カレアン
甲板に座り込んで街を眺めていた。
港町だけあって人が多く、活気のある街だったが、上陸はまだしないのだと言う。
接舷して荷を下ろして、買い手から金を受け取ると、ヘルガはすぐに港を出て、湾の外に停泊した。
観光に来たわけではないから、浮ついた気持ちでいるわけではないのだが、地に足をつけたかった、というのが正直なところだった。
乗組員もそれぞれが、自分の時間を好きに浪費していた。
「冴えない顔してるな」
操舵手の男がブレアスのそばに腰を下ろした。
「さっきは怒鳴って悪かったな。俺はダナン・ロートンて言う」
気にするなとブレアスは言った。
「この島初めてか?」
ブレアスは頷いた。
「じゃぁ尚更降りない方がいいな」
「どういうわけだ?」
「この街はな、どこの国にも属さない街だ。国でもない。王も政府もないんだ。さっき荷物下ろした時衛兵いたか?」
「いなかったな」
「そうだろう。ここにいる連中全員海賊みたいなもんなんだよ。だからしょっちゅう揉め事ばっかだ。死人が出るなんて日常茶飯事だよ」
「そんな街によく銀行なんて作るなぁ」
「傭兵が警備やっているんだよ。この街に店構えるなら傭兵雇わないとダメだ。それも腕のたつ連中が要る。ヘボ雇っても金の無駄だからな」
ダナンは水で口を湿らせると話を続けた。
「ある意味自由な街だよ。殺し、盗み、人攫って売っちまっても構わない。悪党どもにとっちゃ楽園だな。そんな所長居するもんじゃないだろう?」
「銀行襲えばいいじゃないか」
ダナンは笑った。
「はははは、確かにそうだが、奴らだって金預けてるんだ。銀行襲ったらその日から他の海賊連中に追われる身になっちまうよ」
「海賊が銀行に金を預けてるのか?」
「そうなんだよ、笑えるだろう?。だからあいつらは造船所と銀行には手は出さないんだよ」
ダナンはこの島のことを話してくれた。
この街の造船業が勃興して海洋交易が盛んになると、どの国家もカーレアンの造船業者を取り込むために軍を送った。
しかしことごとく撃退された。
撃退したのは義勇軍とは名ばかりの、海賊たちだった。
陸にいる者が船に乗れば海賊など蹴散らせると思ったのだろうが、海戦は圧倒的に海賊が有利だった。
各国はカーレアンから船を買って、戦争して沈められると、またカーレアンから船を買うことになる。
金の無駄である。
カーレアンが儲かるだけだった。
そうしてこの島はどこの国からも干渉されないようになった。
だがそれだけでは終わらなかった。
ある時から各国政府や銀行の輸送車が襲われて、積荷を奪われる事件が頻発した。
決済のため現金を輸送する車輌ばかりが襲われた。
護衛をつけているので、奪われる頻度や金額は然程ではなかったが、人を増やしては余りに金がかかりすぎる。
頭を悩ませていた時にある提案があった。
カーレアンで管理してはどうか、と。
彼らの言い分はこうだ。
我々はいずれの国からも独立しており、どこの国にも与するつもりはない。
だからここに金を保管したら良い。
我々が信用できなければ、あなた方の銀行がこの島に支店を出せば良い。
しかし輸送するのは変わらないではないかと反論すると、彼らはこう答えた。
我々の島にあなた方の銀行があるなら、現金の移動は最小限で済みます。
顧客には書類を届けるだけで良いではないか。
資産の預かり証があれば、ここで決済ができますよ、と。
実に合理的な案だった。
そのように聞こえた。
最初に話に乗ったのはグリシャだった。
王家の資産をお抱えの銀行に預けて、その銀行にカーレアン島に支店を出させたのだ。
それを見て各国の銀行が我も我もと支店を出し、カーレアンの金融街は出来上がった。
言うまでもないが、現金輸送車を襲ったのは、現在金融街で警備の真似事をしている傭兵たちである。
こうしてカーレアンの造船業者は、他国の資産を自分たちの足元で管理させることに成功して、益々盤石となった。
「でな、ここからがもっと笑えるんだが。あの島に金融街ができると、当然各国から駐在員が派遣されてくるわけだ」
あのような荒くれ者の街に、貴族とその使用人が来るのだから、格好の鴨である。
そこに入り込んだのが傭兵だった。
彼らの護衛を請け負ったのだ。
裏では傭兵ギルドと海賊は結託しており、海賊は傭兵ギルドの顧客は獲物にしないと言う密約があっただけのことだ。
如何なる場所にも付き従って、彼らの情報は傭兵ギルドに筒抜けになる。
その情報は取引のネタに売り買いされる。
更に彼らに情報交換と娯楽の場を提供する目的で金融ギルドが設立された。
運営費は銀行が協賛した。
また金融ギルドは各銀行の決済通知などを専門に輸送する業務を請け負った。
実際に運行しているのは海賊で、金融ギルドの旗に掛け替えて、身なりを整えてそれらしく見せただけのことである。
ギルド会館はサロンのようなもので、談話から食事の提供、果ては娼婦も呼べた。
そうなると、そこは格好の謀略拠点となる。
「全く馬鹿馬鹿しい話だが、これがこの街の実態なんだよ。ウチの人間ですら上陸なんてしない。揉め事起こしたきゃ別だがね」
ダナンはそう言って海を見ながら水を飲んでいた。
上陸するなら酒は飲むなよ、そう言って彼は船室に入った。
ヘルガが言っていた意味がようやく理解できた。
なるほど、これは一筋縄ではいかない。
ここは敵地だと思え、か。
自分が見聞きしてきたものは、物事の一側面でしかないのだと言うことがよく理解できた。
潮風に永く当たると妙に体がベタついて気持ちが悪かったが、狭い船室に閉じこもっているのも気が滅入るので、船尾のいつもの場所にいた。
戦場の野営のようなものだな、と思った。
日が傾き始めた頃に、船はもう一度湾内に入り、ボートを出した。
ヘルガと先ほどのダナン、他3名とブレアスが乗り込んだ。
漕ぎ手は交代で行い、砂浜に着くとボートは引き上げた。
「いつも通りだ。ブレアスは私について来い」
湾は東に向かって突き出した二本の蟹の腕のような半島に囲われていた。
北側は砂浜になっていて、ヘルガ達はそこに上陸した。
辺りは一面枯れたススキばかりだった。
皆小走りに進んでいた。
突然ブレアスが倒れた。
皆の視線が集まった。
足元に木の切り株があった。
「気をつけろ。この辺りは切り株だらけだ」
ダナンが手を差し伸べた。
ブレアスは礼を言った。
よく見ると、周りには切り株があちこちにあった。
元々この辺りは檜葉の林があったが、船の材料として全て使ってしまった。
その名残がこのススキの原だ。
よくよく思い出すと、街の周辺は樹木がほとんどなかった。
金融街の更に奥にはまだ残っていたが、それも伐採が進んでいるようだった。
エルオールの教えでは、森が消える時、文明も消えるとあった。
この島は滅びに向かっているのかもしれない。
ススキの原の向こうに街の灯りが見えた。
金融街の北側に出た。
夜の帳が降りて、高価な衣服に身を固めたもの達が、醜く騒ぎ立てていた。
肩を組んでふらつきながら歩き、大きな声で悪態をついたり、連れの女に手をあげて、唾を吐くものもいた。
まだ日が暮れて間もないのに、既にこの有様だ。
何とあさましい連中だ。
ブレアスは顔を顰めた。
銀行業は信用で成り立つ商売だ。
シエラにも幾つか銀行があるが、少なくとも表では紳士然とした振る舞いをした。
シエラの街で平民を下に見て歩く愚かな三流貴族を目にすることがあったが、そんな連中を寄せ集めたような場所だった。
そんなブレアスを、ヘルガは見ていた。
それに気づいたのか、ブレアスが視線を向けると、ヘルガは小さく首を横に振った。
金融街の中央西側に、金融ギルドの建物があった。
ヘルガ達はそこに向かっていた。
そして正面でなく、裏側に回った。
表の通りから少し外れると、喧騒は止み、人もいなかった。
ヘルガ達は皆外套の頭巾を深くかぶった。
ブレアスも同じようにした。
裏には鉄の門があり、わずかに開けられていた。
一向はその隙間に滑り込むと、敷地に入った。
そこに馬車が停められていて、一人の男が立っていた。
外套を羽織り、頭巾をかぶっていた。
何処の者か、手がかりになるものは一切見えなかった。
背の高い男だった。
ヘルガは懐から紙を一枚取り出した。
白紙だ。
男はそれを奥にたった一つだけ置かれた篝火に翳した。
するとそこに模様が浮かび上がり、男はそれを確認すると、紙を火に焚べた。
男はヘルガに一通の書簡を手渡した。
ヘルガはそれを受け取ると、部下に馬車に乗るように促した。
ダナンが御者を務め、他のものは周りを固めた。
扉が開けられ、馬車は敷地を出た。
幾度も使う道なのだろう。
轍に沿ってゆっくりと南に下った。
誰も馬車の中を開けようとはしなかった。
左の後ろに街の灯りが小さく見えた。
あそこではまだ醜い宴が繰り広げられているのだろうと思った。
ブレアスは暗い闇を見つめ、馬車に合わせて歩いた。
車輪が地を転がる音と遠くの波の音だけが聞こえた。
次第に波の音が近くなってきた。
海が近いのだろう。
暫くして、船のマストらしきものが見えた。
接舷しているようだ。
灯りは誰もつけていない。
馬車が船の前に着くとヘルガは松明に火をつけた。
船には舷梯が架けられていて、馬車はそこを進んでそのまま船に乗せられた。
その時だけ、馬車の特徴を見ることができた。
しかし残念ながら、真黒に塗られていて、特徴らしいものはなかった。
舷梯を行く馬車の後ろの扉から、衣服の裾らしきものがはさまっているのに気づいた。
ブレアスは靴から短剣を取り出すと、裾を手早く切り裂いて、切れ端を袖の袋に放り込んだ。
ヘルガに気づかれたようだが、彼女は笑っていた。
船に上げると、馬車から馬を引き離し、目隠しをつけてマストに繋いで座らせた。
馬車を縄で固定して、土嚢を幾つも並べて輪止めをかけた。
舷梯を収納するとすぐに船を出した。
このまま出港するようだ。
航海士が船首で空を見上げていた。
星の位置で方角を見ているのだ。
船首と船尾以外に灯りはつけられていなかった。
甲板はほとんど闇だ。
そんな中で船は帆を張って、風に乗って走り出した。
船の上は波の音しか聞こえない。
乗組員は手信号でやり取りしていた。
なぜ声を出さないのか。
恐らく甲板にあるあの馬車には、人が乗っている。
人数までは分からないが、恐らく一人は女がいた。
ブレアスが切り取った布は黒い絹のレースだっだ。
裾の長いドレスを着ているのだろう。
中に潜むもの達の声を盗み聴きたいのだろうか。
道中にも中から声は聞こえなかった。
術者というやつかもしれん、ブレアスはそう思った。
航海は順調だった、昼前の嵐が嘘のようであった。
船は崖側ではなく、ティルナビスの旧市街に係留された。
馬を再び繋ぎ、輪止めを外して、舷梯から陸に降りた。
そして夜明けを待たずにゆっくりと西へ向かった。
この道は知っていた。
ティルナビスからシエラに戻った時の道だ。
東の空が少しずつ明るくなってきた。
もうそろそろ鐘が鳴らされる。
シエラの城門に差し掛かった時に丁度鐘が鳴り、城門が開けられた。
ティルナビス到着の時間を調整したのだろう。
淀みなく任務は遂行されているようだ。
馬車は南門からまっすぐ中央通りを北上した。
人気のない大通りを真直に進んだ。
ふとブレアスは不思議に思った。
我々は頭巾を被って顔を隠し、真黒に塗られた馬車を囲んで歩いていた。
見るからに奇妙な一団だが、衛兵はそれを素通りさせて目も合わさないのだ。
つまり彼らはこの馬車がどんなものか知っているのだ。
しかも、偶々知っている衛兵ばかりがいたなどということはないだろうから、衛兵には広く知れ渡っていると考えられた。
ブレアスは後ろの扉を見た。
未だ布は挟まったままだった。
気づかれてはいないだろう。
気づいた時には何処で破れたかも分からないはずだ。
馬車は第二南門の前で停止すると、衛兵が扉を開けた。
やはり彼らは知っているのだ。
ダナンは馬車を進めて城門をくぐると、馬車から降りた。
そしてヘルガに従い城門の外に出た。
衛兵は城門を閉じた。
閉ざされていく門の隙間から、馬車が第二南門から更に奥へと進んでいくのが見えた。
ヘルガ達は第二南門から少し離れた裏路地の小さな家に入った。
ヘルガ以外の3名は建物の警備についた。
ブレアスはヘルガに呼ばれて彼女の私室にいた。
「まさかあんな大胆な行動に出るとは思わなかったよ。見かけによらず手癖が悪いな」
ヘルガは目を細めて口角を吊り上げて笑った。
「まずかったか? 重要な手がかりだ。無駄にするのは勿体無い」
「なに、お前がやらなければ私がやっていた。確かに重要な手がかりだ。これまでこんな手抜かりはなかったから、初めて尻尾を出してくれたよ」
ヘルガは布を見せるように言った。
ブレアスは袖の袋から布を取り出すと、ヘルガに渡した。
よくある手巾ほどの大きさだった。
ヘルガはそれをさらに半分に切って、片方を手元に置いた。
「せっかく手に入れたんだ。自分で調べたいだろう? 私も調べておく。何か分かればティルナビスに来ると良い。こちらで調べたことも教えてやろう」
「分かった」
「船にあったお前の荷物は部下に届けさせた。今頃家の前にあるだろうから、取りにゆくと良い。それから私の元に来る時はその服で来い。それ以外の人間と会う時は使うな。目立つからな」
「了解した」
行って良いとヘルガは手で示した。
ブレアスは部屋を出た。
部屋の外にダナンがいて、肩を叩かれた。
「あんたなかなかやるな。良い手際だったよ」
そう言って笑いかけた。
ブレアスは頷いて手を振った。
そして自宅へ向かった。
永く空けるかと思ったが、予想外の強行軍だった。
しかしなんとも奇妙な体験だった。
世界がまるで違って見えた。
あの馬車に乗っていたのは間違いなく中央に関係する者だろう。
第二門を平民がくぐることは稀だ。
あの門から先の世界には触れることもない。
ブレアスは部屋の外に置かれた荷物を部屋に運び入れると、中身を改めた。
金も槍も盗まれてはいなかった。
服を着替えると、ベッドに横たわった。
どうやって調べるかを考えていた。
衣服のことなどまるで分からないが、餅は餅屋だと思い、先日行った服屋のあの女に尋ねてみようと考えた。
そしてそのまま眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます