがないと言った女性の顔だが、Cobotと言われると優香の耳にも聞き馴染みがあった。


 ここ最近になって急に名前を聞くようになった音楽グループだったはず。アリサという名前も、確かにそうだったような気がする……。


 優香はあまり音楽を聴くタイプではないが、妹が聴いていたのは間違いない。


「私、本名は中野有紗っていうの。それでその……よければ本当の名前、教えてくれない? サンドグラスちゃんって、ちょっと呼びづらいし……。もちろん、嫌だったり、コンプラで答えられない〜とかだったら全然いいんだけど」


 優香は一瞬悩んだ。同じ委員会でもお互いの本名を知らないことは珍しくない。


 チームメイトには教えたりするが、チームの外となるとプライベートな関わりがないと教えない。頑なに隠すものでもないが、委員会のメンバーはそういう距離の取り方をする。


 ただこのアリサという女性も、活動名と同時に本名を明かしてくれた。こちらも教えないのは変な話だろう。


「……優香です。雨宮優香」

「そっか、じゃあ優香ちゃんって呼んでいい? 私のことはアリサでいいよ。……それでその、優香ちゃんは前、異世界を救ったことがあるんだよね?」

「そう、ですね……。こういった世界ファンタジーではなく、近似系……元の世界に近い世界でしたけど」

「やっぱり……世界を救うのって難しいの? 私って……このまま逃げ帰ってもいいのかな……?」


 アリサが優香の手を握る力が強くなる。


 異世界に迷い込んだ人を救うときに、たまに聞かれることだ。


 目の前で今、自分を救おうとしてくれている委員会の人はどこかの世界を救った勇者だ。その人を目の前にして、自分は逃げ帰る選択をしていいのか? この世界の人々を見捨ててもいいのか?


 こういう疑問を抱く人は少なくない。それが原因で帰還拒否をする人も出るくらいだ。委員会は本人が異世界から帰還しない意思を見せた場合、同意書さえ書かせれば無理に帰還させることはしない。


 異世界に転移してしまうこと。その非日常、非常識に運命を感じるのも無理はない。

 異世界に行くと、なぜか不思議と強い力を得てしまうのは事実。しかし必ず世界を救えるとも限らないし、その道のりが楽しいものだけとは限らない。


「私は……私が世界を救ったのは、世界を救わないと帰れなかったからです」


——それに死ぬこともできなかったから。とは付け足さなかった。


「この世界は終わりかけです……ここから世界を救うのは、とても難しいと思います」

「そ、そうなのかな……?」


 アリサは処刑寸前の酷い目に遭いながらも、まだこの世界のことを心配している。根が優しく人を見捨てられないのか、運命を感じているのか、それとも異世界から逃げたという臆病者というレッテルを貼られるのが嫌なのか。


 人によって様々だ。


「アリサさんは……きっと帰る理由があるはずです。異世界ではなく、元の世界でやりたいこと、やるべきこと、あると思います。Cobotもアリサさんが必要なはずです」


 言われるまで誰かわからなかった優香が偉そうに言えることではないが、Cobotは確か二人組のはずだ。相方もアリサが異世界にこもってしまったら困るだろう。


 ただ、そもそも現世で何をしてようとも、誰かしら大切な人はいるはずだ。親、兄弟姉妹、恋人、親友、お世話になった人、もしくはペット。それらを放ってまで異世界に行きたいという人はいない。


 もし後がない人生なら好きにするといい。ただ、アリサはそうではないはずだ。


「優香ちゃんにも知られてないぐらいだったのに?」


 アリサが冗談めかして言う。


「……元々顔出しが多いユニットじゃなかったですよね?」

「バレたか」


 クスクスと笑うアリサ。つられて笑う優香。


 軽く休んだ後でも積もる疲労は拭えなかったが、それでも気は楽になった。


 アリサも正直なところ、ボロボロだろう。衣服は荒れていないがその下までは窺い知れない。


 ただ、それでも歩き続けなければいけない。地上ではまだ転移者を血眼になって探していることだろう。


「っ!」


 優香はライトを消して、女性の裾を引っ張って道の隙間に連れ込んだ。


「どうしたの……?」

「静かに」


 やがて足音が近づいてくる。ランタンのような、明かりと共に複数の男が通りすがっていた。


「よくわかったね……」

「勘がいいのが取り柄ですので……」


 移動を再開して間も無く、地上へと繋がる階段が見えた。


 ゆっくりと、しかし慎重と言うほどでもない動きで頭を出す。地下に入った時と同じく、砂に塗れた建築物が建ち並び、 多くの人が行き交っている。


 先ほどの混乱も少しは落ち着いているのか、すぐに見えるところに白装束はいなかった。

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