説得

 夕刻にはまだ早いが、ブレアスは港湾組合に向かった。

 先程の男が立っていて、ブレアスを見つけると中に入るように言った。

 戻っているようだ。

 男はブレアスの前を進み部屋の前に立つと、客人の来訪を告げ、扉を開けた。

 大きな広間で、二十人ほどの者たちが、部屋の両脇に座っていた。

 床には厚い絨毯が敷かれ、中央辺りにクッションが二つあった。

 その奥に白髪の男が座っていた。

 彼がバジル・アルサードだろう。

 ブレアスはクッションに腰を下ろすと、口上を述べた。

「アルバレス・メンデルと言う。この度はこの場を設けて頂き、感謝する」

 ざわめきが起こった。

「アルバレス・メンデルだと? 十年前の戦犯の名ではないか」

「そんな男が何をしに来た?」

「死んだのではなかったのか?」

 誰もがそう言う中、数名の者が俯いているようだった。

 ダナンは予想はしていたが、余りの反応に顔を顰めた。

「そのような者が来て良い場所ではない」

 ある者が言った。

 そして同調する者もいた。

「控えなさい。私の客人です」

 バジルがそう言うと、静まりかえった。

「彼らの非礼をお詫びします。しかし何故ブレアス・コールドンを名乗らなかったのですか?」

 コールドンと聞いて列席者は一同に驚いたようにブレアスを見た。

「その名は異国で生きるために祖父から借りた名だ。故郷に在っては、己の名を名乗るべきだと思ったからだ」

「この国では貴方の名は不当に貶められた。あの戦で本来責めを負うべきは右軍の将です。貴方もそれを知りながら軍を去ったのでしょう?」

「当時のことは忘れた。ただ負け戦にはこう言った話は付き物だ。俺に落度があったのは事実だからな」

「そうですか」

 バジルは頷くと、皆に向けて言った。

「この方は私の大事な客人です。敬意を忘れぬようお願いします」

 列席者は皆頭を下げて承諾した。

 ブレアスもバジルに深く頭を下げた。

「さて、今日こちらに参られた理由について、お話し頂けますか?」

 これについてはダナンが説明した。

 ダナンは今起きている事実を列挙し、シエラ軍上層部の動きについて話した。

「戦とは…」

 どよめきが起こった。

「胡椒の高騰と栽培地の奪取。辻褄は合いますな」

「現在公社のアルバート・メンデル殿に、買い占めについて調査を依頼しました。詳細はは1週間以内には判明すると思います」

「もう手を打っておられたのですね。しかし、どのように上層部に上申すべきか、難しいところではありますな」

 バジルは暫く思案した。

「ネイルス・カルビン将軍にお会いになっては如何でしょうか?」

 ネイルスはブレアスを高く評価していた将軍だ。

 十年前の戦争には参加していなかったが、人望のある男だった。

「ふむ。それも手ではある。取次はできるのか?」

 提案者は頷いた。

 ブレアスの左後方の入口付近にいた男だ。

 声に聞き覚えがあった。

「では極秘裏に面会の準備を進めて下さい」

「承知しました」

 ダナンは軍以外に彼らが頼れる部署がないことに疑問を感じた。

「軍以外に根回しはなさらないのですか?」

 ダナンは不思議に思い尋ねた。

 するとバジルは躊躇いがちに話した。

「王政府は実質的に機能していないのですよ」

 バジルは悩ましそうな顔でダナンを見つめ、続けた。

「現国王は以前から病に苦しんでおられ、今は政も出来ないのです」

 バジルはゆっくりと今のサルマンの国情を話し始めた。

 サルマンの王であるオセルは十数年前から病床にあった。

 骨が弱くなり、関節が固まってゆく病で、常に痛みが続き、永く苦しんでいた。

 治る手立てもなく、進行を抑えるよう処置をしてきたが、いよいよ痛みに耐えられなくなった時、術者養成学院の院長が勧めたのは、阿片だった。

 これ以上ない鎮痛作用があったが、常用性があり、やがて王は薬が手放せなくなった。

 政治もおぼつかなくなり、現在は養成学院院長が政治の実権を握ってしまったと言う。

 現在国が回っているのは、香辛料の収益が支えとなっているだけで、中枢は何も機能しない状態にあった。

 更に養成学院は太子を廃して、まだ十六歳の末子を王位につけようと画策していると言う。

 このような有様で戦になどなれば、国中が混乱をきたすのは目に見えていた。

「阿片は何処から入ってくるのだ?」

 ブレアスが尋ねた。

「分からんのだ。我が国でも少量は医薬品材料として生産してはいる。しかし今中枢に出回っている量は我が国の生産量を上回る量だ。国外から持ち込まれていると考えた方が自然だろう」

「そこまで広がっているのか?」

「今では王だけではない。重臣たちが皆薬に溺れている」

 国を離れている間にそのようなことになっているとは、ブレアスは思いもしなかった。

「王太子を支える者はいないのか?」

「殿下を支えているのがカルビン将軍を中心とした軍です」

 ならば、将軍に話を持って行くなら、細かな証拠を添えなければ、政争の具にされるだけかもしれないとブレアスは考えた。

「ならば、将軍に話を持ち込むのはもう少し情報を集めてからのほうが良いでしょう」

 ダナンが言った。

「香辛料の買い占めを行う者の詳細と、シエラが穀物を送る気がないことが判明するまで待つ方が賢明ではありませんか? 今の情報では推測でしかない。これを養成学院に突かれ、押し切られては軍の立場が危うくなるかもしれません。そうなれば王太子殿下も…」

 バジルは顎髭を摘み唸った。

「一理ある。戦ともなれば、軍も浮き足立つ。軽はずみな行動に出る者もあるかも知れん。この件は一つ誤ると国が滅ぶやも知れん。皆も軽挙妄動は慎め。勝手な行動は厳罰に処すので、情報の取り扱いには注意すること」

 そして先程将軍への進言を提案した男を見て言った。

「ルディスもですよ」

 その名を聞いてブレアスは振り向いた。

「この件は将軍の立場をも危うくするかも知れません。分かりましたか?」

「承知しました」

 ルディスはそう答えた。

 この男は十年前ブレアスの腹心の一人だった。

 軍を辞めた俺を恨んでいるやも知れん。

 ブレアスはそう思うと声をかけられずにいた。

 バジルは近くの男に何事か言伝ると、解散を言い渡した。

 そしてブレアスに少し待つように言った。

 ブレアスはダナンに外で待っているように話すと、広間に残った。

 バジルは先ほどとは雰囲気が変わった。

 恐らく張り詰めていたものが溶けたのだろう。

「あのような話であれば、人を遠ざけるべきであったな。身内を監視せねばならなくなった」

「申し訳ないことをした」

 バジルは笑って言った。

「仕方がない。ここまで切羽詰まった話だとは予想しておらなんだ。ヘルガももう少し詳しく書けば良かろうに」

「彼女とは面識があるのか?」

 バジルは昔を思い出しながら笑って話した。

「勿論だ。先代とは縁があったでな。時々ここに遊びに来ておったよ。お転婆でなぁ、やるなと言うことは全部遣りおったよ。困った娘だった。じゃが十年になるか、歳の離れた兄を海難事故で亡くしてからは随分変わったようだ。事故ではなかったようでな、調べ上げて相手の賊を全て鮫の餌にしたそうだ。今は大人しくはなったようだが、危なっかしい子なのは変わらん。助けてやってくれると嬉しい」

 ブレアスは頷いた。

「助けて貰ってるのは俺の方だ」

 そう言うとバジルは声を上げて笑った。

「そうでもない。あの子はあんたを慕っておるよ」

 ブレアスは訳がわからず思わず、はぁ?、と思わず声に出した。

「あんたが着てるその服な、あの子の兄の服だよ。あんた年は幾つだ?」

「三十二だ」

「あの子の兄も生きてたらそれくらいだ。妙な縁を感じたんじゃろう」

 仕切りに面白いと言われたことはあったが、どうかと思った。

「しかし面白いのぉ。ブレイが放り出したこの組合に、バサナートの紹介で孫が来るんじゃから、長生きはしてみるもんだな」

「爺さんが放り出したとは?」

「知らんかったのか? この組合はあいつが作ったんじゃぞ」

 バジルは昔の話をしてくれた。

 祖父のブレイ・コールドンはこの港で作業員をやっていたらしい。

 当時は人足の扱いが酷く、ブレイは助け合うために有志を集めて寄り合いを作った。

 肉体労働だったから怪我はつきもので、怪我をして休むと給金が大きく削られた。

 それでは食っていけないから、出勤扱いにして休ませながらその穴を互いに埋めあったのだ。

 次第に仲間は増えていき、ブレイを中心に賃金交渉や労働環境の改善などを官僚と話し合った。

 腹に据えかねた時などは、全員で仕事を放棄したこともあったらしい。

 新たに人を集めたが、当然港は回らず、官僚は聞き入れざるを得なかった。

 そうやって少しずつ待遇改善を勝ち取って行くと、ある時急激に組織は拡大し、街の治安を守るようにまでなった。

 ならず者を懲らしめたりするのだが、次第に金品を要求するようになって行って、その是非で組織が割れて抗争になった。

 治安を守るのを評価されて大きくなった組織が治安を乱すようになったのだ。

 これを見てブレイはとうとう憤慨して、争う派閥全員を相手に大喧嘩をした。

 人の迷惑もわからないで喧嘩がしたいなら、俺が相手になってやるからかかってこい。

 ブレイはそう言って五十人程を相手に全員のしたという。

 そして金品を要求した連中全員を破門にして、後は好きにやれと言って実家に戻ってしまった。

「それでわしが総代を引き受けて今に至る訳だ」

「そんな話一度も聞いたことがなかった」

 バジルは目を細めて言った。

「そうじゃろうなぁ。あいつは純粋だったから。自分が作った組織が愚連隊に変わって行くのが我慢ならんかったんだろうなぁ」

「祖父とは永い付き合いだったのか?」

「永いも何も、コールドンとうちはどっちが分家でどっちが本家か分からんような間柄だよ。炎帝の頃からの付き合いだからな。うちも舎人の家系じゃよ」

 ブレアスは不思議に思ったことがあり、彼にぶつけてみることにした。

「メルクオールもサラザードもそうだが、何故炎帝の側近だった家系は日陰の、言っては何だがヤクザ者が多いのだ?」

「はっはっは、ヤクザ者か。まぁそう見えんこともないがな。雷帝以降はな、政争に勝った連中が上層部に取り立てられて、負けた連中や取り巻きは職を失ったんだよ。だがわしらには誓いがある。民を守ることだ。古い王家にも思惑はあっただろうが、少なくとも今のように金を絞ったり金で支配するような政治はせなんだよ。今は民が苦しむ。それは政が間違っておるのだとわしらは思っておる。この仕組みに馴染めんものや失敗した者を引き上げてやるのも、わしらの役目だと思っておるだけよ。濡れ衣着せられて野に降ったあんたなら、身に染みておるのではないか?」

 言葉に詰まる指摘だった。

 己の落ち度と言い聞かせはしても、拭えぬ思いはあるのだ。

「それがあるから、あんたは今こうしてるんじゃろう?」

 ブレアスは分からなかった。

「分からん」

「はっはっは、あんたは正直な男じゃな。あいつとそっくりじゃ。頑固なところまでな。それでええよ。赴くままやりなさい」

 ブレアスは頭を下げた。

 ブレアスは今日のことに礼を言って広間を後にした。

 表にはダナンとルディスが立っていた。

「ルディス」

「隊長、ご無沙汰です」

「元気でやっていたか?」

「はい、お陰様で」

「お前ほどのものなら、軍にいても上が望めたろうに」

「いいえ、隊長が去った後、部隊は分割されて、国境の小競り合いで消耗されました。私は耐えられず軍を辞めて、部下と共に今はここで働いています」

 ブレアスは返す言葉がなかった。

「すまなかった。皆恨んでおるだろうな」

「いいえ、隊長を恨んだ者は一人もおりませんでした。私もそうです。無事の帰国に胸がいっぱいです」

 ルディスは泣いていた。

 ブレアスは彼の肩を叩き、感謝した。

 今でも自分を隊長と呼んでくれたことが何より嬉しかった。

 涙を拭うと、ルディスは尋ねた。

「隊長は今回戦列に加わりますか?」

「正直なところ、分からん。ここに来た目的は、被害を最小限に留めたいからだ。今度またゆっくり話そう」

「分かりました」

 そう言うと彼は帰って行った。

 ブレアスは宿に置いてきた二人が気になり、ダナンに様子を見てやってくれと頼んだ。

「大丈夫だ。時間があったからさっき見てきたよ。熱は下がってさっき飯を差し入れた」

 ブレアスは礼を言うと、兄の家に向かった。

 兄の家は街の外れの閑静な場所にあった。

 家の外に子供が笑う声が響いてきた。

 ブレアスはドアを叩くと、兄が出てきた。

「よく来たな。入れ。飯は食ったか?」

「まだだ」

 アルバートはニ人を居間に案内した。

 カウチに皆座ると、彼の妻が食事を運んできた。

「妻のサラだ」

 ブレアスは義理の姉に挨拶した。

 姉の料理を味わうと、母の料理を思い出した。

 懐かしい味だ。

 母の味ではないが、何となく似ているような気がした。

 良い嫁さんだと言うと、お前も早く見つけろと言われた。

「お前はうちの家訓を覚えているか?」

 ブレアスはそれくらいは知っているとばかりに答えた。

「世をおさめ、民をすくう。これを言ったメンデルの男は雷帝が即位した頃の人だ」

 兄はそう言ってさらに続けた。

 当時の世の中は新王朝樹立に伴って、世の中の仕組みが激変した時代だった。

 政争が絶えず、経済も低迷し、民はどんどん困窮していった。

 そんな時代に人々は己のために中央に擦り寄り、他者を蹴落として身を立てようとした。

 しかし当時のメンデルの男は、人のために働くことを志した。

 それが今も受け継がれていた。

「コールドン家は舎人だったな」

 ブレアスは言った。

「知ってたのか?」

「最近知った」

「なら分かるな。メンデルもコールドンも、今は民に尽くす家だ。お前はお前のやり方でやれば良い」

「そのやり方を探している」

 ブレアスはカーレアンの話をした。

 そこにいたのがシエラの執政官の妻だろうと言うことも話した。

 アルバートは戦になると言う弟の言葉を信じ始めた。

 シエラとカーレアンの上層部が手を組んだ可能性についても、考慮に入れなければならない。

「世界の仕組みが大きすぎて飲み込めないでいる」

 兄が酒を注いでくれた。

 ブレアスはそれをゆっくりと飲んだ。

「カーレアンとシエラは取引をしたのだろうな」

 ブレアスは頷いた。

「戦ともなればサルマンの輸出は低迷するだろう。そこで在庫を売り、戦後に胡椒の流通を牛耳るつもりか」

 ブレアスは再び頷いて言った。

「恐らく戦時中の海上封鎖もあるだろう。カーレアンが海賊を使ってな。それにシエラが穀物輸出を絞れば、ヘルマインも下手に動けんだろう。兵糧が不十分だ。傭兵ギルドも抱き込めば、シエラの兵力はサルマンの兵力を大きく上回ることになる」

 アルバートは天を仰いだ。

「この国の内情は聞いたか?」

 ブレアスは頷いた。

「国王も既に崩御していると言う噂まである。学院長が崩御を公表しないだけで、王の寝所から死臭が漏れているのは多くの者が言っている話だ」

 口が重くなっていた。

「最悪領土を奪われても、シエラやカーレアンが得られるものを最低限にする策が要る。一つずつ積み上げるしかない」

 そう言う弟を見てアルバートは少し頼もしく感じた。

「そのために調べるのだろう?」

「そうだ。なるべく早い方が良い」

「鳥を飛ばした。届いていれば一報が来るだろう」

 そう、やるしかないのである。

 やけに静かなダナンを見ると、既に睡魔に取り憑かれた後のようだった。

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