磐戸の奥

 どれくらい歩いただろうか。

 途中何度か休憩しながら暗い洞窟をゆっくり進んだ。

 前方に光が見えた。

 その光はキラキラと揺れていた。

 出口が水で満たされていたのだ。

 そこに二艘の舟が浮かんでいた。

 迎えの衛兵たちに船に乗るように促され、皆次々と乗り込んだ。

 アゼルは姉の手を取ってやった。

 それを衛兵達は微笑みながら見ていた。

 希望の子らが無事に帰ってきたのだ。

 それを出迎える役を得て、彼等は気持ちが昂っていた。

 洞窟を出ると、辺りは一面湖だった。

 衛兵は櫂で漕ぎながら、ゆっくりと舟を進めた。

 舟は湖を抜けると川に出た。

 流れは緩やかで、ゆっくりと降って行った。

「こちら側には滝がないね」

 アゼルはエルマに尋ねた。

「そう。この湖は湧水なのよ。恐らく山の向こうと繋がってるのね」

 空を見上げると、遥か高い空を悠然と旋回する大きな鳥が飛んでいた。

 その向こうには、断崖のように聳え立つ山が連なっていた。

 川は森の中を貫いて、ゆったりと流れていた。

 暫く下ると森から抜けて、平地に出た。

「あそこの2本の大きな木が見える?」

 エルマが指差した方に二本の大きな木が立っていた。

 杉の木だろうか、塔のように見えた。

「あそこが私たちの街、エリシアムよ」

 二本の木から北に向かって道が造られていた。

 その両側には刈り入れ後の畑が延々と続いていた。

 そしてそのずっと先に一際高く積み上げられた石の山があり、その頂上に小さな建物が立っていた。

「あの山は何?」

「あれは山ではないの。岩を積んで造ったのよ。エヴニルと言う。頂上の小さな建物が議場ね」

「議場って何?」

「あそこで街の代表者が集まって話をして、様々なことを決めるの」

「会議場があんな高いところにあるんだ」

「エルオールには元老院という組織があって、彼等はあんな風に高いところに議場を作って色々議論していたのよ。この辺りはなだらかだから、わざわざ造ったの」

「何か光ってるけどあれは?」

 議場の最奥から光が漏れていることに気づいたようだ。

「あれは議場の奥に安置している焔。まぁ、灯台みたいなものね」

「エルマ様ご冗談はそれくらいに」

 衛兵が困ったような顔をしていた。

「ふふふ、そのうち教えてあげるわよ」

 エルマはアゼルの髪をクシャクシャと撫でた。

 大きな杉の木の前に船着場があり、皆そこで降りた。

 衛兵はアゼル達の前を歩き、案内した。

 既に陽が傾きかけていて、彼等の影を長く伸ばしていた。

 暫く行くと建物が見えてきた。

 木造の家屋が立ち並んでいた。

 概ね似た作りになっていて、エヴニルの手前まで続いていた。

 エヴニルの中央には高い階段が設けられていて、その麓に一際大きな建物があった。

 行政の建物だ。

 社の主要な部分であるが、街の代表が集まって議論する場を尊重する意味で、議場は行政区画の上に造られていた。

 議場は左右に二棟あり、左には旧宮家の筆頭が八人集まって過去を司り、右には議会があり、約50名の代表者と行政の各管理官が集まって未来を司った。

 首領はその両方に関わるが、首領の主な役割は議長である。

 特別な権限を持つわけではない。

 また旧宮家の筆頭とは言っても、この場所に移り住んでからは統合してしまったので、宮家で継いできた記憶を預かる者という意味合いに変化しており、ただ八葉と呼ばれた。

 その奥には小さな八角形の祭殿があり、中には焔が安置されている。

 イリアは街に入ると舎人の任に戻り、ピリスとハイネ、そしてプロイグは諜報部に顔を出して報告に行った。

 疲れ果てた様子の二人をプロイグが鼓舞しながら衛府の中へ消えて行った。

 アゼルとオリガ、そしてエルマはひとまずオリガの部屋に入って寛いだ。

 彼女の部屋は行政区の奥に新たに屋敷が造られていて、ちょうどエヴニルの階段の脇にある広場にあった。

 いくつかの部屋と、風呂があった。

 まだ日は暮れていないが、道中の疲れを癒すためにそれぞれ順番に風呂を浴びた。

 風呂は檜で作られていて、沸かした湯を適宜足して温度を調節した。

 体は麻の布で擦るのだが、重曹を使って油分を落とした。

 イリアが三人のために服を持ってきた。

 この街の人々が着る麻の服だ。

 ヘルガが着ていたものとほぼ同じものだった。

 男女の区別はなく同じものを着た。

 女には別の衣装があったが、普段は動きやすい服を着ていた。

「今カルネ様は議場におります。ひと段落したら皆さんをお連れしますので、少しお待ちください」

 イリアはそう告げると表に出た。

 アゼルはエルマに着付けを手伝ってもらった。

 初めて着る服だが、実にしっくりきた。

 持参した二振りの刀を纏めて左側の帯に差した。

 子供の頃に父から預かった刀もエルマが持ってきていた。

 改めて見比べてみると。古刀の方には表現し難い冴えがあった。

 アゼルのものには見られないものだった。

 何が違うのかと見比べていると、イリアが呼びにきた。

 三人は表に出ると、中央の階段を登った。

 手すりなどはなく、ただ篝火がいくつか焚かれていた。

 目指す最上部だけは不思議と柔らかい光に包まれていた。

 上がってみると理解できた。

 奥の祭殿から漏れてくる光が辺りを照らしていたのだ。

 アゼル達は右の議場に案内された。

 目の前にくると意外に大きかった。

 エヴニルが大きすぎて、小さく見えたのだろう。

 表で履物を脱いで、板の間の廊下の前には数段の階段があり、その奥の広間は大きく開けていて、人々が座っていた。

左右に分かれて70名ほどがおり、真ん中に道ができていた。

 その一番奥は一段高くなっていて、二人の男女が座っていた。

 エルマがまず先に行き、アゼルとオリガが続いた。

 エルマは段の手前で座ったので、二人もそのようにした。

「ただいま戻りました」

 エルマは頭を下げてそう言った。

「お帰りなさいエルマ。ご苦労でした」

 そう言うと女はエルマに向かって歩いてきて、手をとって労った。

 そして二人で何事か話しているようだった。

 そしてその後ろにいた少年に目をやった。

 その女性は泣いていた。

「あなたがアゼル?」

 アゼルは、はいと答えた。

「こんなに大きくなって…」

 女はアゼルの前に進み出るとアゼルの頬に手を当てて、真っ直ぐにアゼルの瞳をみた。

 彼女は袖で涙を拭いながらアゼルの手を握り言った。

「あなたの母です。どれほど会いたかったか」

 アゼルは母親の手を握った。

「お母さん」

 そう呼ばれた時、女はアゼルを抱きしめていた。

 東風で焚いている香織袋の香りがした。

 母はオリガにも手を差し伸べて、二人を抱きしめた。

 十五年前に別れた家族が、再び再会したのだ。

 お母さんの方が辛かっただろうな、とアシェルは思い、母親の背を抱きしめた。

 ふと、母の後ろにしゃがんで、肩に手を置く者がいた。

 母はそれに気づくと、我に帰ったのか、涙を拭いて、男を隣に座らせた。

「あなたの父です」

 男は長い髪を後ろで束ねていた。

「よく帰って来た。後でゆっくり話をしよう」

 両親は元いた場所に戻ると、姿勢を正して皆に告げた。

「我らの和子が戻った。間もなく冬至を迎えるが、収穫祭と兼ねて、この子達を迎える祭りをしよう」

 出席する議員達から拍手が贈られた。

 父が口を開いた。

「これまで我々は念を用いて来たが、この子らはそれが出来ない。皆にお願いしたいのだが、会話を増やしてみてほしい。不慣れかもしれないが、少しずつで良いから。どうか、お願いします」

 わかりました、と皆口々に言った。

「明日は祭りですね。大いに楽しみましょう」

 議員の一人がそう言うと、皆拍手で応えた。

「さて、積もる話もあるでしょうから、我らはこの辺で暇を頂きましょうかね」

「そうだなぁ、もう日も落ちたようだし、休むとしましょうか」

 皆が言の葉を発し始めた。

 オリガには信じられない光景だった。

 いつも閑散とした街だったが、今や賑やかな騒音に包まれていた。

 オリガが街を出た後、彼女への待遇について議会で討論があった。

 それは会話についてであった。

 意思疎通を行うにあたって、会話を増やせないだろうかと言うことで、カルネからの提案だった。

 議論が分かれたが、その時文学院の管理官がこう言ったのだ。

 エルオールは多くの知恵をヒトに与えたが、彼等がヒトに憧れながらも、ついに得られなかったものが唯一つあった。

 それは歌だ。

 ヒトは祭りの折に声を上げて歌い、笑った。

 エルオールの文化に歌はなかった。

 ヒトの歌声は美しく、彼等の心を強く揺さぶったと言う。

 我らは言の葉を操れる。

 歌を歌ってみようではないか、と。

 それで、日常的に会話を用いることとなったのだった。

 議場には両親と姉と叔母が残った。

 ここで話すのは公私混同なので、オリガの家に場所を移した。

 そこでカルネとヘルクスは、オリガの顔を見て、送り出したのは正しかったと悟った。

 今までに見たこともないほど生き生きとした表情を見せたからだ。

 そしてアゼルと並んで座る姿を見て、十五年顔を合わせなくとも、この子達は姉弟として手を取り合うことができたのだと理解した。

 このことに二人は何より喜んだ。

 オリガは平地で見て来たことを自慢げに話し続けた。

 アゼルはそれを楽しそうに聞いていた。

 時折両親の顔を見ると、二人も嬉しそうに聞いていたことにアゼルは安堵した。

 ふとヘルクスが、アゼルが腰に刺している二振りの刀について尋ねた。

「これは僕が作ったものです」

「アゼル自身が、鉄を打って?」

驚いたように尋ねるヘルクスに、アゼルは頷いて応えた。

「見せてもらえるだろうか」

 アゼルは刀を帯から抜いて、父に差し出した。

 ヘルクスは刀を受け取り、ゆっくりと鞘を払うと、驚いた様子で見ていた。

 袖から手巾を取り出すと、左手に掛け、刀身を支えてじっくりと観察した。

 刃には斬撃を受けたのか、所々に刃こぼれが見られたが、刀身は実に健在で、姿も鉄の様子も良くできていた。

 ヘルクスは刀を鞘に納めると、部屋の外にいるイリアの方へ歩いて行って何事か言伝すると戻ってきた。

「実に驚いた。平地でこれほどのものを作るとは。ここまでになるのに何年かかった?」

「八年です」

 なるほど、良い師を得たのだろう。

「向こうにまだこれほどの技術が残っていたとは」

 エルマが口を挟んだ。

「極々一部です。偶然出会った鍛冶師が鉄を鍛錬する技術を持っていて、そこに入り浸っていたんですよ」

「実に良い師を得たものだ。彼はどんなものを作るのだ?」

「包丁です」

 アゼルは笑いながら応えた。

「包丁だって?」

「向こうでは鍛錬技術が失われてしまって、ほとんど鋳造に近い方法なんです。そんなものを作るくらいなら包丁作ってた方がマシだって言ってました」

 そんな話をしていると、イリアが人を連れて来た。

「デネブ様をお連れしました」

お入りくださいとヘルクスは伝えると、女の家に上がり込むのに躊躇しながら男は入って来た。

「夜分に恐れ入ります。アゼル様ご帰還お喜び申し上げます」

 そう言って深く頭を下げた。

 アゼルも同じように手をついて礼を伝えた。

 その姿を見てヘルクスはアゼルを育てたエルマに感謝した。

 しっかりと礼儀を身につけていたことを嬉しく思った。

「そんな畏まらずに、こちらに」

 ヘルクスはデネブを促した。

「何やら面白いものがあると聞きましてな」

 そう言ってヘルクスの膝の前に刀が二振り並んでいるのを見つけた。

「おお、これですか?」

 デネブはヘルクスのそばに腰を下ろした。

 拝見しても良いか尋ねるので、ヘルクスは勧めた。

 デネブは一振りを手に取って、刀身を見た。

「これは良くできている。工芸院の職人でもなかなかここまでのものを作れる者はおりません。どこでこれを?」

「アゼルが作ったのです」

 ヘルクスがそう言うと、デネブは目を丸くしてヘルクスの目を見た。

 ヘルクスは頷くので、今度はアゼルの顔を見た。

 照れ隠しに笑う少年がいた。

 デネブは失礼、と言って柄の目釘を外すと、手際よく柄を外して、茎を見た。

 まだ錆のない綺麗なヤスリ目があった。

 出来上がってまだ時間の経っていないものであるのは間違いなかった。

 素晴らしい出来だと思った。

 焼き入れの温度はさほど高くないのか、綺麗な匂い出来の作風で、乱れ刃を焼いているが何とも落ち着いた雰囲気の作品だった。

 所々に見られる刃こぼれが、実戦の跡として残っていて、この刀がそれに耐えうるものであると示していた。

「アゼル様は私の元においでになりませんか? 共に良い物を作ってはみませんか?」

 アゼルは父の方を一瞥すると頷いていたので、快諾した。

 オリガが羨ましそうに見ていたので、姉も一緒に行っても良いかと尋ねると、それも父は許した。

「オリガ様にもきっと興味を持って頂けるものがあると思いますよ。例えばこれ」

 そう言って取り出したのは金の指輪だった。

 肉厚の指輪で、表側は丸く平らになっていて、文字が刻まれていた。

 かつてシエラの王宮にいた時などに使われたもので、シグネットリングといった。

 封蝋に自分の署名と共に押しつけて正式な物であることを示すために使われた物で、今はあまり使われなくなったが、文化的名残として装飾品になっている。

 オリガはデネブの指輪を見て興味を持ったのか、見たいと言い出した。

 彼女は自分の机に行って今まで書き溜めたものの中から、自分で描いた絵を持って来て見せた。

 今では生産の減った、行政区で使用される紙にインクを使って、風景や人の姿などが細かく描かれていた。

 一番驚いたのはアゼルだった。

 書き溜めているとは聞いていたが、ここまでのものとは思っていなかったのだ。

「私絵も好きだけど、そう言う指輪なんかも作ってみたい」

 今まで役割を与えてやれなかったこともあり、カルネとヘルクスは大いに喜んだ。

 エルマは少し離れたところでそれを見ていた。

 ちゃんと打ち解けられたことを喜んでいたのだろう。

 そうして、その日の夜は更けていった。

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